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巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2707~2711

訓読

2707
青山の石垣沼(いはがきぬま)の水隠(みごも)りに恋ひや渡らむ逢ふよしをなみ
2708
しなが鳥(どり)猪名山(ゐなやま)響(とよ)に行く水の名のみ寄そりし隠(こも)り妻(づま)はも [一に云ふ 名のみ寄そりて恋ひつつやあらむ]
2709
吾妹子(わぎもこ)に吾(わ)が恋ふらくは水ならばしがらみ超して行くべくぞ思ふ [或本歌発句云 相思はぬ人を思はく]
2710
犬上(いぬがみ)の鳥籠(とこ)の山なる不知哉川(いさやがは)いさとを聞こせ我(わ)が名(な)告(の)らすな
2711
奥山(おくやま)の木(こ)の葉隠(はがく)りて行く水の音(おと)聞きしより常(つね)忘らえず

意味

〈2707〉
 青々とした山中に岩で囲まれた沼、その水が奥に隠れているように、心の奥底でひそかに焦がれ続けなければならないのだろうか。逢う手だてがないので。
〈2708〉
 猪名川が音を響かせて流れ行く水音のように、噂ばかり立てられて、逢えない私の忍び妻よ。(噂ばかり立てられて、逢えずに焦がれてばかりいるのか)
〈2709〉
 愛しい妻を私が恋しく思う気持ちは、水であったならば、しがらみさえ乗り越えて行くように思われる。(思ってもくれない人を思う気持ちは)
〈2710〉
 犬上の鳥籠の山辺の不知哉川(いさはやがわ)ではないけれど、いさ(さあね)ととぼけて、私の名は言わないで下さい。
〈2711〉
 奥山の木の葉に隠れて流れる水音を聞くように、噂を聞いた時から、ずっと忘れることができない。

鑑賞

 作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」で、いずれも「水辺」に寄せての歌。2707の「青山」は緑豊かな山の美称。「石垣沼」は、周囲を岩で囲まれた、ひっそりとした沼のこと。「水隠りに」は、水面下に隠れているように。ここまで、極めて秘密にしていることの比喩。「恋ひや渡らむ」は、(疑問・反語の「や」+連体形)の係り結びで、これからもずっと恋い続けていくのだろうか、の意。「逢ふよしをなみ」は、逢うための手段がないので。人目に触れない場所で、出口のない恋に身を焦がす苦しさを描いている歌で、「恋ひや渡らむ」という問いかけには、「これからもずっと、この苦しさが終わることはないのだろうか」という、未来に対する暗い予感と諦念が漂っています。なお、この歌は、古今六帖や拾遺集に、初句を「おく山の」として載せられています。

 
2708の「しなが鳥」は水鳥のカイツブリかといい、居並ぶ性質のあるところから「猪名山」にかかる枕詞。「猪名山」は、兵庫県猪名川町付近の、猪名川の水源をなす山とされます。「響に」は、音高く響いて。上3句は「名のみ」を導く序詞。「名のみ寄そりし」は、名前(噂)ばかりが関係があるとして結びつけられた。実際に深く逢瀬を重ねたわけでもないのに、世間の評判だけが広まってしまった状況です。「隠り妻はも」の「はも」は、強い詠嘆と追慕を表す終助詞。「~だなあ」「~であることよ」と、しみじみとした感情を込めます。周囲の人々から関係があると盛んに噂された男の、その実、口約束にすぎず、逢うこともかなわない妻を思っての歌とされます。

 
2709の「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で名詞形。「しがらみ」は、川の中に木や竹などで柵を作り、水を塞き止めるもの。ここでは、恋路を邪魔する障害、社会的な制約、世間の目などの比喩「超して」の原文「超而」を、コエテと訓むものもあります。「行くべくぞ思ふ」は、きっと行くだろうと思う。「べく(当然・可能・強い意志)」と係助詞「ぞ」による係り結びで、確信に満ちた強い決意を表しています。窪田空穂は、「自身の恋の心を、知性的に説明したものである。感のない詠み方である。後世これが流行して一つの型となったもので、その先行である」と述べています。

 
2710の「犬上の鳥籠の山」は、志賀県彦根市東南の山。「不知哉川」は、その山の南麓を流れる川。上3句は「いさ」を導く同音反復式序詞。「いさ」は、知らないという意をあらわす間投詞。「いさとを聞こせ」の「を」は、感動の助詞。原文では「二五」となっており、九九の「二×五=十(とを)」が隠されています。「聞こせ」は「言え」の敬語。「いさ(さあ、知らない)」とおっしゃってください、の意。「告らす」は「告る」の敬語。上代では、男女互いに相手の名を漏らさないというのは常識になっていて、警告などするに及ばないものですが、それを敢えてこのように言っているのは、その関係を大切に守ろうとする心からであると察せられます。

 
2711の上3句は、人里離れた深い山の、さらに木の葉に覆われて姿の見えないせせらぎ、という極めて限定的で隠微な情景を描いているもので、「音」を導く譬喩式序詞。「音聞きしより」の「音」は、行く水の音と噂の意味との掛詞。「聞きしより」は、聞いて以来。「常忘らえず」は、常に忘れられない。「らえ」は可能の助動詞「らゆ」の未然形。「ず」は打ち消し。美しい女の噂を聞いて、憧れの気持ちがやまないことを歌っています。
 


『万葉集』の史料的価値

 『万葉集』は、単なる最古の歌集という文学的枠組みを超え、古代日本を知るための第一級の歴史史料として極めて高い価値を持っています。その内容は、大きく以下の3つの視点から整理できます。

  1. 複層的な社会構造の記録
     『万葉集』の最大の特徴は、天皇や貴族から、防人や東歌に代表される庶民まで、幅広い階層の歌が収められている点です。律令制下での重税や労役、徴兵(防人)といった厳しい現実が、当事者の視点から詠まれており、これらは『日本書紀』などの正史には現れにくい「民の生の声」を伝える貴重な記録となっています。
     また、 「東歌」に見られる当時の東国方言や風俗は、古代言語学や民俗学において、中央文化とは異なる独自の地域性を証明する唯一無二の史料となっています。
  2. 万葉仮名による言語学的価値
     漢字をその意味に関わらず日本の音を表記するために用いた「万葉仮名」は、上代日本語の姿を今に伝えるタイムカプセルの役割を果たしています。当時、 8つの母音体系(現在は5つ)が存在したことを示す音韻的証拠は、万葉集の表記の精密な分析から発見されました。
     また、「〜が〜なので」という理由を表すミ語法などの特殊な語法や、助詞・助動詞の変遷を辿る上で、これほど膨大かつ具体的なサンプルを持つ史料は他にありません。
  3. 政治史・精神史の補完
     正史である『日本書紀』や『続日本紀』が、公的・政治的な記録であるのに対し、『万葉集』は、当時の人々の精神構造や、権力争いの裏側にある感情を映し出します。たとえば 皇子たちの死を悼む挽歌には、公式記録では伏せられがちな政争の余波や、鎮魂の切実さが刻まれています。
     また、 大君(おおきみ)を神格化する神軍歌(かむいくた)や国見の歌からは、古代国家がどのようにして天皇の権威を宗教的・文化的に確立しようとしたかのプロセスが読み取れます。

 このように、『万葉集』は文学作品でありながら、言語学、民俗学、政治学、社会学といった多角的な学問領域において、日本の原像を解明するための不可欠な「証言者」といえます。

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