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巻第12(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第12-2873~2877

訓読

2873
里人(さとびと)も語り継ぐがねよしゑやし恋ひても死なむ誰(た)が名ならめや
2874
確かなる使(つか)ひをなみと心をぞ使ひに遣(や)りし夢(いめ)に見えきや
2875
天地(あめつち)に少し至らぬ大夫(ますらを)と思ひし我(わ)れや雄心(をごころ)もなき
2876
里(さと)近く家や居(を)るべきこの我(わ)が目の人目をしつつ恋の繁(しげ)けく
2877
何時(いつ)はなも恋ひずありとはあらねどもうたてこのころ恋し繁(しげ)しも

意味

〈2873〉
 里の人も語り継ぐがよい。ええい、もうどうでもいい、私が恋に苦しんで死ねば、あなたが原因で死んだのだと語りぐさになるでしょう。
〈2874〉
 頼りになる使いがないので、この私の心を使いに立てました。夢に私の姿が見えたでしょうか。
〈2875〉
 天地の大きさに少し足りないほどのますらおと自負していた私は、今は恋のために、雄々しい心もなくなってしまった。
〈2876〉
 里に近い家に住むものではありませんね。人目をはばかって気にしながらでは、いっそう恋心が募るばかりです。
〈2877〉
 いつも恋しいと思わない時はありませんが、それにしてもこの頃はますます恋い焦がれています。

鑑賞

 作者未詳の「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」5首。2873の「里人」は、作者とその相手が住む里の人。「語り継ぐがね」の「がね」は、希望、予想を表す語。「よしゑやし」は、ええ、ままよ、どうでもいい。「誰が名ならめや」の「誰が名」は、あなた以外の誰の評判、「や」は反語で、評判に立つのは誰の名か、あなたの名だろう。作者の性別は不明ですが、片恋に悩み、噂を気にしてなかなか逢ってくれない相手に、自らの死をほのめかして脅迫しており、「私が死ぬことで、あなたの名に一生消えない傷をつけてやる」という、相手への強烈な当てつけ、あるいは「自分を拒絶したり放っておいたりすれば、あなたの名声もタダでは済まない」という警告を含んだ歌になります。

 
2874の「確かなる使ひをなみと」は、頼りになる確かな使いがないゆえに。誰にも頼れないという孤立無援の状況が、この歌の前提にあります。「心をぞ使ひに遣りし」の「ぞ」は係助詞で、「遣りし」はその結びの連体形。物理的な使いがいないなら、自分の魂(心)を飛ばすしかないという発想は、単なる比喩を超えた、当時の人々の「言霊」や「離魂」への信仰に基づいています。強く思えば、心は体から抜け出して相手のもとへ行くと信じられていました。「夢に見えきや」という問いかけは、相手を思うとその人の夢に見えるとされていた俗信を踏まえています。男女どちらの歌とも取れますが、伊藤博は「使いもよこさないと文句を言ってきた女に対する男の弁解のように思われる」と言っています。

 
2875の「天地に少し至らぬ」は、天地の広大さに比べて少し足りない。冒頭から非常にスケールの大きな自己評価を提示しています。「大夫」は、勇ましく立派な男子。「思ひし」のシは過去の助動詞で、今まではそう思ってきた。「我れや」の「や」は疑問で、私なのだろうか。「雄心」は、雄々しい心。惚れた弱みから丈夫の誇りも失ってしまったと嘆いており、理性と感情のギャップに苦しむ姿が描かれています。折口信夫が「男性の悲哀を直叙している。傑作」と評する一方、窪田空穂は「語の大きさに匹敵するだけの調べの強さがない」「内蔵する響きがない」と言っています。

