本文へスキップ

巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2808~2811

訓読

2808
眉根(まよね)掻(か)き鼻(はな)ひ紐(ひも)解け待てりやも何時(いつ)かも見むと恋ひ来(こ)し我(あ)れを
2809
今日(けふ)なれば鼻し鼻ひし眉(まよ)かゆみ思ひしことは君にしありけり
2810
音のみを聞きてや恋ひむまそ鏡(かがみ)直目(ただめ)に逢ひて恋ひまくもいたく
2811
この言(こと)を聞かむとならしまそ鏡(かがみ)照れる月夜(つくよ)も闇(やみ)のみに見つ

意味

〈2808〉
 眉を掻き、くしゃみをして、紐も解けたりして待っていてくれたんですか、早く逢いたいと恋しく思ってやって来た私を。
〈2809〉
 今日になって、何だか鼻がむずむずして、くしゃみが出て、眉が痒い、と思ったら、あなたに逢える前兆だったんですね。
〈2810〉
 いっそ噂だけを聞いて恋い焦がれていようか。じかに逢って恋に落ちるとつらいので。
〈2811〉
 あなたのそのお言葉を聞かされるためだったのでしょう。照り輝く月夜も闇とばかりに見ていました。

鑑賞

 作者未詳の問答歌(問いかけの歌とそれに答える歌によって構成される唱和形式の歌)2組。2808は、恋人のもとを訪れた男の歌、2809はそれに答えた女の歌です。2808の「鼻ふ」は、くしゃみをすること。「紐解け」の「解け」は解キの自動詞形で、紐がほどける意。「待てりやも」の「や」は肯定的疑問で、待っていてくれたのかなあ。女の家に来て問いかけた歌とされます。なお左注に「柿本朝臣人麻呂の歌に見えたり。但し問答なるを以ちての故に累(かさ)ねて載す」とあり、2408の「眉根掻き鼻ひ紐解け待つらむかいつかも見むと思へる吾を」を指しているとされます。第3・5句が異なっており、そちらは相手の家へ行く途上の作となっています。

 
2809の「鼻し」の「し」は、強意の副助詞。「鼻し鼻ひし」の原文「鼻之鼻火之」で、ハナノハナヒシ、ハナヒハナヒシなどと訓むものもあります。ここの歌は、当時の習俗を知らないと理解できない歌であり、万葉人は、恋人が強く思ってくれると眉が痒くなる、さらにはくしゃみが出る、また、逢いたいと思い続けると相手の下着の紐がほどけると考えていました。それを逆手にとって、恋人に逢いたいと思うとき、眉を掻き、わざとくしゃみをし、紐をほどく、そうすると相手がやってくると、おまじないをかけることもあったようです。ここの問答は、そうしたことを題材に歌っています。今も、くしゃみが出れば、誰かが自分の噂をしているという俗信がありますが、その起源はずいぶん古かったようです。また、なぜ眉がかゆいと恋人に逢える前兆とされたのかは、中国古典の恋愛文学『遊仙窟』に「昨夜根眼皮瞤 今朝見好人(昨夜、目の上がかゆかった、すると今朝あの人に会えた)」という一文があり、その影響ではないかといわれます。

 2810は男の歌、2811はそれに答えた女の歌。
2810の「音のみを聞きてや恋ひむ」は、噂だけ聞いて恋しがっていようか、で、反語的ニュアンスを含む自問です。「まそ鏡」は、白銅製の美しい鏡で「直目に逢ふ」にかかる比喩的枕詞。「直目に逢ひて」は、直接逢って、目で直接に、の意。「直目」の原文の「目直」を「直目」の誤写とする説に拠っていますが、そのまま「目に直にあひて」と訓むものもあります。「恋ひまくもいたく」の「恋ひまく」は「恋ひむ」のク語法で名詞形。「いたく」は、つらいので。逢うことの副作用を言っていますが、訪れを途絶えさせての言い訳の歌とされます。

 
2811の「この言」は、男が詠んだ前歌の言葉を指します。「聞かむとならし」は、原文「聞跡乎」の「乎」が「平」の誤りだとして「ならし」と訓んでいます。聞こうとするためだったのだろう。「まそ鏡」は「照る」の枕詞。「照れる月夜も」は、 空には一点の曇りもない満月、あるいは非常に明るい月が出ている状況を指します。「闇のみに見つ」は、闇とばかりに見ていた。物理的には明るいはずの月夜が、心の絶望ゆえに視界から光を奪い、真っ暗に感じられたという心理描写です。男の言い訳に対し、皮肉って答えている歌です。
 


枕詞あれこれ

  • あかねさす
    「日」「昼」に掛かる枕詞。「赤く輝く」もの、」すなわち太陽を意味する。また、茜(あかね)色に近い「紫」の枕詞にも転用されている。
  • 秋津島/蜻蛉島(あきづしま)
    「大和」にかかる枕詞。「秋津島」は、日本の本州の古代の呼称で、『古事記』には「大倭豊秋津島」(おおやまととよあきつしま)、『日本書紀』には「大日本豊秋津洲」(おおやまととよあきつしま)と、表記している。また「蜻蛉島」は、神武天皇が国土を一望してトンボのようだと言ったことが由来とされている。
  • 朝露の
    「消」に掛かる枕詞。朝露は消えやすいところから。
  • あしひきの
    「山」に掛かる枕詞。語義未詳ながら、足を引きずってあえぎながら登る意、山すそを稜線が長く引く意など諸説がある。
  • あぢむらの
    「あぢむら」は、アジガモ(味鴨)。アジガモが群がって騒ぐことから、「騒く」にかかる枕詞。
  • 梓弓(あづさゆみ)
    梓弓は、梓の丸木で作られた弓。弓を射る動作から「はる」「ひく」「いる」などに掛かる。また弓に付いている弦(つる)から同音の地名「敦賀」に、弓の部分の名から「末」などにも掛かる。
  • 天伝ふ
    「日」に掛かる枕詞。「天(大空)を伝い渡っていく」もの、すなわち太陽を意味し、「日」の修飾ではなく、同格の関係にある。「天知るや」「高照らす」「高光る」なども同様。
  • 天飛ぶや
    「鳥」「鴨」に掛かる枕詞。空高く飛ぶことから。また、「雁」を転用して「軽(かる」にも掛かる。
  • 荒妙(あらたへ)の
    「藤」に掛かる枕詞。荒妙は、木の皮の繊維で作った粗い布で、おもに藤をその材料としていたことから。

【PR】

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。