| 訓読 |
2702
明日香川(あすかがは)水行き増(まさ)りいや日異(ひけ)に恋の増(まさ)らばありかつましじ
2703
真薦(まこも)刈る大野川原(おほのがはら)の水隠(みごも)りに恋ひ来(こ)し妹(いも)が紐(ひも)解く吾(われ)は
2704
あしひきの山下(やました)響(とよ)み行く水の時ともなくも恋ひ渡るかも
2705
はしきやし逢はぬ君ゆゑいたづらにこの川の瀬に玉裳(たまも)濡(ぬ)らしつ
2706
泊瀬川(はつせがは)早(はや)み早瀬(はやせ)をむすび上げて飽(あ)かずや妹(いも)と問ひし君はも
| 意味 |
〈2702〉
明日香川が流れ行くにつれて水かさが増すように、日ごとに恋が募ってきたら、生きていられなくなるだろう。
〈2703〉
大野川原の水の中に隠れているように、心の底で恋い焦がれてきた愛しいあの子の下紐を今やっと解くのだ、この私は。
〈2704〉
山の麓を音を響かせて流れ下る水のように、時を定めず、いつも恋い焦がれ続けていることだ。
〈2705〉
ああ愛しい、逢っても下さらないあの方ゆえに、甲斐もなく、川の瀬に裳を濡らしてしまいました。
〈2706〉
泊瀬川の急流の水を、手ですくいあげて飲ませてくれながら、「十分飲んだか、お前」と、優しく問うてくれたあなたは、ああ。
| 鑑賞 |
作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、いずれも「水辺」に寄せての歌。2702の「水行き増り」は、川の水が流れ増さって。上2句は「恋の増らば」を導く譬喩式序詞で、実景でもあります。「いや日異に」は、ますます日増しに。「増らば」は、増したならばという仮定ですが、実際にはすでに増し続けている現状を指します。「ありかつましじ」は「あり(生き長らえる)」「かつ(~し兼ねる/困難だ)」「ましじ(~そうにない/打消推量)」が組み合わさった言葉で、生きてはいられまい。片恋の嘆きを歌っており、男女どちらの歌とも取れます。『万葉集』において「川の水が増す」という表現は、しばしば抑えきれない感情の昂ぶりの比喩として使われます。明日香川は雨が降ればすぐに増水する川であったため、当時の人々にとって、川の勢いが増す様子は「募る恋心」を投影しやすい光景だったようです。
2703の「真薦」の「真」は美称で、湿地に生える薦のこと。「真薦刈る」は、「大野」や「淀」にかかる枕詞的な表現で、水辺の情景を鮮やかに描き出します。「大野川」は、法隆寺の傍を流れる富雄川の下流の名とも言われますが、未詳。上2句は「水隠りに」を導く譬喩式序詞。「水隠り」は、水に隠れる意と、ひそかに思う意との掛詞。「紐解く」は、下着(当時は着物の内側の紐)を解くことで、男女が共寝することを直接的に、かつ情緒的に表現した言葉。ようやく逢えて共寝をする男の歓びの歌とされ、前半の「水隠り」という抑制された表現と、結びの「紐解く」という開放的な動作のコントラストがこの歌の魅力になっています。
それまで誰にも知られないよう、水面下の流れのように静かに、しかし絶え間なく想い続けてきた月日があったからこそ、今、目の前で紐を解く瞬間の喜びが際立っています。
2704の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山下響み」は、山の麓を音を立てて激しく流れる様子。「響む」は、鳴り響く、騒ぐという意味で、非常にダイナミックな勢いを感じさせます。上3句は、水の流れの間断のない意で「時ともなく」を導く譬喩式序詞。「時ともなく」は、いつと時を定めずに、いつでも、の意で、自分の意志ではコントロールできないほど絶え間ないことを示します。「恋ひ渡るかも」の「~渡る」は、動作がずっと続くことを表す補助動詞で、ここでは「ずっと恋し続けているなあ」という詠嘆。「~行く水の」という序詞は集中に多く見え(巻第7-1100、巻第11-2430、巻第12-2860など)、いずれも不可逆の時間や永続する時間の譬喩となっています。男の歌が多いので、ここも同様かとされます。
2705の「はしきやし」の「はしき」がいとおしい、愛らしいの意の形容詞「はし」の連体形、「やし」は詠嘆の助詞。「はしきよし」とも言います。「いたづらに」は、無駄に、虚しく。目的が果たせなかったこと(あなたに逢えなかったこと)への徒労感を表します。「玉裳」の「玉」は、美称。美しく立派な裳(スカート状の衣服)のことで、美しい服を濡らすことは、それだけ準備をして着飾って出向いたという「期待感」と、それが裏切られた「悲哀」を強調します。この歌は『人麻呂歌集』の「愛しきやし逢はぬ子ゆゑに徒に宇治川の瀬に裳裾潤らしつ」(巻第11-2429)の異伝とされ、伝誦されて宇治以外の地でうたわれたのか、「宇治川」が「この川」に、「裳裾」が「玉裳」となって、さらに男の歌から女の歌に変わっています。女が川瀬の際で男を待っている姿であろうとされます。
2706の「泊瀬川」は桜井市の北方に発し、佐保川に合流する川。「早み早瀬」は、急流の意の熟語。「むすび上げて」は、手で水を掬い上げて。「飽かずや」は、飲み飽きないか、十分飲んだか、という問いかけ。「君はも」の「はも」は、眼前にいない人を思い嘆く意で、「は」と強く言い、「も」の詠嘆の助詞を添えたもの。一人川の流れを見つめる女が、今は別れてしまった男のことを思い、男がかつて川の水を飲ませてくれながら優しく自分に訊ねた言葉を思い出している歌です。そんな記憶が鮮明にあるからこそ、結びの「君はも」に、「あんなに優しかったあなたは、今はもういない」という現実と切なさが強く感じられます。

はし(愛し)
情愛をそそぐ気持ちや愛着の情を表す語。愛しい、慕わしい、可愛い、などの意。相手を讃美する気持を含み持つ。ハシ単独で詠み込まれるよりも、間投助詞の「やし」「よし」を下に伴って、「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」などの形で用いられることの方が多い。
ハシは、妻への情愛を表す例が最も多い。その他、深い親交のある友人や主人を慕わしく思う感情を表す例もある。原則として、離れた場所にいる相手を対象とするようだ。
『万葉集』では、ハシに「愛」の字があてられるが、同様に「愛」の字があてられる語にウツクシ・ウルハシ・メグシがある。ウツクシは、親子・夫婦・恋人どうしなど肉親に近い間柄で相手を慈しみたいという感情を表し、それ以外の者への視点を持たない点でハシとは区別される。ウルハシは、完璧な美しさや立派に整った理想の状態を賞美する讃詞で、情愛を表すハシとは異なる。メグシは、たえず気がかりを感じさせることを表し、相手を実際に目で捉えて生ずる感情であるのに対し、ハシは離れた場所にいる相手を思って抱く感情である点が異なる。また、類義語のカナシ(愛し)は、妻や恋人・子供などを慈しみ憐れむ気持ちを表し、どちらかというと切なさや悲哀の情に通じる点が異なる。
~『万葉語誌』から引用
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