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巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2755~2759

訓読

2755
浅茅原(あさぢはら)刈(か)り標(しめ)さして空言(むなごと)も寄そりし君が言(こと)をし待たむ
2756
月草の仮(か)れる命(いのち)にある人をいかに知りてか後(のち)も逢はむと言ふ
2757
大君(おほきみ)の御笠(みかさ)に縫(ぬ)へる有間菅(ありますげ)ありつつ見れど事なき吾妹(わぎも)
2758
菅(すが)の根のねもころ妹(いも)に恋ふるにしますらを心(ごころ)思ほえぬかも
2759
吾(わ)が宿の穂蓼(ほたで)古幹(ふるから)摘み生(お)ほし実になるまでに君をし待たむ

意味

〈2755〉
 浅茅原に草刈りの標を立てるような、空しい嘘でもよいから、私との噂が立ってしまったあなたからの直接の言葉をお待ちします。
〈2756〉
 露草の花のようにかりそめの命である人の身を、どのように思っていて、いずれ逢いましょうとおっしゃるのか。
〈2757〉
 大君の御笠にと編んでいるみごとな有馬の菅、その名のようにありのままずっとあなたを見続けているが、申し分のないあの子だ。
〈2758〉
 心の底から妻のこと恋しく思っているので、私は立派な男子らしい心がなくなってしまった。
〈2759〉
 我が家の庭の穂になった蓼の古い茎、その実を摘んで蒔いて育て、やがてまた実になるまで、私はあの人を待っています。

鑑賞

 作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、いずれも草に寄せての歌。2755の「浅茅原」は、草丈の低い茅(ちがや)が生えている原。「刈り標さして」は、自分の刈り場所としての標をして。上2句は、茅は刈り草としての価値がなく、わざわざ標をする必要のない物であるから、譬喩として「空言(嘘、実のない言葉)」を導く序詞。「寄そりし」は、関係があると噂された。あるいは、仲介する人によって取り持ちされた意と解するものもあります。「君の言をし待たむ」の「し」は、強意の副助詞。あてのない男心を頼りにする女性の気持ちを詠む歌です。

 
2756の「月草」は、夏に藍色の花を咲かせるツユクサで、布を染めるのに使われました。「月草の」は、その色がさめ易い、あるいはすぐに萎れることから、「仮れる」にかかる枕詞。「仮れる命」は「仮合の身」のことで、人はこの世に仮の姿・仮の命で生まれてきているという仏教の考え。「いかに知りてか」は、どのように思ってのことか。「後も逢はむ」は、また今度、後日またという再会の約束。男女どちらの歌とも取れますが、求婚した女から、いずれと婉曲に断られたのに対し不満を言っている男の歌とされます。

 
2757の「大君の御笠」は、天皇がお使いになる笠。「有間菅」は、摂津国の有馬(今の神戸市・三田市)で産する菅。名産として御料としての貢物になっていたとされます。上3句は「ありつつ」を導く同音反復式序詞。「ありつつ見れど」は、いつまでもこうして見続けているが。「事なき」は、非難すべき点がない、変わることのない。馴染み深い素材や地名を使いながら、妻への深い信頼を表現しており、天皇の笠に用いられるほどの良質な菅を引き合いに出すことで、妻を、尊く質の良い、確かな存在として称えています。窪田空穂は、「永らく見続けていても、非難すべき点がないということは、夫として妻を褒めるには最上の語である」と述べています。

 
2758の「菅の根の」は、ネの同音で「ねもころ」にかかる枕詞。菅の根は長く、深く絡み合っていることから、心の深さや一途さを表します。「ねもころ」は、ねんごろに、心を込めて、の意。「恋ふるにし」の「し」は、強意。「ますらを心」は、立派な男子らしい心。「思ほえぬかも」は、(どうしても)思われない、感じられないなあ。恋に心を奪われ、女々しくなっている自分を嘆いている男の歌です。これは、理性や誇りでは制御できないほどの激しい情熱の裏返しでもあります。

 
2759の「吾が宿」は、自分の家の敷地・庭先。「穂蓼」は、穂を出した蓼。「蓼」はタデ科の植物の総称で、特にヤナギタデを指し、独特の辛味と香りが特徴の日本の伝統的なハーブ・香辛料です。「蓼食う虫も好き好き」のことわざで有名ですが、刺身の薬味や「蓼酢(たでず)」として鮎料理などに使われ、薬草としても利用される万能な植物です。「古幹」は、枯れて残った古い茎。「摘み生し」は、実を摘んで、蒔いて生やして。「実になる」には、結婚の成就の意が込められているようです。上4句は久しい間の譬えであり、夫に疎遠にされている妻の、いつまでも夫を待っていようという心の歌です。
 


『万葉集』と仏教の関係

 『万葉集』は神道的な素朴な感性や自然崇拝(万物霊魂)が色濃く残る歌集ですが、受容が進みつつあった仏教の思想や概念も随所に反映されています。日本に伝来して間もない仏教が、万葉歌人たちの「生死観」「人生観」「言語観」にどのような影響を与えたのか、万葉歌人の中で仏教的色彩が特に濃厚なのは、奈良時代中期の山上憶良や大伴旅人らです。

  知識人として漢籍・仏典に造詣が深かった山上憶良は、病苦や老い、貧困といった人生の生々しい苦悩を仏教の教理を用いて詠みました。貧窮問答歌(巻第5-892)では、仏教の「四苦八苦(生老病死・愛別離苦など)」を背景に、現実生活の苦痛とそこから逃れられない人間の宿命を描いています。日本挽歌(巻第5-793)では、世間の無常さ、人の命の儚さを仏教用語(「世間は空しきもの」等)を交えて直接的に抒情しました。

  太宰府の長官であった旅人は、現地で妻を亡くした哀傷歌や梅花宴の序文において、人生の儚さ(無常)を強く意識しています。「世間は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり」(巻第5-793)には、諸行無常の念が深まり、現世の価値が「空(くう)」であることを感じ取った嘆きが表れています。

 『万葉集』における主な仏教的テーマは、第一に、人は必ず死に、世の営みは移ろい行くという「諸行無常」の観念です。『万葉集』初期の神道的・現世肯定的な歌から、時代が下るにつれて「移ろいやすさ」に対する哀惜が仏教的思考によって言語化されていきました。第二に、業(カルマ)と輪廻という、自らが犯した罪や過去の因縁に関する認識です。例えば、『万葉集』後半には放生会や仏事に関する歌、あるいは仏教的な「罪悪感」や「報い」を意識した表現が見られます。また、国家的な仏教鎮護政策の広がりとともに、寺院や仏像、法会(講説)自体が和歌の題材になりました。

 ただし、『万葉集』に仏教そのものを直接的に詠んだ歌は少なく、仏教の影響はむしろ歌の根底に広く浸透していると推測されます。また、全体像としては古代固有の信仰(神道・霊魂観)と受容された仏教観念が同居・交錯している過渡期の姿を示しています。『万葉集』における仏教は、日本人が「目に見えない運命」や「人間の不可避な苦しみ」を抽象言語で表現するための新しい思考のフレームワークとして定着していったプロセスの記録と言えます。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。