| 訓読 |
2732
沖つ波(なみ)辺波(へなみ)の来寄(きよ)る佐太(さだ)の浦のこの時(さだ)過ぎて後(のち)恋ひむかも
2733
白波の来寄(きよ)する島の荒礒(ありそ)にもあらましものを恋ひつつあらずは
2734
潮(しほ)満(み)てば水沫(みなわ)に浮かぶ細砂(まなご)にも吾(われ)は生けるか恋ひは死なずて
| 意味 |
〈2732〉
沖からの波や岸辺の波が打ち寄せる佐太の浦の、この時(さだ)が過ぎてしまえば、後で恋しくなるだろう。
〈2733〉
白波が来て寄る島の荒磯であったらよかったのに、こうして恋い焦がれてばかりいるよりは。
〈2734〉
潮が満ちてくると、水泡と一緒にふわふわと浮き上がる細かい砂、そんな今にも消えてしまいそうなほどの手応えのない状態で、私はかろうじて生きているのだろうか。恋の苦しさで死ぬこともできずに。
| 鑑賞 |
作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」3首で、いずれも「海」に寄せての歌。2732の「沖つ波」は、沖の波。「辺波」は、岸辺に寄せる波。「佐太の浦」は、所在未詳。土佐国にも伊予国にも同名の岬があります。ここでは地名の響きが重要視されており、上3句は「さだ」を導く同音反復式序詞。「時(さだ)」は「しだ」と同じで、時、機会の意。どんな時なのか具体的には分かりませんが、平安時代には盛り時の意で用いられた例が見え、この場合も何某かの良い機会を指しているものと見られます。「後恋ひむかも」は、(あの時、勇気を出して逢っておけばよかったと)後で恋しさに苦しむことになるだろうか、の意で、詠嘆と不安の混じった表現です。男の歌とされます。一方、批判、障害の意として、「さだ過ぎて」を、「批判をやり過ごして」のように解する説もあります。
2733の「白波の来寄する」は、波が激しく打ち寄せることと、関係があると噂することを掛けています。「荒磯」は、海岸に現れている岩。「あらましものを」の「まし」は反実仮想で、~であったらよかったのに(現実はそうではない)。「恋ひつつあらずは」は、恋い続けているよりは(いっそのこと)。女性の歌とされますが、「荒礒にもあらましものを」の心境については解釈が分かれ、物思いのない状態を望む、人は来寄らずともせめて白波でも来寄せるのを懐かしむ、人間の世界から遠く離れることを望む、などとする説があり、「それにしても唐突に聞こえて、しっくりとは来ない」との評もあります。
2734の「水沫」は、水の泡。すぐ消えてしまう、儚いものの代名詞です。「細砂」は、細やかな砂。「真砂」とも書き、一粒一粒が軽く、波にさらわれればどこへ行くかも分からない砂。「吾は生けるか」は、私は生きていると言えるのだろうか(いや、死んでいるも同然だ)。原文「吾者生鹿」を「吾はなりてしか」と訓み、「いっそそんな砂にでもなりたい」と解する説もあります。「恋ひは死なずて」は、死ぬほど苦しいのに、恋心だけは死なずに(私を突き動かして)いる。普通は、生きているから恋をするのですが、この歌では、恋(感情)が死なないから、やむを得ず自分も(砂粒のような姿で)生き永らえているという逆転現象が起きています。自分の意志で生きているのではなく、消えない恋心によって「生かされている」という感覚です。夫に疎遠にされながらも恋い続けている女の歌とされます。

作者未詳歌
『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。
7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、畿内圏のものであることがわかります。
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【解答】 1.額田王 2.志貴皇子 3.大伴家持 4.持統天皇 5.山部赤人 6.大伴坂上郎女 7.柿本人麻呂 8.額田王 9.山上憶良 10.大伯皇女
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