| 訓読 |
2643
玉桙(たまほこ)の道行き疲れ稲筵(いなむしろ)しきても君を見むよしもがも
2644
小墾田(をはりだ)の板田(いただ)の橋の壊(こほ)れなば桁(けた)より行かむな恋ひそ吾妹(わぎも)
2645
宮材(みやき)引く泉の杣(そま)に立つ民のやむ時も無く恋ひ渡るかも
2646
住吉(すみのえ)の津守(つもり)網引(あびき)の泛子(うけ)の緒(を)の浮かれか行かむ恋ひつつあらずは
| 意味 |
〈2643〉
道を歩き疲れるて稲むしろを敷いて休むというではないが、しきりにあの方にお逢いできるてだてがあればよいのに。
〈2644〉
小墾田の板田の橋が壊れても、桁を伝ってでも行くから、恋しく思うな、わが妻よ。
〈2645〉
宮材を引き出す泉の杣山(そまやま)で働く人たちが休む暇もないように、休む時もなく恋しつづけている。
〈2646〉
住吉の津の番人が引く網の泛子(うき)のように、浮いたままどこかへ行ってしまおうか、こんなに恋に苦しんでいないで。
| 鑑賞 |
作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」4首。2643は「筵」に寄せての歌。「玉桙の」は「道」の枕詞。道の曲がり角や辻などに魔除けのまじないとして木や石の棒柱が立てられていたことによります。「稲筵」は、稲藁で編んだ敷物。以上3句は、筵を敷く意で「しきても」を導く序詞。「しきても」は、敷く意と事が重なる意(しきりに、何度も)の掛詞。「見むよしもがも」は、逢うてだてがあればよいのに。「君」とあるので、たびたび逢いたいという女の願いの歌としていますが、「君」は男から女を指しての敬称の場合もあるので、通い始めた女を思う男の歌とする見方もあります。「稲筵を敷く」という動作と、「しきりに(何度も)逢いたい」という万葉人特有の言葉遊びが効いている歌です。
2644は「橋」に寄せての歌。「小墾田」は、奈良県明日香村の飛鳥川沿いの地で、推古天皇の「小墾田宮」があった場所として知られます。「板田の橋」は、所在未詳。「壊れなば」は、もし壊れたとしたらという仮定。「桁より行かむ」は、橋板がなくなっても桁を伝ってでも行こう、の意。「な恋ひそ」の「な~そ」は、禁止。不可能な状況を突破する意志を具現化した歌であり、「たとえ橋が崩壊していても、僕は手段を選ばず君のところへたどり着くよ」と力強く宣言することで、彼女を安心させようとしています。
2645は「杣」に寄せての歌。「宮材引く」は、宮殿を建てるための立派な木材を山から下ろし、川へと運ぶこと。「泉」は、京都府木津川市周辺。平城京などの造営時に、木材の集積地・供給源として重要な場所でした。「杣」は「杣山」ともいい、用材を伐り出す山。「立つ民の」は、立ち働く人々の。上3句は「やむ時も無く」を導く譬喩式序詞。特色のある序詞であり、窪田空穂は「こうした序詞は、その光景を眼前に見ているか、あるいは自身その事にあたっているのでなければ捉えられないもの」と言っており、官命によって妻と遠く離れて働く男の歌と見られます。
2646は「泛子」に寄せての歌。「住吉」は、大阪市住吉区の一帯。「住吉」は平安時代になってスミヨシと訓むようになりましたが、奈良時代以前はスミノエと訓んでいます。「津守」は、住吉の津(港)の番人、あるいは地名とも言われます。大阪市西成区に津守という町名が残るのは、本来津を守る番人だったのが氏の名となり地名になったとする説があります。「泛子の緒」は、漁網を海面に浮かせておくための浮き(泛子)と、それを繋ぎ止める紐(緒)のこと。上3句は「浮かれ」を導く譬喩式序詞。「浮かれか行かむ」の「浮かれ」は、その地を離れて浮浪すること。「あらずは」は、~していないで。この歌の魅力は、「浮き」という道具のイメージを使った、心のダイナミズムにあります。3句もの長い序詞ですが、当時の読者は、この長い前振りを聴きながら、住吉の明るい海辺の情景を思い浮かべ、その爽やかなイメージのまま「恋の衝動」へと着地する心地よさを味わいました。

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