| 訓読 |
2816
うらぶれて物な思ひそ天雲(あまくも)のたゆたふ心(こころ)吾(あ)が思はなくに
2817
うらぶれて物は思はじ水無瀬川(みなせがは)ありても水は行くといふものを
2818
かきつはた佐紀沼(さきぬ)の菅(すげ)を笠に縫ひ着む日を待つに年ぞ経にける
2819
押照(おして)る難波(なには)菅笠(すががさ)置き古し後は誰(た)が着む笠ならなくに
| 意味 |
〈2816〉
しょんぼりと物思いなんかしないでおくれ。私の心は、空の雲のように揺れ動いたりはしないのだから。
〈2817〉
しょんぼりと物思いなどいたしません。水無川であっても、人目につかない底にはずっと水が流れるといいますもの。
〈2818〉
杜若(かきつばた)が咲いている佐紀沼の菅を笠に縫い、それをかぶる日を待っているうちに、ずいぶん年が経ってしまった。
〈2819〉
難波の菅笠を、古くなるまで放っておいたところで、後にあなた以外の誰かが使う笠だというわけでもないのに。
| 鑑賞 |
作者未詳の問答歌2組。2816は男の歌、2817はそれに答えた女の歌。2816の「うらぶれて」は、しょんぼりして。「物な思ひそ」の「な~そ」は、懇願的な禁止。「天雲の」は「たゆたふ」の比喩的枕詞。「たゆたふ」は、揺れ動く、ためらう。「思はなくに」は、~ではないのだからという理由・説明。不実を疑われた男が、それを否定している歌です。2817の「物は思はじの「じ」は、打消推量・意志の助動詞。「水無瀬川」は、水のない川。表面には見えない伏流水が流れます。「ありても」は、そうした川であっても。「水は行く」は、実際には水が絶えず流れているということ。この歌について窪田空穂は、「男の歌をそのままには受け入れないが、さすがに頼みを懸けて、水無瀬川の譬喩でその頼む心をあらわしているのである。この譬喩は、直接にいえば烈しい語にもなりかねないものを、このように婉曲にしたために、訴えの気分を含んだものとなったので、その意味で上手である」と述べています。
2818は男の歌、2819はそれに答えた女の歌。2818の「かきつはた」は、その花が咲く意で「佐紀沼」にかかる枕詞。「佐紀沼」については、『日本書紀』には、同じ読み方をする「狭城池」をつくったという話が出てきます。平城京の北の外れにある水上池(みずがみいけ)だとする説もあります。「菅」は、笠や蓑を編むのに使われる植物。「笠に縫ひ着む日」は、笠を縫って身につける日。比喩的に「準備が整って目的を果たす日」や「公に結ばれる日」を指します。結婚をしようと思っているうちに日を経てしまったという男の言い訳の歌とされます。2819の「押照る」は、日の強く照る意で「難波」の枕詞。「難波菅笠」は、難波の名産の菅で作った笠。「置き古し」は、使わずに放置したまま古びさせること。「笠ならなくに」は、~という笠ではないのだから。女は、菅笠(私)を置き古しなどせずに、あなたが早く使ってほしい、と言っています。
なお、『万葉集』に「佐紀」と詠まれた場所は、現在の奈良市佐紀町に、二条町、山陵(みささぎ)町なども含めた広い地域だったと考えられています。「佐紀沼」や「佐紀沢」とあることから、沼や沢の多い場所だったようです。また、『万葉集』の歌に頻繁に出てくる菅や葛といった植物が、古代にはみそぎに関係があったのか、人々の生活に相当深い関係を持っていたことが窺えます。

三大歌集の比較
万葉集
古今和歌集
新古今和歌集
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