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巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2712~2716

訓読

2712
言(こと)急(と)くは中は淀(よど)ませ水無川(みなしがは)絶(た)ゆといふことをありこすなゆめ
2713
明日香川(あすかがは)行く瀬を早(はや)み速(はや)けむと待つらむ妹(いも)をこの日暮らしつ
2714
もののふの八十宇治川(やそうぢがは)の急(はや)き瀬に立ち得ぬ恋も吾(あれ)はするかも [一云 立ちても君は忘れかねつも]
2715
神(かむ)なびの打廻(うちみ)の崎の岩淵(いはぶち)の隠(こも)りてのみや吾(あ)が恋ひ居(を)らむ
2716
高山(たかやま)ゆ出(い)で来る水の岩に触れ砕(くだ)けてぞ思ふ妹(いも)に逢はぬ夜は

意味

〈2712〉
 噂が激しいようでしたら、通うのは一時お休み下さい。でも、水無川のように途絶えることはないように、決して。
〈2713〉
 明日香川の川瀬の流れが速いように、私が来るのが早いだろうと待っている妻であろうに、行けずにこの日を暮らしてしまった。
〈2714〉
 宇治川の早い瀬には立っていられないように、苦しさに押し流されてしまいそうな恋を、私はしています。(あんな急流に立っている時でさえ、あなたのことを忘れられない。
〈2715〉
 神なびの打廻の崎にある岩淵のように、私はひっそりと恋い焦がれるばかりであろうか。
〈2716〉
 高山から流れ出てくる水が岩に触れて砕け散るように、私も心砕けて嘆いている、妻に逢えない夜は。

鑑賞

 作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、いずれも「水辺」に寄せての歌。2712の「言急くは」は、人の噂が激しかったならば。「中は淀ませ」は、中間は淀んでいらっしゃいで、一時は通うのを中止して下さいの意。「水無川」は、表面の水の無い川で、「絶ゆ」の比喩的枕詞。「絶ゆといふことを」は、絶縁するということを。「ありこすなゆめ」の「こす」は願望、「な」は禁止。ないようにしてほしい。「ゆめ」は、決して。女が男に贈った警告の歌であり、川は常に激しく流れている(=情熱的である)必要はなく、勢いが強すぎれば噂が立ち、しがらみにぶつかります。あえて「淀ませる(連絡を控える、逢うのを控える)」ことで、周囲の目をそらし、関係を守ろうとする大人の冷静さが窺えます。

 
2713の「明日香川」は、明日香村の山中から北上し、大和川に合流する川。「瀬を早み」は、瀬の流れが速いので。上2句は「速けむ」を導く同音反復式序詞。「速けむと」は、早いだろうと思って。「待つらむ」の「らむ」は、現在推量。「妹を」の「を」は、妹であるものを、という逆接の意を含みます。「この日暮らしつ」は、今日という日を終えてしまった。「明日香川の瀬が速い」という描写は、単なる景色の説明ではなく、「川の流れがこれほど急であるように、あの子の待つ心も、時間が過ぎるのも、なんて速いのだろう」という、作者の焦りの心を映し出しています。そして、この歌の主眼は、自分自身の事情よりも、待っている妹の心情にあります。「今ごろ、庭に出て道を見ていないだろうか」「足音がするたびに私かと思っていないだろうか」という、待たせている側の身を切るような想像力が「待つらむ」という言葉に凝縮されています。

 
2714の「もののふの八十」は、もののふ(百官)には多くの氏がある意から「宇治」を導く序詞。「急き瀬に立ち得ぬ」は、あまりの流れの速さに、踏ん張って立っていることができない。「立ち得ぬ」までが、恋の激しさの比喩。「恋も吾はするかも」の「かも」は、強い詠嘆。男の恋の嘆きの歌であり、恋の苦しさを、立っていられないという肉体的な感覚に置き換えている点が特徴的です。ただ、どういう事情によるかには触れておらず、あるいは世間の噂が激しいために恋を遂げられずにいることを言っているのでしょうか。

