| 訓読 |
2812
吾妹子(わぎもこ)に恋ひてすべなみ白栲(しろたへ)の袖(そで)返ししは夢(いめ)に見えきや
2813
吾背子(わがせこ)が袖(そで)返す夜(よ)の夢(いめ)ならしまことも君に逢ひたるごとし
2814
吾(あ)が恋は慰めかねつま日(け)長く夢(いめ)に見えずて年の経(へ)ぬれば
2815
ま日(け)長く夢(いめ)にも見えず絶えぬとも吾(あ)が片恋(かたこひ)は止む時もあらじ
| 意味 |
〈2812〉
あなたが恋しくてどうしようもなく、せめて夢で逢おうと袖を折り返して寝ましたが、私の姿はあなたの夢に見えたでしょうか。
〈2813〉
あなたが袖を返して寝た夜の夢だったのですね。本当にあなたにお逢いしているようでした。
〈2814〉
私の恋は慰めようがありません。来る日も来る日も夢にさえ見えてくれないまま年が経ってしまったので。
〈2815〉
来る日も来る日も夢にさえも見えず、たとえ二人の仲が絶えようとも、私のこの片思いは止むときもありません。
| 鑑賞 |
作者未詳の問答歌2組。2812は男の歌、2813はそれに答えた女の歌。2812の「すべなみ」は、どうしようもなくて、術がなくて。「白栲の」は「袖」の枕詞。「袖返す」は、寝る時に袖口を折り返すことで、袖を折り返して寝ると、思う人の夢が見られるという俗信があったようです。「見えきや」は、見えたでしょうか。万葉時代の人々にとって、夢は単なる脳内の現象ではなく、「魂の行き来」であると信じられていました。自分が相手の夢に出ることは、自分の魂が相手のもとへ飛んでいった証拠であり、また相手が自分の夢に出るのは、相手が自分を想ってくれているからだと解釈されていました。2813の「夢ならし」の「ならし」は「なるらし」の約で、夢であったに違いない。「まことも」は現実にも、本当に。作者は、自分の夢に現れた愛しい人の姿を、相手の深い愛情の証拠として受け取っています。
2814は男の歌、2815はそれに答えた女の歌。2814の「慰めかねつ」は、「慰める」+「かね(〜しにくい・できない)」+「つ(完了)」。自分の心を静めることがどうしてもできなかった。「ま日長く」の「ま」は接頭語、「日(け)」は、日の複数。「夢に見えずて」は、相手が夢に見えなくて。つまり相手がこちらを思えば夢に見えるという俗信から、相手が自分のことを思っていない故に報われないと訴えているもの。「年の経ぬれば」は、年が経ってしまったので。単なる時間の経過だけでなく、季節が巡ってもなお状況が変わらない絶望感を表します。2815の「止む時もあらじ」は、止む時はないだろう。「じ」は打消推量で、強い意志を含んだ否定を表します。上2句は、前歌の3、4句をそのまま取って歌っており、あなたの方こそ私を思ってくださらないではないかと、男の恨みの語を自身の恨みの語として逆にやり返したもの。

三大歌集の比較
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