本文へスキップ

巻第12(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第12-2859~2863

訓読

2859
明日香川(あすかがは)高川(たかかは)避(よ)かし越え来(こ)しをまこと今夜(こよひ)は明けずも行かぬか
2860
八釣川(やつりがは)水底(みなそこ)絶えず行く水の継(つ)ぎてぞ恋ふるこの年ころを [或本歌曰 水脈(みを)も絶えせず]
2861
礒(いそ)の上(うへ)に生(お)ふる小松(こまつ)の名を惜(を)しみ人に知らえず恋ひわたるかも
[或本の歌に曰はく] 巌の上に立てる小松の名を惜しみ人には言はず恋ひわたるかも
2862
山河の水陰(みかげ)に生ふる山菅(やますげ)の止(や)まずも妹(いも)が思ほゆるかも
2863
浅葉野(あさはの)に立ち神(かむ)さぶる菅(すが)の根のねもころ誰(た)がゆゑ我(わ)が恋ひざらむ 
[或本の歌に曰はく]  誰葉野(たがはの)に立ちしなひたる

意味

〈2859〉
 明日香川の水量が増したのを避けて、遠く回り道をしてやって来たのだから、本当に今夜ばかりは明けないままでいてくれないものか。
〈2860〉
 八釣川の川底を絶えることなく流れる水のように、ずっと恋い焦がれています。ここ何年もの間を。(川筋も絶えずに)
〈2861〉
 磯の近くに立っている松のように、噂が立つのを恐れ、思う人に知られないままひっそりと恋い焦がれ続けています。
〈2862〉
 山川の水辺の陰に生えている山菅(やますげ)のように、止むことなく私はあなたを思っています。
〈2863〉
 浅葉野に立ち神のようになっている菅の根よ。その根のようにねんごろに心を尽くし、誰ゆえに恋をしようか。誰のためではなく、あなたのためにこそ恋をしている。

鑑賞

 『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首。2859・2860は、河に寄せての歌。2859の「明日香川」は、奈良県明日香村の山中から北上し、大和川に合流する川。「高川」は、増水して水面が高くなった川の意。「避かし」は「避く」の敬語で、お避けになって。「越え来しを」は、越えて来たものを。この「を」には「これほどの苦労をしたのだから」という逆接的な強調が含まれます。原文「越来」で、コエクレバ、コエテキヌ、コエテコシなどと訓むものもあります。「まこと」は、本当に。「明けずも行かぬか」の「ぬか」は希求を表し、夜が明けないでほしい。原文「不明行哉」で、アケズユカメヤと訓み、夜が明けずに帰って行けようか行けないだろう、のように解するものもあります。女が男の苦労を察して、感謝の気持ちをうたった歌とされますが、通ってきた男の歌とする見方もあります。

 
2860の「八釣川」は、桜井市に発し明日香村の八釣山麓を流れる川。前歌の「明日香川」とは近い場所にあります。「水底絶えず」は、川の底の方で一時も止まることなく。表面的な激しさよりも、深層での「継続性」を強調しています。「行く水の」は、流れる水のように。上3句は「継ぎて」を導く譬喩式序詞。「継ぎて」は、続いて、絶えずに。「年ころ」は、最近の数年間のこと。男が求婚の意を、初めて女に訴えた形の歌で、川面のの波ではなく「水底」としたことで、他人の目には見えない、自分一人の中に秘められた静かな決意や、心の奥底でずっと鳴り響いている想いの深さが伝わります。また、八釣川は、『万葉集』の中で「夕さらば 鳴つ鳥の八釣川・・・」など、どこか哀愁を帯びた、静かな情景として詠まれることが多い川です。激しい明日香川に対し、八釣川を選ぶことで、歌全体のトーンをしっとりとした持続的な恋情に落ち着かせています。

 
2861は、松に寄せての歌。「小松」の「小」は、美称。上2句は「名」を導く序詞。磯の上に立つ松は目立つから名を付けられる意で、名と続くか。「名を惜しみ」は、評判が傷つくのを恐れて。ここでは「浮いた噂が立つことを避けて」という意味です。「人に知らえず」は、思う相手に知られずに、すなわち、打ち明けずに。あるいは「人」は第三者をいっているのかもしれません。「恋ひわたるかも」は、ずっと恋し続けているのだなあ。「わたる」は時間の継続(~し続ける)を表します。岩(磯)の上という過酷な環境で、細々と、しかし力強く根を張る「小松」の姿は、噂を恐れて人知れず思いを抱き続ける作者自身の投影となっています。

 2862・2863は、草に寄せての歌。
2862の「山川」は、山の中を流れる谷川。「水陰」は、水辺の日陰、あるいは岩や木に遮られた静かな場所。上3句は「止まず」を導く同音反復式序詞。「水陰」は、水辺の物陰。「山菅」は、野生のスゲ、またはヤブランの古名。「止まずも」は、絶えることなく。「思ほゆるかも」の「ゆ」は自発の助動詞で、自然と思われてしまうなあ。斎藤茂吉は、この「水陰」という語に心を惹かれると言っています。「この時代の人は、幽玄などとは高調しなかったけれども、こういう幽かにして奥深いものに観入していて、それの写生をおろそかにしていない」と。また窪田空穂は、嘆きを言っているにもかかわらず明るい調べと評しています。

 
2863の「浅葉野」の所在は不明。埼玉県坂戸市浅羽、静岡県袋井市浅羽などがあげられています。「立ち神さぶる」は、神々しく見える、古びて荘厳である。上3句は「ねもころ」を導く同音反復式序詞。「ねもころ」は、心を尽くして。「我が恋ひざらむ」は反語で、恋しないでいられようか。原文「吾不恋」で、アガコヒナクニと訓むものもあります。女が男に、その恋情の強さを訴えた歌であり、窪田空穂は、「立ち神さぶ」「ねもころ誰がゆゑ我が恋ひざらむ」の表現など、「珍しいまでに重量のある歌である」と評しています。
 


【PR】

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。