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巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2735~2739

訓読

2735
住吉(すみのえ)の岸の浦廻(うらみ)に重(し)く波のしくしく妹(いも)を見むよしもがも
2736
風をいたみいたぶる波の間(あひだ)無く吾(あ)が思ふ君は相(あひ)思ふらむか
2737
大伴(おほとも)の御津(みつ)の白波(しらなみ)間(あひだ)無く我(あ)が恋ふらくを人の知らなく
2738
大船(おほぶね)のたゆたふ海に重石(いかり)下(お)ろしいかにせばかも吾(あ)が恋やまむ
2739
みさご居(ゐ)る沖つ荒礒(ありそ)に寄する波(なみ)行(ゆ)く方(へ)も知らず吾(あ)が恋ふらくは

意味

〈2735〉
 住吉の岸の浦辺に繰り返し寄せ来る波のように、しばしばあの子に逢える手立てがあればよいのに。
〈2736〉
 風が強くて激しく起こる波のように、絶え間なく私が思っているあの人は、同じく私のことを思っていて下さるだろうか。
〈2737〉
 大伴の御津に寄せては返す白波のように、絶え間なく私が恋い焦がれていることを、あの人は知ってくれない。
〈2738〉
 大船が揺れ動く海にいかりを下ろして留めるけれど、いかようにしたならば、私の恋はやむのだろうか。
〈2739〉
 みさごが棲んでいる沖の荒磯に寄せる波のように、行方も知れない、私の恋は。

鑑賞

 作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、いずれも「海」に寄せての歌。2735の「住吉」は、現在の大阪市住吉区。古くから風光明媚な地として知られ、神聖な「住吉大社」がある場所でもあります。「浦廻」は、海岸の入り組んだところ。「重く波」は、ひっきりなしに寄せてくる波。上3句は「しくしく」を導く同音反復式序詞。「しくしく」は、しきりに、何度も。原文「敷」で、シバシバと訓むものもあります。シバシバは見ル・逢フ・言問フなどを修飾する場合が多く、シクシクは思フ・恋フを修飾する場合が多いといいます。「よしもがも」の「よし」は方法・手段、「もがも」は願望で、~する方法(手段)があればいいのになあ。

 
2736の「風をいたみ」は「~を・・・み(~が・・・なので)」という語法で、風が強いので。「いたぶる波」は、激しく起こる波。上2句は「間無く」を導く譬喩式序詞。「間無く」は、絶え間なく、休みなく。「相思ふらむか」は、私と同じように思っているだろうか。荒れ狂う海を目の前にした時の「心のざわつき」を、そのまま恋の不安に投影している歌です。土屋文明は、「吾のみ間無く思うのに、人は如何あろうかと疑う心持であるが、怨むのでもない、しとやかな感じである。女性の立場の歌と思われる」と言い、佐佐木信綱は、「波の激しいことは、同時に恋心の激しさをあらわしている」と言っています。

 
2737の「大伴の御津」は、難波津の別名で、現在の大阪市中央区付近にあった古代の港。難波宮の玄関口として官用の港であるので「御」を冠したもの。大伴氏の所領があった地です。上2句は「間無く」を導く譬喩式序詞。「間無く」は、絶え間なく。「恋ふらく」「知らなく」は、いずれもク語法の名詞形。自分の恋い焦がれていることを相手は知らないという片恋の嘆きで、賑やかな御津での目に見える激しい白波と、目に見えない激しい恋心の対比が、作者の疎外感をより深く描き出しています。男女どちらの歌とも取れます。

 
2738の「たゆたふ」は、揺れ動く、漂う。「重石」は、船を固定するための重り。当時は石を縄で縛ったものが使われていました。上3句は「いかに」を導く同音反復式序詞。「いかにせばかも」は、どのようにすれば~だろうか。「吾が恋やまむ」は、私の恋が止まるだろうか。溢れ出して止まらない感情に困り果てている様子です。佐佐木信綱は、「序詞部分が恋に動揺してやまぬ心と、それを鎮めようとする心もちを暗示する」と述べています。人麻呂歌集の「大船の香取の海に碇おろし如何なる人か物念はざらむ」(2436)と似ており、窪田空穂は、「その歌心を進展させたごとき関係のもの」と述べています。

