| 訓読 |
2795
紀(き)の国の飽等(あくら)の浜の忘れ貝 我(われ)は忘れじ年は経(へ)ぬとも
2796
水くくる玉に交じれる磯貝(いそかひ)の片恋ひのみに年は経(へ)につつ
2797
住吉(すみのえ)の浜に寄るといふ打背貝(うつせがひ)実(み)無き言(こと)もち我(あ)れ恋ひめやも
2798
伊勢の海人(あま)の朝な夕なに潜(かづ)くといふ鮑(あはび)の貝の片思(かたもひ)にして
| 意味 |
〈2795〉
紀伊の国の飽等の浜の忘れ貝、その名のようにあなたを忘れたりはしません、幾年経っても。
〈2796〉
水中にひそむ玉に混じった磯貝のように、私は片思いをするばかりで年は過ぎていく。
〈2797〉
住吉の浜に打ち上げられるうつせ貝のように、実のない言葉なんかで恋したりするものですか。
〈2798〉
伊勢の漁師が、朝夕に潜ってはとるという、鮑の貝のような片思いです。
| 鑑賞 |
作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」4首で、いずれも「貝」に寄せての歌。2795の「飽等の浜」は所在未詳ながら、和歌山市加太の田倉浜かといいます。「あくら」という響きに「飽き(飽きる)」を連想させ、あとに続く「忘れ」と対比させるような情緒も含まれています。「忘れ貝」は、二枚貝の片方だけになった貝殻で、後には鮑のような一枚貝も加えて呼ぶようになったようです。これを持っていると苦しさを忘れるという俗信があったといいます。上3句は「忘れ」を導く同音反復式序詞。「我は忘れじ」の「じ」は、打消推量・打消意志の助動詞。類型的な作で、男女どちらの歌とも取れます。
2796の「水くくる」は、水中に潜む意。「玉」は、美しい小石や貝。「磯貝」は、波で磯に打ち上げられ貝で、下の続きからすると二枚貝の貝殻が一枚になったもの、あるいは磯にすむ鮑のような一枚貝。上3句は「片恋ひ」を導く譬喩式序詞。「片恋」の「片」は、磯貝の片方であることと、片思い(片恋)の「片」をかけています。長い片恋の嘆きの歌で、男女どちらの歌とも取れます。美しい水の底に沈む貝殻に自分をなぞらえる視点は、万葉人の繊細な観察眼と、比喩の巧みさを物語っています。窪田空穂は、「序詞は美しく巧みである」と評しています。
2797の「住吉」は、大阪市住吉区の一帯。「うつせ貝」は、「空貝」とも書き、中身(身)のない、空っぽの貝殻を指します。上3句は「実なき」を導く譬喩式序詞。「実なき言もち」は、実のない言葉をもって、口先だけの言葉をもって。「我れ恋ひめやも」の「や」は反語で、我は恋をしようか、しはしない。男が求婚をした時、女が男の言葉の真実を疑ったのに対し、男の答えて詠んだ歌とされますが、相手から寄せられた中身のない求愛に対する、毅然とした拒絶、あるいは警告の女の歌と解する説もあります。
2798の「伊勢の海人」について、 伊勢(三重県)は古来、朝廷へ海産物を献上する「御食国(みけつくに)」として知られていました。特に伊勢の鮑は最高級品であり、潜水漁の象徴的な情景です。「朝な夕なに」は、朝夕に。「潜く」は、水に潜って貝や海藻をとること。「鮑」は、巻貝の仲間ですが、殻が平たく一枚に見えます。上4句は、その鮑の殻が片方だけであることから「片思」を導く序詞。「片思」のここの原文は「独念」。4句にわたる序詞は珍しいもので、「鮑の貝の片思」ということがこの頃から広く言われていたのだろうとされます。

和歌山県(紀伊国)について
和歌山県は紀伊国だが、もとは木の国と熊野の国にわかれていた。大化以後両地は合して一国となり、北から伊都(いと)・那賀(なが)・海部(あま)・名草・安諦(あて)・日高・牟婁(むろ)の7郡がおかれた。熊野の牟婁はこんにち東西南北にわかれ、南・北牟婁郡だけは三重県にはいっている。
万葉の故地は紀ノ川筋と、ほとんど沿海地にかぎられ、所出の地名は延べて130に近い。大和の隣国だけに万葉の時代に、『書紀』や『続紀』によれば、4回の行幸があった。斉明朝4年(658年)には紀の湯(白浜湯崎温泉)へ、持統朝4年(690年)もおそらく紀の湯へ、文武朝大宝元年(701年)には持統・文武うちつれて紀の湯へ、聖武朝神亀元年(724年)には玉津島へと行幸があり、紀の湯までの途上には多くの歌がのこされている。大和から国境のまつち山を越えて紀ノ川筋をくだり、陸路はおおむねのちの熊野街道筋によるものであった。もっとも中紀から日ノ岬付近までは静かな日には海路によったらしいものもある。田辺からさきのいわゆる大辺路(おおへち)筋のものはきわめてすくなく、あっても確実とはいえない。
大和には海がないから大和の宮廷都人士には、隣国のこの明るい南海には深いあこがれがいだかれていた。行幸の目的には遊覧・湯治に加えて政治的配慮があったろうけれど、のこされた歌詠は、それぞれの時代の人たちが、南にゆくほど南国的躍動的に展開してゆく景観につれて、讃嘆し、同化し、陶酔し、おどる心情の種々相をくりひろげていて、さながら一連の海洋交響楽をかなで、異色ある万葉紀伊風土圏をつくりあげているようである。
~『万葉の旅・中』犬養孝著/平凡社から引用
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