| 訓読 |
2722
吾妹子(わぎもこ)が笠の借り手の和射見野(わざみの)に吾(われ)は入りぬと妹(いも)に告げこそ
2723
数多(あまた)あらぬ名をしも惜(を)しみ埋(うも)れ木の下(した)ゆぞ恋ふる去方(ゆくへ)知らずて
2724
秋風(あきかぜ)の千江(ちえ)の浦廻(うらみ)の木積(こつみ)なす心は寄りぬ後(のち)は知らねど
2725
白真砂(しらまなご)三津(みつ)の黄土(はにふ)の色に出(い)でて云はなくのみぞ我(あ)が恋ふらくは
2726
風吹かぬ浦に波立ち無き名をも吾(われ)は負(お)へるか逢ふとはなしに [一云 女と思ひて]
| 意味 |
〈2722〉
愛しいあの子の笠のかりての輪、その和射見野(わざみの)にやっとさしかかった。誰かあの子に告げてくれないだろうか。
〈2723〉
一つしかない私の名を惜しんで、埋もれた木のように心密かに恋している。その恋の行方も分からずに。
〈2724〉
秋風の吹く千江の浜辺に木の屑が打ち寄せられるように、私の心はあなたに寄せられました。行く末を知ることはできないけれど。
〈2725〉
白砂の続く三津の浜の埴生が色鮮やかなように、顔色には出ても、口に出さないだけです、私の恋する思いは。
〈2726〉
風も吹かない浦に波が立ったかのように、ありもしない噂を立てられてしまった。あの人と逢うこともないままに。(人を女だと見くびって)
| 鑑賞 |
作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首。2722~2724は「水辺」に寄せての歌。2722の「笠の借り手」は、笠の内側に付けた輪のことで、これに緒を通して被ります。上2句は、その輪と同音の「和射見野」を導く序詞。「和射見野」は、岐阜県の関ケ原町野上付近。「告げこそ」の「こそ」は、他者に対する強い願望。西から東へと旅する男の、旅先での無事を告げる歌と見られます。窪田空穂は、「『吾妹子が笠の借手の』という序詞は、恋いつづけている妹を、自分も被っている笠から連想したものであろう。語少なく、深いあわれを述べた歌である」と述べています。
2723の「数多あらぬ名」は、たくさんあるわけではない名前、つまりただ一つの名ということを強調した表現。「埋もれ木の」は、地下にある意で「下」にかかる枕詞。「下ゆぞ恋ふる」の「下」は、心の中。「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「去方知らずて」は、恋の成り行きがどうなるかも分からないで。この恋が成就するのか、破綻するのか、先の見通しが全く立たない不安を露呈しています。名を重んずる気持ちと恋との相克をうたった男の歌で、例の少なくないものです。
2724の「秋風の」は、秋風の吹く。「千江の浦廻」は、石見とも近江ともいわれますが、所在未詳。「木積なす」は、木の屑のように。3句までが比喩で、独特ながらもよく調和しています。「心は寄りぬ」は、心が(相手に)寄り添ってしまった。「ぬ」は完了の助動詞で、「自分の力ではもう戻せないところまで来てしまった」という決定的な変化を表します。「後は知らねど」は、その後の(将来の)ことは分からないけれど。男の誘いのままに靡いた女の心を歌っており、将来のことを不安に思うものの、現在の男との関係に満ち足りています。一方で、自分のことを客観的に見つめているようなところがあり、複雑な乙女心といったらいいのでしょうか。
2725・2726は「海」に寄せての歌。2725の「白真砂」は、白く細やかな砂の意で、「三津」の枕詞的修飾語。「三津」は、住吉の三津で、布を染める黄色の埴土が有名でした。上2句は、「白い砂」と「赤い土」という鮮烈なコントラストの提示により、「色に出でて」を導く譬喩式序詞。「色に出でて」は、表情や態度に現れること。「云はなくのみぞ」は、言わないだけです。「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で名詞形。男が土地の女に訴えた歌かとされ、言葉に出して言わないという抑制が、逆に「言いたくてたまらない」「隠しきれないほど膨らんでいる」という恋の重さを強調しています。なお、3句以下が同じ歌が巻第14「真金吹く丹生の真朱の色に出て言はなくのみぞ吾が恋ふらくは」(3560)にあり、序詞の部分のみ変えて多く歌われたことを想像させます。
2726の「風吹かぬ浦に波立ち」は、風がないのに波が立つはずがない、という道理を背景にし、3・4句のわけもなく噂を立てられることの譬喩。「無き名」は、事実ではない噂。「吾は負へるか」の「か」は詠嘆で、私は負ったものだ。「逢ふとはなしに」は、(実際には)逢ったわけではないのに。「逢う」は単に面会することではなく、当時の文脈では「男女が深い関係になる」ことを意味します。女の歌とされ、『古典大系』には「譬喩に理が入って来て居て浅い」との評があります。

序詞について
序詞(じょことば)は和歌の修辞法の一つで、表現効果を高めるために譬喩・掛詞・同音の語などを用いて、音やイメージの連想からある語を導くものです。枕詞と同じ働きをしますが、枕詞が1句以内のおおむね定型化した句であるのに対し、序詞は一回的なものであり、音数に制限がなく、2句以上3、4句に及び、導く語への続き方も自由です。以下に序詞の用例を列記します。青色の句が序詞で、赤色の語句がそれに導かれた語です。
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