 
2715の「神なび」は、神が降臨する山。ここは明日香の雷の丘か。「打廻の崎」は、明日香川に向って突出した崎の名とされますが、所在未詳。「岩淵」は、岩に囲まれて水が深く溜まっている場所。流れが止まり、底が深いため、容易には外から窺い知れない心の比喩となります。上3句は、「隠り」を導く序詞。「隠りてのみや」は、ひたすら秘密ばかりにしてか。「のみ」は限定、「や」は疑問の係助詞。打廻の崎近くに住む男の、恋している女に打ち明けかねて悩んでいる歌とされます。前歌の「川の瀬」の騒がしさから一転、非常に静謐で、かつ重苦しい孤独感を描いています。

 
2716の「高山ゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。上3句は、岩に触れの続きで「砕けて」を導く序詞。「岩に触れ 砕けてぞ思ふ」は、水が岩に当たって砕け散る物理的な現象と、自分の心が苦しみで粉々になる心理的な状態を重ねています。「ぞ」と「思ふ(連体形)」による係り結びで、感情の激しさを強調しています。妹に逢えない夜の苦しい気持を詠んだ男の歌ですが、窪田空穂は、「序詞から『破れて』までの続きが、素朴にすぎてかえってわざとらしい感を与えるものとなっている」と述べています。
 


『万葉集』に見られる信仰・呪術

  • 言霊(ことだま)信仰
    『万葉集』を象徴する最も根底にある信仰で、「発した言葉はそのまま現実の事象として実現する」という考え方です。歌にみる表現としては、「言霊の幸(さき)はふ国」(言葉の霊力によって幸福がもたらされる国=日本)というフレーズが有名です。良い言葉を発すれば良いことが起き、不吉な言葉を口にすれば災いが降りかかると信じられていたため、言葉選びには極めて慎重でした。たとえば、 旅立つ人に対して「無事に帰る」というポジティブな言葉を歌に詠み込んで贈ることは、それ自体が強力な安全祈願のおまじないでした。
  • 恋のおまじない・兆し(占)
    万葉びとにとって、恋は命がけの関心事であり、相手の気持ちを知るため、あるいは自分を思ってくれているかを確認するために、身の回りの現象を占いやおまじないに結びつけていました。たとえば、「袖を振る」行為は、 単なる挨拶ではなく、「相手の魂を呼び寄せる・引き寄せる」という求愛の呪術的な意味を持っていて、人に見られないように袖を振る歌などが残されています。また、下紐の解け、すなわち 着物の内側の紐が自然と解けるのは、「愛する人が自分を強く想ってくれている兆し」とされました。占いとしては、夕方に道行く人の話し声(言葉の断片)を拾って吉凶を占う「夕占」や、歩く足音や足の運びで占う「足占」があり、恋の成就を占うのによく使われました。
  • 旅の安全を祈る呪術
    住み慣れた土地(土地の神の庇護下)を離れて旅に出ることは、当時は命がけの行為でした。そのため、旅路や留守宅では様々な防御の呪術が行われました。たとえば、草結びといって、旅の途中で草の葉を結び合わせることで、「自分の魂をその土地に留め置き、道中の安全を確保する」「無事に帰るための呪的な絆とする」というものがありました。また、着物の裾を結ぶなどして、自分の魂が身体から抜け出て(あるいは旅先で迷子になって)衰弱するのを防ぐおまじない(魂結び)などがありました。
  • 土地の神や自然への信仰
    山や海、川にはそれぞれ強力な神々(地主神・荒魂など)が宿っていると考えられていました。そのために行われた「国誉め(くにほめ)」は、支配者や旅人がその土地の景観を「素晴らしい、豊かな土地だ」と褒め称える歌を詠んで、土地の神を喜ばせ、その加護を得るための重要な儀礼的呪術でした。また、山を恐れ、鎮める行為として、険しい峠を越える際、手向け(たむけ)として幣(ぬさ=神に捧げる布や紙)を捧げ、山の神の怒りを鎮めようとしました。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。