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巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2687~2691

訓読

2687
桜麻(さくらを)の麻生(をふ)の下草(したくさ)露(つゆ)しあれば明かしてい行け母は知るとも
2688
待ちかねて内には入(い)らじ白栲(しろたへ)の吾(わ)が衣手(ころもで)に露(つゆ)は置きぬとも
2689
朝露(あさつゆ)の消(け)やすき吾(あ)が身(み)老いぬともまたをちかへり君をし待たむ
2690
白栲(しろたへ)の我(わ)が衣手(ころもで)に露は置きて妹(いも)は逢はさずたゆたひにして
2691
かにかくに物は思はじ朝露(あさつゆ)の吾(あ)が身一つは君がまにまに

意味

〈2687〉
 桜麻が茂る原の下草はまだ露に濡れていますから、夜が明けてからお帰りなさい、母が知ってもよいじゃありませんか。
〈2688〉
 待ちかねたからといって家の中に入りはしません。私の着物の袖に露がおりてきても、私はお待ちしています。
〈2689〉
 朝露のように消えやすい身ですもの。老いてしまおうとまた若返って、あなたをお待ちします。
〈2690〉
 私の着物の袖に露がおりても、あの子は逢ってくれない。ずっとためらってばかりいて。
〈2691〉
 あれこれと物思いはもうすまい、朝露のようにはかない私の命は、あなた次第なのです。

鑑賞

 作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、いずれも「露」に寄せての歌。2687は、後朝の別れを惜しんでいる女の歌。「桜麻」は、麻の一種らしいものの、どのような麻かは未詳。サクラアサと訓むものもあります。「麻生」は、麻が生えている原。「下草露しあれば」の「し」は、強意の副助詞。下草に露が降りて(濡れて)いるので。「明かして」は、夜が明けてから。「い行け」の「い」は、語調を整える接頭語。窪田空穂は、「男の朝露に濡れるのをいたわって、乾いてから帰れというので、そのためには母に知られてもかまわぬというので、事の軽重を忘れた情痴の語である。それがこの歌の魅力となっている。『桜麻』という語はここにだけあるもので、どういう物かはわからないが、語感の美しいもので、これも魅力の一部をなしている」と述べています。

 
2688の「内には入らじ」は、家の中には入るまい。「じ」は打消の意志(~しないつもりだ)を表す助動詞で、非常に強い決意を示しています。「白栲の」は「衣」の枕詞。「露は置きぬとも」は、露が降りて(袖が濡れて)しまったとしても。「とも」は逆接の仮定条件で、「どんなに濡れようとも関係ない」という断固とした態度を表します。男が来るのを戸外で待っていて、待ちきれなくなった心を励ましている歌です。普通であれば、夜も更けて露が降りてくれば、寒さを避けて家の中に入るものです。しかし、作者はそれを拒みます。「中に入ってしまったら、あなたの訪れをほんの一瞬でも見逃してしまうかもしれない」、あるいは「あなたが来たときに、真っ先に外で迎えたい」という一途な思いが込められています。

 
2689は、疎遠になった夫への訴えの歌。「朝露の」は、朝露が消えやすいことから「消」の枕詞。「消やすき吾が身」は、死にやすい我が身。「またをちかへり」は、若くなることを繰り返す意。ここでは単なる若返りというより、魂が再生してでもという強い意志が含まれます。「君をし待たむ」の「し」は強意の副助詞。「む」は意志の助動詞。窪田空穂は、「『朝露の消やすき吾が身』という仏教の語と、『老いぬとも又若ちかへり』という道教の語とを取合わせていっているものである。いずれもその時代の流行語で、当時としては気の利いた言い方であったろうと思われる」と述べています。

 
2690の「白栲の」は「衣手」の枕詞。「衣手」は、袖。「露は置きて」は、露が降りて(袖が濡れて)。ここでは露が降りるほど長い時間、外で待っていたという時間の経過を象徴しています。原文「露者置」で、ツユハオケド、ツユハオキヌ、ツユハオキなどと訓むものもあります。「逢はさず」は「逢はず」の敬語で、女性に対しての慣用。「たゆたひ」は、思い迷うこと。家人に秘密で逢う女の家の戸外に立ち、女が出てくるのを待ち続けている男の歌です。しかし、女はためらって逢ってくれません。なぜ逢ってくれないのか。嫌われたのか、それとも家の事情か。はっきりとした理由がわからず、関係が「たゆたふ」状態にあることが、作者を最も苦しめています。

 
2691の「かにかくに」は、あれやこれやの意。「物は思はじ」は、物思いはしないつもりだ。「じ」は、打消の意志。「朝露の」は、消えやすい意で「我が身」の比喩的枕詞。「君がまにまに」は、君の心のままに。夫の態度にいろいろと不満はあるものの、とやかく言わずに一切を夫に任せようと決心した歌とされます。ここでの「朝露」は、単なる儚さの比喩以上の意味を持ちます。「いつ消えてもおかしくない露のような私の命なのだから、それを惜しむ必要はない。ならば、消えるまでの間はすべてあなたのものにしたい」という、命懸けの献身を表現しています。
 


一人称の「わ」と「あ」

 『万葉集』の歌の一人称の代名詞には、ワガ・ワレのようなワ系の語と、アガ・アレのようなア系の語があります。どのように使い分けされるかについて、たとえば、一人称が「恋」という名詞に続く場合は、その殆どがア系の語が用いられているとの指摘があります。上の3690の「我(あ)が恋ひ行かむ」がそうですし、他にも「我(あ)が恋まさる」「我(あ)が恋やまめ」「我(あ)が恋わたる」などの例があります。一般的あるいは複数的に用いられる場合は、ワ系であるのに対し、ア系は、単数的、孤独的である場合に用いられているとされます。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。