| 訓読 |
2837
み吉野の水隈(みぐま)が菅(すげ)を編(あ)まなくに刈りのみ刈りて乱りてむとや
2838
川上(かはかみ)に洗ふ若菜(わかな)の流れ来て妹(いも)があたりの瀬にこそ寄らめ
2839
かくしてやなほや守らむ大荒木(おほあらき)の浮田(うきた)の社(もり)の標(しめ)にあらなくに
2840
いくばくも降らぬ雨ゆゑ吾(わ)が背子(せこ)が御名(みな)のここだく滝もとどろに
| 意味 |
〈2837〉
吉野の川隅に生える菅を、笠に編みもしないのに刈るだけ刈って、ほったらかしにしておくつもりですか。
〈2838〉
川上で洗っている若菜のように流れて行って、彼女の住む家のそばの瀬に寄りたいのだが。
〈2839〉
こんなにまでして、なおこの上もその人を見守っているのあろうか、大荒木の浮田の社の杜につけた標ではないのに。
〈2840〉
大して降らない雨なのに、あの方に立てられた浮名はまるで滝がとどろくように激しい。
| 鑑賞 |
「譬喩」とある作者未詳歌4首。2837・2838は「草に寄せて」思いを譬えた歌。2837の「み吉野の水隈が菅」は、吉野の川の、水がよどむ隈(曲がり角)に生えている良質な菅のこと。ここでは作者自身(女)に譬えています。「編まなくに」は、(笠や薦に)編み上げもしないで。結婚もしていないのに、の意。「刈りのみ刈りて」は、ただ刈るだけ刈って。ここは関係だけ結んでほったらかしにして、の意。「乱りてむとや」は、散らかしてしまうつもりか、(私の心を)かき乱して放り出すつもりか、という強い詰問。無責任な男のことをなじっている歌です。
2838の「若菜の」は、若菜のように。「流れ来て」は「妹」を中心にした言い方で「流れ行きて」と同じ。「瀬にこそ寄らめ」のコソ~メは、意志の表現で、軽い逆接の気持も込められているようです。男の家も女の家も同じ川に臨んでおり、上流のほうに住む男は、川を流れて行く若菜を見て、それに自身を連想し、同じように流れて行って女の家の辺りの瀬に寄りたいと言っています。国文学者の稲岡耕二は、「この歌の背後には、吉野の漁父味稲の川で拾った柘(つみ:山桑)の枝が仙女となり結婚したという柘枝伝説などが考えられる」と言っています。
2839は「標に寄せて」思いを譬えた歌。「大荒木の浮田の杜」は、奈良県五條市今井にある荒木神社。「標」は、社を守っている標縄。「あらなくに」は、〜ではないのに。恋する女を、親の同意が得られないためか、甲斐なく見守り続けていることを嘆いている男の歌です。彼女は神聖でも、誰かの独占物(標がある状態)でもないのだから、自分がアプローチしても罪にはならないはずだ、と自問自答しながらも、実際には遠くから見守ることしかできない気弱な恋心です。
2840は「滝に寄せて」思いを譬えた歌。「滝」は、川の流れの激しい所。「いくばくも降らぬ雨ゆゑ」は、ほんの少ししか降っていない雨なのに。大したことは何も起きていない、つまり、まだ二人の逢瀬が多くないことを喩えています。「御名」は敬語。相手への深い敬意と愛着がうかがえます。「ここだく」は、甚だしく、こんなにもたくさん。「滝もとどろに」は、滝が轟くように。噂が世間に広まり、騒がしく取り沙汰されている様子を、凄まじい音を立てて落ちる滝のエネルギーに例えています。秘密にしていた関係が早くも漏れて言い騒がれるのを嘆く女の歌です。

巻第11と第12
巻第11と第12は「古今相聞往来歌類」という名が付いていて、巻第11が上巻、第12が下巻という構成になっています。各巻のそれぞれの部立ては以下の通りになっています。
巻第11:古今相聞往来歌類上巻
(1)旋頭歌 15首(柿本人麻呂歌集の歌・古歌集)
(2)正述心緒 47首(柿本人麻呂歌集の歌)
(3)寄物陳思 94首(柿本人麻呂歌集の歌)
(4)問答 9首(柿本人麻呂歌集の歌)
(5)正述心緒 104首
(6)寄物陳思 193首
(7)問答 20首
(8)比喩 13首
巻第12:古今相聞往来歌類下巻
(1)正述心緒 10首(柿本人麻呂歌集の歌)
(2)寄物陳思 14首(柿本人麻呂歌集の歌)
(3)正述心緒 100首
(4)寄物陳思 193首
(5)問答 26首
(6)羇旅發思 53首
(7)悲別歌 31首
(8)問答 10首
巻第11・12の歌は、巻第13と同じく全て「作者未詳歌」で、詞書もなく配列されている巻です。このためもあって、作成年代は、研究者の間でも確定していません。
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