| 訓読 |
2740
大船(おほぶね)の艫(とも)にも舳(へ)にも寄する波(なみ)寄すとも吾(われ)は君がまにまに
2741
大海(おほうみ)に立つらむ波は間(あひだ)あらむ君に恋ふらく止(や)む時もなし
2742
志賀(しか)の海人(あま)の火気(けぶり)焼き立てて焼く塩の辛(から)き恋を吾(あれ)はするかも
2743
なかなかに君に恋ひずは比良(ひら)の浦の海人(あま)ならましを玉藻(たまも)刈りつつ
2744
鱸(すずき)取る海人(あま)の灯火(ともしび)外(よそ)にだに見ぬ人ゆゑに恋ふるこのころ
| 意味 |
〈2740〉
大船の船尾にも舳先にも寄せる波のように、どのように噂を言い立てられても、私はあなたのお気持ちに従います。
〈2741〉
大海に立つ波でも、時には絶え間があるでしょう。でも、私があなたに恋い焦がれる気持ちには休むときがありません。
〈2742〉
志賀の海人が煙を立てて焼く塩が辛いように、何とも辛(つら)い恋を私はしている。
〈2743〉
なまじあの方に恋したりしないで、比良の浦の海人のままでいたほうがよかった、玉藻を刈りながら。
〈2744〉
鱸を釣る海人の灯火のように、遠くからでさえ見たこともない人なのに、近ごろしきりに恋しく思う。
| 鑑賞 |
作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、いずれも「海」に寄せての歌。2740の「艫にも舳にも」は、船尾からも船首からも。「寄する波」は、外部からの障害、世間の厳しい噂、あるいは心を揺さぶる不安を指します。上3句は「寄す」を導く同音反復式序詞。「寄すとも」は、関係があると噂されるとも、の意。一方、どこの誰に言い寄せようとも、と解する説もあります。また、原文「依友」を、ヨルトモと訓むものもあります。「君がまにまに」は、あなたの思うままに。ちなみに原文は「君之任意」。荒波の中を進む船のダイナミズムを借りて、恋愛における「覚悟」を美しく描き出している歌です。
2741の「立つらむ」の「らむ」は、現在推量。「間あらむ」は、(波が止む)隙間や、休止する時間があるだろう。「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で名詞形。「止む時もなし」は、一瞬たりとも途切れることがない。「波」という自然界の永続的な動きさえも追い越してしまう、人間の情念の強さを表す結びです。序詞を用いず、絶えず恋う譬喩として波の絶え間なく寄せるさまを詠む一般的な表現をくつがえし、「立つらむ波は間あらむ」としたところに新しさがあります。
2742の「志賀」は、福岡県志賀島。「火気」は、火の気、転じて煙。上3句は「辛き」を導く譬喩式序詞。「辛き」は、塩辛い、で、「苦しき」を言い換えたもの。人に知られることを厭わない真剣な恋の歌ですが、類想の歌が多く、民謡風にうたわれ変形されていったものと見えます。なお、左注には「あるいは石川君子朝臣が作る」歌とあります。巻第3に志賀の海女を詠んだ歌(278)があります。なお、「藻塩焼く」という古代の製塩は、海藻に塩分を付着させ、それを焼いて濃縮した塩水を作るという大変な労力を伴う作業でした。
志賀島は、博多湾の北部に位置し、現在は海の中道と砂州でつながる周囲8kmの小島で、天明4年(1784年)の「漢委奴国王」の金印出土で知られるように、大和朝廷が成立する以前から奴(な)国に属して大陸との交渉をもっていました。古代には、北九州海域にわたる海人族の根拠地であり、大宰府の官人や遣新羅使らの往還で、志賀の海人(あま)は都にまでも広く知られていたようです。『万葉集』中、「志賀」の名が出る18の歌のうち、「志賀のあま」は10を数えます。
2743の「なかなかに」は、なまじっか、中途半端に。「比良の浦」は、琵琶湖西岸の比良山系の麓に広がる海岸。「海人ならましを」は、海人であろうものを。「玉藻刈りつつ」は、玉のように美しい藻を刈りながら。「刈る」という単純な反復作業は、複雑に絡まり合った「恋の悩み」とは対極にある、迷いのない清らかな生活の象徴です。窪田空穂は、「ある程度の身分のある女で、疎遠がちにする夫に対して苦しい思いを続けている女が、比良の浦の海人の思いなげな生活振りを見て、羨しく感じた心である。類歌の多いもので、『何ならましを』は慣用されていた言い方である」と述べています。
2744の「鱸取る」の「鱸」は、夜行性の魚であり、夜に火を焚いておびき寄せる「火振(ひぶり)漁」が行われていました。上2句は、夜釣りをする海人の灯火のように遠く見えるようにの意で「外に見る」を導く譬喩式序詞。「外にだに見ぬ人」は、よそながらにさえ見ない人。直接会うことはおろか、遠くから姿を拝むことさえできない相手。夜の海に浮かぶ漁火は、陸地から見れば非常に美しく、はっきりとその存在を確認できます。しかし、その火は荒波の上にあり、近づくことはできません。作者は「漁火なら遠くからでも見えるのに、私の恋う人はその漁火ほどにも見ることができない」と嘆くことで、存在は知っているのに、姿すら見えないというもどかしさを強調しています。

ク語法とは
用言(動詞や形容詞)の語尾に「く(らく)」を付けて、全体を名詞のように扱う表現のこと。主に古典日本語に見られ、「~すること」「~ところ」「~もの」といった意味を表します。「言はく」「語らく」「老ゆらく」「悲しけく」「散らまく」などがその例で、現代語においても「思わく(思惑は当て字)」「体たらく」「老いらく」などの語が残っています。
ク語法は、中国の漢文を日本語として読む際、名詞節を構成するために重宝されました。荘重で改まった響きを持つため、格調高い歌や祝詞(のりと)などにも多く見られます。名詞化することで、自分の感情を客観的に提示し、それを強調する効果があります。言わば、言葉を「動詞(動くもの)」のままにせず、一瞬止めて「名詞(形あるもの)」として差し出すようなイメージです。
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