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巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2727~2731

訓読

2727
酢蛾島(すがしま)の夏身(なつみ)の浦に寄する波(なみ)間(あひだ)も置きて吾(わ)が思はなくに
2728
近江(あふみ)の海(うみ)沖つ島山(しまやま)奥(おく)まへて我(あ)が思ふ妹(いも)が言(こと)の繁けく
2729
霰(あられ)降り遠(とほ)つ大浦(おほうら)に寄する波よしも寄すとも憎(にく)くあらなくに
2730
紀(き)の海の名高(なたか)の浦に寄する波(なみ)音高(おとだか)きかも逢はぬ子ゆゑに
2731
牛窓(うしまど)の波の潮騒(しほさひ)島(しま)響(とよ)み寄(よ)そりし君に逢はずかもあらむ

意味

〈2727〉
 酢蛾島の夏身の浦に寄せてくる波、その波が打ち寄せるほんのわずかな間(絶え間)も空けることなく、私はあなたのことを思っています。
〈2728〉
 近江の海の沖の島のように、心の奥から思い定めている彼女には、浮いた噂が絶えない。
〈2729〉
 遠くの大浦に寄せる波のように、たとえ噂が寄せられても構わない、あの人が嫌なわけではないのだから。
〈2730〉
 紀伊の名高の浦に打ち寄せる波のように、音高く世間が二人の噂をする。逢ってもいないあの子なのに。
〈2731〉
 牛窓の潮騒が島に鳴り響くように、私との噂を立てられたあの方に、このまま一度も逢えずに終わってしまうのだろうか。

鑑賞

 作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、いずれも「海」に寄せての歌。2727の「酢蛾島の夏身の浦」は所在未詳ながら、三重県の鳥羽湾にある答志島の南、菅島との説があります。上3句は「間も置きて」を導く譬喩式序詞。絶え間なく打ち寄せる波の視覚的なイメージが、そのまま「止まることのない恋心」へと接続される構造です。「間も置きて」は、間隔を空けて、時間的な絶え間をおいて。「思はなくに」の「なくに」は、〜ないのだから、〜ないことだよ、の意で、強い否定を伴う強調。絶えず思っていることを浜の波に寄せて言っているもので、男女どちらの歌とも取れます。

 
2728の「近江の海」は、琵琶湖のこと。上2句は、オキとオクの類音で「奥」を導く序詞。「沖つ島山」は、近江八幡市の沖合の沖島。「奥まへて」は、心の奥深くに秘める、心に深く期する、といった意味。「繁けく」は「繁し」のク語法で名詞形。人麻呂歌集にある2439の歌とほぼ同じです。

 
2729の「霰降り」は、霰が降ってトホトホと音を立てる意で「遠つ」にかかる枕詞。「大浦」は、琵琶湖の北端、滋賀県西浅井町大浦。上3句は「よしも寄す」を導く同音反復式序詞。「よし」は「たとえ~でも」の意の副詞。「寄す」は、関係があると噂する。女性の歌と見られ、冒頭の「霰降り」「寄する波」は、平穏な恋ではなく、相手の勢いに押され、翻弄されている作者の状況を暗示します。霰の叩きつける情景が、その恋が決して楽なものではなく、周囲の目や葛藤を伴うものであることを感じさせます。「よしも寄すとも」という言葉には、抵抗しきれずに、あるいは抵抗することをやめて、相手の情熱に身を委ねる瞬間のカタルシスがあり、「もう、どうにでもして!」という、ある種の清々しいあきらめが漂っています。結びの「憎くあらなくに」が、この歌を一気に「恋の歌」として完成させており、激しく迫られて困っているようなポーズをとりつつ、最後には「でも、そんなに嫌じゃないのよ」と本音を漏らす。この言葉によって、荒々しい波の描写が、一転して「愛の熱量」へと読み替えられる仕掛けになっています。

 
2730の「名高の浦」は、現在の和歌山県海南市名高の海。上3句は、地名の「名高」を「名(評判・噂)が高い」意に掛けて「音高き」を導く譬喩式序詞で、ナダカとオトダカキの音感も利用しています。「音高きかも」の「音」は、噂の意、「かも」は詠嘆で、関係しているとの噂の高いことであるよ。「逢はぬ子ゆゑに」と、逢ってもいないのに、すなわ指一本触れていないのに噂を立てられた男の嘆きの歌ではありますが、むしろ明るく、楽しげでもあります。嘆きであると同時に、「そんなに噂になるほど、私はあの子に夢中だと思われているのか」という自覚も垣間見えないではありません。

 
2731の「牛窓」は、現在の岡山県邑久郡牛窓。古来、備前海上の一水駅として栄えました。「潮騒」は、潮の流れによって生ずる波のざわめき。「島響み」は、島をさわがせて。ここまで、牛窓の島全体の評判になったことの譬喩。上2句を「島響み」を導く譬喩式序詞と見るものもあります。「寄そりし君」は、関係があるかのように噂されたあなた。「逢はずかもあらむ」の「かも」は疑問で、逢わないまま終わるのだろうか。強い不安や反語的な嘆きが含まれています。別の解釈として、仲介者によって婚約したにも拘わらず、妻問いをしない男に対しての訝りと不安をいっている女の歌とする説もあります。文学者の犬養孝は、「あるいは港の遊行女婦(うかれめ)などにうたわれた歌かもしれない。潮騒どきの牛窓の海景とよくむすびついた歌だ」と述べています。
 


山陽道について

 山陽道は大和と筑紫とをつなぐ重要官路としての大路であるし、沿岸航路は古代にもいわば”海の廊下”として交通の要路であった。万葉の歌によると陸路よりも海路のほうがより多く利用されたようである。松浦船・筑紫船・熊野船・伊豆手船など各種の船の往還が見られたろう。それは筑紫をつなぐばかりでなく大陸をもつなぐものといってよい。筑紫派遣の官人・防人らはもちろん、遣唐使・遣新羅使人らの往還があった。ことに天平8年(736年)の遣新羅使人らの一行は西の方周防灘にかけて島・浦・湊、岬と抒情のあとをのこしている。

 こんにちのような観光瀬戸内海といった気分とはまったく異って、来る日も来る日も潮と波の不安のなかにおかれた命をかけた船路の連続である。延喜式によれば大和と筑紫のあいだは「海路卅日」とあるが、それも天気次第のことで、さらに多くの日数を要したのであろう。

 山陽沿海の歌の大部分が定住者の歌ではなく、中央派遣の人々の歌であることは注目される。当時の歴史社会的な条件を背負った人々が内海の風土におかれての抒情である。その上、ひと月にもおよぶ船旅であることを思うとき、かれらの旅愁・望郷・妻恋の心情の姿勢も理解されてくるのだ。

 歌・題詞・左註に出る地名を延べて数えて岡山県(備前・備中)に約15、広島県(備後・安芸)に約20、山口県(周防・長門)に約20。岡山県の牛窓から周防の海にかけて沿海各地に万葉の故地を数えることができる。失われてゆく風土のかげにも、なお古代の抒情はひそんでいる。

~『万葉の旅・下』犬養孝著/平凡社から引用

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