 
2739の「みさご」は、海の魚を餌とする鷹の一種。「沖つ荒磯」は、沖にある岩で、みさごが魚を捕える場所。「荒(あら)」という響きが、恋心の平穏でない様子を象徴しています。上3句は「行く方」を導く譬喩式序詞。「行く方も知らず」は、どこへ向かうのか分からない。波が岩に当たって砕け、散乱する様子と、解決策のない恋に彷徨う心の両方を表しています。「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で名詞形。成就するあてのない片恋をしている男の嘆きの歌です。
 


『万葉集』の歌番号

 『万葉集』の歌に歌番号が付されたのは、明治34~36年にかけて『国歌大観歌集部』(正編)が松下大三郎・渡辺文雄によって編纂されてからです。「正編」には、万葉集・新葉和歌集・二十一代集・歴史歌集・日記草紙歌集・物語歌集を収め、集ごとに歌に番号が付されました。これによって、国文学者らは、いずれの国書にでている和歌なのかをたちどころに知ることができるようになりました。『万葉集』の歌には、1から4516までの番号が付されています。ただ、当時のテキストとなった底本は流布本であり、またそれまでの研究が不十分だったために、一首の長歌を二分して二つの番号を付す誤りや、「或本歌」の取り扱いなどの問題もあり、4516という数字が『万葉集』の歌の正確な総数というわけではありません。しかし、ただ番号を付すというそれだけのことで、その後の国文学研究は大きく進展したのです。

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窪田空穂と『万葉集』

 歌人であり国文学者でもあった窪田空穂(くぼたうつぼ:1877〜1967年)にとって、『万葉集』の研究は生涯をかけた一大事業であり、彼の短歌論の精神的支柱でした。賀茂真淵をはじめとする江戸期の国学者が「古道」や「精神の復古」を重視したのに対し、空穂の万葉研究は「一人の歌人としての共感」と「近代的・人間心理的なアプローチ」に大きな特徴があります。

  1. 記念碑的業績『万葉集評釈』
     空穂の万葉研究の集大成が、全12巻(索引含め13冊)に及ぶ巨著『万葉集評釈』です(当サイトでもっとも多く引用している文献です)。それまでの万葉集の注釈書(仙覚の『万葉集抄』、真淵の『万葉考』、鹿持雅澄の『万葉集古義』など)の成果を踏まえつつも、空穂は独自の視点を貫きました。単なる言葉の歴史的解釈(語釈)にとどまらず、「その歌が詠まれた時、作者の心はどう動いていたのか」という作者の心理や感情のダイナミズムを、緻密かつ平易な現代語で解き明かしたのです。歌人としての鋭い感性をもって一首一首の「調べ」や「息遣い」を追体験するようなその評釈は、今なお万葉集研究・鑑賞の最高峰の一つとして高く評価されています。
  2. 『万葉集』に見た「人間性の真実」
     空穂は『万葉集』の魅力を、技巧の洗練ではなく「むき出しの人間性」に見出しました。空穂は、後世の和歌(古金・新古今など)が「理知」や「ことばの遊芸」に傾斜していったのに対し、万葉の歌は「情感」そのものが結晶化したものであると捉えました。天皇や貴族の歌だけでなく、防人や東国の庶民が詠んだ歌(東歌・防人歌)に、人間の生々しい生活の哀歓や、飾らない愛情がそのまま表現されていることに深く共感しました。彼は「歌とは、生活のなかで心が動かされたときに自然と湧き出るもの(生活詠)」という信念を持っており、その理想の姿を万葉の歌人たちに重ね合わせていたのです。
  3. 実作への反映~独自の「写実」と「生活」
     空穂は、正岡子規や斎藤茂吉らの「アララギ」とは異なる独自の写実主義(『国民文学』を主宰)を歩みましたが、その根底にはやはり万葉精神が流れていました。アララギ派が「万葉集の言葉や調べ(写生)」を直接的に模倣する傾向があったのに対し、空穂は万葉の「精神(人間や自然に対する、直截で嘘のない眼差し)」を現代の日常に活かそうとしました。彼の代表歌である、若くして先立たれた妻を悼む一連の「愛子(かなしご)のうた」などに見られる深い人間愛と哀傷は、万葉の相聞歌や挽歌(特に山部赤人や山上憶良、あるいは大伴家持らが見せた、他者や家族への深い慈しみ)に通じるものがあります。
     空穂の評釈を読めば、1200年以上前の万葉人が、現代の私たちと全く変わらないことで悩み、恋し、涙していたことが鮮やかに伝わってきます。彼は、難解な『万葉集』を「学問の書」から「血の通った人間の告白録」へと開き直した、最大の功労者と言えます。
古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。