| 訓読 |
2677
佐保(さほ)の内ゆあらしの風の吹きぬれば帰りは知らに嘆く夜(よ)ぞ多き
2678
はしきやし吹かぬ風ゆゑ玉櫛笥(たまくしげ)開けてさ寝(ね)にし吾(われ)ぞ悔(くや)しき
2679
窓越しに月おし照りてあしひきの嵐(あらし)吹く夜(よ)は君をしぞ思ふ
2680
川千鳥(かはちどり)住む沢の上に立つ霧(きり)のいちしろけむな相(あひ)言ひそめてば
2681
吾(わ)が背子(せこ)が使(つか)ひを待つと笠も着ず出(い)でつつぞ見し雨の降らくに
| 意味 |
〈2677〉
佐保の内を山おろしの風が吹き抜ける季節になったので、あの方のお帰りはいつになるとも分からず、嘆く夜が多くなった。
〈2678〉
ああ、吹いてもくれない風なのに、玉櫛笥の箱を開けるように、大切な戸を開けて寝ていた自分が悔しい。
〈2679〉
窓越しに月の光が明るく差し込んできて、山から嵐が吹きすさぶ夜は、あの方のことを思いつめています。
〈2680〉
川千鳥の棲む沢の上に立つ霧のように、人目にはっきりと立つことだろう、互いに語らい始めたならば。
〈2681〉
あなたからの使いが待ち遠しくて、笠もつけないで幾度も門に出て見ました。雨が降りしきるというのに。
| 鑑賞 |
作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首。2677~2679は「風」に寄せての歌。2677の「佐保」は、佐保川上流の一帯。「内ゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。~を通って。「帰りは知らに」は、帰り道がどうなるか分からない、無事に帰れるか確信が持てない、の意。「嘆く夜ぞ多き」は、強意の係助詞「ぞ」+連体形の係り結びで、やり場のない悲しみや、募る不安の切実さを強調しています。上掲の解釈は、旅にある夫の帰りを待ち侘びる妻の歌としていますが、佐保の内の妻の許へ通っている男の歌であり、冬の嵐が吹くので、人目を思いながらも帰ることを物憂く思っている心とする解釈もあります。
2678の「はしきやし」は、「ああ、愛しい」「ああ、切ない」といった、愛惜や感動を表す接頭的な感嘆詞。「吹かぬ風」は、訪れてくれない男の譬喩。「玉櫛笥」は化粧道具を入れる美しい箱のことで「開けて」にかかる枕詞。「開けて」は、玉櫛笥の蓋を開ける意と、戸を開けての意の掛詞。「さ寝にし」の「さ」は接頭語で、寝てしまった、の意。「吾ぞ悔しき」は、強意の「ぞ」+連体形による係り結び。女が、誠を信じて関係を結んだにも関わらず、その男が真実ではないと知って、関係したことを後悔している歌です。
2679の「おし照りて」は、強く照って、隈なく照って。「あしひきの」は「嵐」の枕詞。本来「山」や山を含む語にかかることが多い枕詞ですが、ここでは山から吹いてくる「嵐」にかかっています。「君をしぞ思ふ」の「し」は強意の副助詞、「ぞ」は係助詞で、「思ふ」がその結びの連体形。旅中の夫を思う妻の歌とされ、視覚(月光)と聴覚(嵐)の対比によって、独りでいることの寂しさを際立たせています。この歌について、斎藤茂吉は「窓越しに月おし照りて」の句に心惹かれるとして、「普通『窓越しに月照る』というと、窓外の庭あたりに月の照る趣に解するが、『おし照る』が作用をあらわしたから、月光が窓から部屋まで差し込んでくることとなり、まことに旨い言い方である」と言っています。窪田空穂も、「初句より四句までは、寒さをそれといわずに描写しているもので、印象が鮮明」と述べています。なお、「窓越し」も「窓」も『万葉集』に出てくるのはこの1首のみです。
2680は「霧」に寄せての歌。上3句は、水の上に立つ霧の濃い意で「いちしろけむな」を導く譬喩式序詞。「いちしろけ」は、形容詞「いちしろし」の未然形で、明白な、はっきりと、の意。「む」は、推量の助動詞。「な」は、感嘆の助詞。きっと見え透いてしまうだろう、隠しきれないだろう、という意で、霧という本来は視界を遮るものが、ここでは目立つものとして扱われています。「相言ひ始めてば」は、語らい始めたならばで、夫婦関係を結んだならばの意が含まれています。女の歌で、男と夫婦関係を結ぼうとする直前の不安な気持ちを歌っています。序詞は眼前のものと見られますが、土屋文明は、「序が余りにも技巧的すぎよう。カハチドリは枕詞、二句はスミサハで地名であるかも知れぬ。その方が寧ろ感銘が単純でよい」と言っています。
2681は「雨」に寄せての歌。雨に濡れながらも、男からの使いを待つ女の歌。「吾が背子が」の「が」は、いずれも所属・所有を示す連体格助詞で、私の夫の、の意。「使ひ」は、手紙を運んでくれる人。「笠も着ず」は、当時の雨具である笠さえ着けない様子。あわてて飛び出した、あるいは雨のことなど気にならないほど心待ちにしていることを表します。「出でつつぞ見し」は、何度も外に出ては見た。「つつ」は動作の反復。「ぞ」と「見し」は係り結び。一度外に出て確認しては戻り、また気になって出ていく。部屋の中でじっとしていられない、落ち着きのない作者の様子が手にとるように分かります。「雨の降らくに」の「降らく」は「降る」のク語法で名詞形。雨が降っている状況であるのに、という逆接的なニュアンスを含みます。この歌は、巻第12-3121に重出、そこでは男の歌(3122)との問答になっています。

「寄物陳思」
『万葉集』の作歌方法に関する分類用語の一つに、寄物陳思(きぶつちんし)がある。「物に寄せて思ひを陳(の)ぶ」という意であり、具体的には自然の物象に託して恋の心情を表現しようとする歌のことである。表現のしくみからいえば、物象を表すことばと心情を表すことばとを有機的に対応させながら一首を構成する方法である。物象を表す序詞を取り込んで、それを心情を表す本旨につないでいく作歌方法も、その一つの典型とみられる。
夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものそ(坂上郎女 8・1500)
「姫百合の」までの序詞の物象が、「知らえぬ恋は」以下の心情を表す本旨部分と対応しあっている。むせかえるような夏草の繁みの中にこっそりと可憐な彩りをみせている姫百合が、そのまま秘めた恋に苦衷をかみしめる心のはなやぎにつらなっている。物と心が対等の位置を占めながら、鮮明な詩情をかもし出すことになる。
寄物陳思の方法は、ひとり序詞に限ったことではなく、物と心の対応する表現機構一般に広げて考えてよい。
君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く(額田王 4・488)
「君待つと我が恋ひ居れば」の心情のことばぐらいだけならば、ありきたりの言い方でしかない。しかし「我が宿のすだれ動かし秋の風吹く」という自然物象の風趣を取り込んでいるところに、歌の抒情性を純化させる個性的な斬新さがある。
このように物象を表すことばと心情を表すことばが互いに対応しあうように、一首を物と心で構成する方法が、『万葉集』の始まりから終わりまでを貫くもっとも伝統的な作歌方法であった。しかも、古く記紀歌謡の多くともつながっている。「寄物陳思」は、『万葉集』のもっとも伝統的で重要な作歌方法である。
~『万葉集ハンドブック』/三省堂から引用
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