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巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2760~2764

訓読

2760
あしひきの山沢(やまさは)回具(ゑぐ)を採(つ)みに行かむ日だにも逢はせ母は責むとも
2761
奥山の岩本菅(いはもとすげ)の根(ね)深くも思ほゆるかも吾(あ)が思ひ妻(づま)は
2762
蘆垣(あしがき)の中の似児草(にこぐさ)にこよかに我と笑(ゑ)まして人に知らゆな
2763
紅(くれなゐ)の浅葉(あさは)の野らに刈る草(かや)の束(つか)の間(あひだ)も吾(あ)を忘らすな
2764
妹(いも)がため命(いのち)残せり刈り薦(こも)の思ひ乱れて死ぬべきものを

意味

〈2760〉
 山沢に生えている回具を採みにいく日にだけでも逢わせてください、たとえ母に叱られても。
〈2761〉
 奥山の岩の根元に生える山菅が地に根深く食い込んでいるように、心の底に深く食い込んで離れない、我が思う妻は。
〈2762〉
 私と一緒に、こうしてにこにこしていらしゃるところを、人に知られたくありません。
〈2763〉
 浅葉の野で刈る萱(かや)の、その束の間も私のことを忘れないで下さいね。
〈2764〉
 愛しいあなたに逢うために、私はこれまで命をつなぎとめてきました。刈り取った薦がバラバラに散らばるように、私の心は乱れに乱れて、本当ならとっくに死んでしまっていたはずなのに。

鑑賞

 作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、いずれも「草」に寄せての歌。2760の「あしひきの」は「山」の枕詞。「回具(ゑぐ)」は、黒グワイとするのが有力ですが、ほかに芹(せり)・クワイ・オモダカではないかとする説があります。黒グワイは、池や沼など底が浅く泥になっているところに生え、太目のイグサのような姿をしています。根茎を食用にし、掘るのは一般に女の仕事でした。「日だにも」は、せめてその日だけでも。「逢はせ」は、逢わせてください。男が女に訴えた歌で、女が男と関係したことを母親に叱られて逢えなくなり、えぐを摘みに行く日を好機会捉えて言ったものとされますが、女から男に訴えた歌と見る立場もあります。

 
2761の「岩本菅」は、岩の根元に生えている菅。上2句は、その根が深いところから「根深く」を導く譬喩式序詞。「根深くも」は、菅の根の写実的な描写と、心の深さを掛けています。執念深いというよりは、揺るぎない愛情の深さを指します。「思ほゆるかも」の「かも」は詠嘆で、自然とそう思われることだ。「吾が思ひ妻」は、私が心から愛している妻。一方的にこちらが思っている妻というのではなく、互いに深く愛し合っている場合の言い方です。旅に出ている夫から妻に贈った歌と見られます。派手な情熱の吐露というより、「岩」と「根」という動かない素材を用いることで、愛の絶対的な安定感を表現しています。

 
2762の「蘆垣」は、蘆を編んで作った垣根。「似児草」は、葉や茎の柔らかい草の意味。ここでは垣根の材料として蘆と共に刈り取られ、混ぜ込まれている草のようです。箱根草(箱根シダ)とする説がありますが、確かではありません。その名の通り「にこにこ」「なよなよ」とした、柔らかく愛らしい草のイメージで使われています。上2句は「に」の同音反復で「にこよか」に続く序詞。「にこよかに」は、にっこりと、和やかに、柔らかに。「我と笑まして」は、私に対して微笑んで。「人に知らゆな」は、他人に(二人の仲を)知られないように。関係を結んだ男に秘密が漏れぬようにと告げた女の歌とされます。斎藤茂吉は「身体的に直接なめずらしい歌である」と言っており、また後に、大伴坂上郎女がこの歌を模倣して「青山を横ぎる雲のいちしろく我れと笑まして人に知らゆな」(巻第4-688)という歌を作っています。

 
2763の「紅の」は、その色の浅い意で「浅葉」にかかる枕詞。「浅葉」の語義は未詳ながら、紅色が浅い葉の意、あるいは地名ともいわれます。「野ら」の「ら」は、接尾語。上3句は「束の間」を導く譬喩式序詞。「束」は長さの単位で、拳(指4本分)の幅。それを短い間の意にしたもの。女が男に訴えた歌であり、窪田空穂は、「一般性をもった心を素朴に詠んだものであるが、『紅の浅葉の野ら』は語が美しく、全体に明るい気分をもった歌である」と評しています。

 
2764の「妹がため」は、あなた(愛する女性)のために。あるいは、あなたに逢うために。「刈り薦の」は「思ひ乱る」の比喩的枕詞。薦を刈り取って束ねていない状態は、バラバラに乱れやすく、心の混乱を象徴します。「思ひ乱れて」は、あれこれと思い悩み、心が千々に乱れること。「死ぬべきものを」は、死んでしまっていたはずなのに、当然死んでいてもおかしくない状況だったのに。片恋の苦しさに嘆く男が、女に訴えた歌とされます。甘い恋の歌というよりは、「絶望」と「執着」の狭間でかろうじて息をしている叫びです。
 


序詞について

 序詞(じょことば)は和歌の修辞法の一つで、表現効果を高めるために譬喩・掛詞・同音の語などを用いて、音やイメージの連想からある語を導くものです。枕詞と同じ働きをしますが、枕詞が1句以内のおおむね定型化した句であるのに対し、序詞は一回的なものであり、音数に制限がなく、2句以上3、4句に及び、導く語への続き方も自由です。以下に序詞の用例を列記します。青色の句が序詞で、赤色の語句がそれに導かれた語です。

  • 香具山に雲居たなびきおほほしく相見し子らを後恋ひむかも(巻11-2449)
  • 風をいたみ甚振る波の間無くわが思ふ君は相思ふらむか(巻11-2736)
  • かにかくに人は言ふとも若狭道の後瀬の山ののちも逢はむ君(巻4-737)
  • かにかくにものは思はじ飛騨人の打つ墨縄のただ一道に(巻11-2648)
  • かはづ鳴く六田の川の川柳のねもころ見れど飽かぬ川かも(巻9-1723)
  • 河の上のいつ藻の花の何時も何時も来ませわが背子時じけねやも(巻4-491)
  • 紀の国の飽等の浜の忘れ貝われは忘れじ年は経ぬとも(巻11-2795)
  • 君が着る三笠の山に居る雲の立てば継がるる恋もするかも(巻11-2675)
  • 雲間よりさ渡る月のおほほしく相見し子らを見むよしもがも(巻11-2450)
  • 巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を(巻1-54)

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