2876の「里近く家や居るべき」の「や」は、反語の係助詞、「べき」はその結びで、助動詞「べし」の連体形。「家居る」は、住まいする意で、里の近くに家など持つものではなかった「人目をしつつ」は他に例のない表現で、人目を憚りつつの意か。「恋の繁けく」の「繁けく」は「繁し」のク語法で名詞形。『万葉集』には、人里離れた場所に住みたいという願望を詠む歌が散見されますが、それは隠遁のためだけでなく、多くは恋路を邪魔されたくないという切実な理由からです。この歌は、都会的(あるいは集落的)な生活の不自由さを、恋というフィルターを通して批判的に捉えています。

 
2877の「何時はなも」の「なも」は強意の助詞で、いつといって、いつの時でも。「恋ひずありとはあらねども」は、「あり」を繰り返して、ないことを強調しています。「うたて」は、ますますひどく、困ったことに。「恋し繁しも」は、「恋し(形容詞)」+「繁し(形容詞)」を重ねることで、恋しくて恋しくて、その思いが次から次へと溢れて止まらないという、心のキャパシティを超えた状態を強調しています。
 


「反語」について

 和歌における「反語」とは、あえて疑問の形で問いかけることにより、「〜だろうか、いや、決してそうではない(そうである)」と強く否定や肯定の心情を強調する修辞技法(表現技法)です。感情や主張をただ単に伝えるのではなく、あえて疑問形にすることで、読者や聞き手に強く印象づける効果があります。訳し方は、 「〜か、いや〜ない(〜である)」のように、自問自答のように否定・肯定する形に訳します。反語を表す際には、特定の助詞が文末(または文中)の結びに用いられます。和歌で「反語」を表す代表的な係助詞は、「や」「か」「やは」「かは」の4つであり、これらは文末を「連体形」にする係り結びの法則を持ちます。

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伊藤博と『万葉集』

 万葉学における伊藤博(いとう はく:1925~2003年)は、戦後の『万葉集』研究において画期的な金字塔を打ち立てた偉大な万葉学者です。単に一首ごとの言葉を注釈するにとどまらず、「歌群」や「配列」の文脈から『万葉集』全体の構造と物語性を捉え直した点で、近代以降の万葉学史に極めて大きな足跡を残しました。伊藤博の万葉研究における主要な業績と特徴は以下の通りです。

  1. 全首釈注の金字塔『萬葉集釋注』
     師である澤瀉久孝(おもだか ひさたか)博士の『萬葉集注釋』以来、約40年ぶりに個人として『万葉集』全20巻・4500余首の全歌に詳細な注釈を施した大著『萬葉集釋注』(集英社・全10巻/文庫版など)を完結させました。 斎藤茂吉短歌文学賞を受賞(2000年) 伝統的な語釈・校訂の正確さを基盤にしつつ、歌の背景にある人間ドラマや情念の動きまでを端正かつドラマチックな文章で解き明かしており、専門家から一般の万葉ファンまで幅広く愛読されています。
  2. 独自の研究手法「歌群論」と「生体としての万葉集」
     伊藤学説の最大の特徴は、「万葉集は単なる歌のアンソロジー(集録)ではなく、緻密に構成された一つの大きな構造体である」と捉えた点にあります。一首を単体で切断して鑑賞するのではなく、前後にある歌との繋がりや配列の意図(「なぜこの歌がこの順番で並んでいるのか」)を徹底的に追及しました。歌の配列を読み解くことで、額田王や宮廷の歌人たち、さらには大伴家持が編纂において込めた隠された意図や人間関係の葛藤(物語)を立体的に浮き彫りにしました。
  3. 手軽に親しめる著書(文庫・選書)
     研究者向けの専門書(『古代和歌史研究』全8巻など)だけでなく、一般読者が万葉集の魅力に触れられる注釈文庫の監修・執筆も数多く手がけています。『新版 万葉集 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫・全4巻)は、現在最も手に入りやすく、かつ学術的信頼度が高い文庫版万葉集の一つです。わかりやすい現代語訳と的確な解説が付されています。 『萬葉集』(角川文庫・上下巻)は、「新編国歌大観」に準拠したテキストで、長年万葉学習者の標準テキストとして親しまれました。
古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。