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巻第12(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第12-2888~2892

訓読

2888
世の中の人のことばと思ほすなまことぞ恋ひし逢はぬ日を多み
2889
いでなぞ吾(あ)がここだく恋ふる我妹子(わぎもこ)が逢はじと言へることもあらなくに
2890
ぬばたまの夜(よ)を長みかも我(わ)が背子(せこ)が夢(いめ)に夢(いめ)にし見え還(かへ)るらむ
2891
あらたまの年の緒(を)長くかく恋ひばまこと我が命(いのち)全(また)からめやも
2892
思ひ遣(や)るすべのたどきも我(わ)れは無し逢はずてまねく月の経(へ)ぬれば

意味

〈2888〉
 世間のありきたりの言葉と思わないでほしい。ほんとうに恋しくて仕方がなかったのです。逢えない日が多かったので。
〈2889〉
 さあ、何でこんなに私はひどく恋しく思うのか。別にあの子が逢わないなどと言ったこともないのに。
〈2890〉
 夜が長いせいでしょうか。愛しいあの人が、夢に幾度も見えては消えるのです。
〈2891〉
 長い年月、これほどに焦がれ続けていたならば、私の命はとても無事ではいられないでしょう。
〈2892〉
 思いを晴らす手段も手がかりも、私にはもうありません。逢えない日が重なり、月日が過ぎてゆくので。

鑑賞

 作者未詳の「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」5首。2888の「世の中の人の言葉」は、世間の人々がよく口にする、決まり文句や社交辞令のこと。「浮ついた言葉」というニュアンスが含まれます。「思ほす」は「思う」の敬語。「まことぞ恋ひし」の「恋ひし」は、強調の係助詞「ぞ」の結びで連体形。まことに恋しいことだ。「逢はぬ日を多み」の「~を~み」は、「~が~なので」という理由・原因を表すミ語法。逢わない日が多いので。国文学者の小野寛は、「自分の恋心の真実一途であることを相手に説明している。説明せねばならない状況があわれである。恋していることの説明はしないでありたい」と述べています。

 
2889の「いで」は、驚きや嘆きを表す語。さあ、さてさて、いやはや。「なぞ」は、なぜ、どうして、という疑問。「ここだく」は、これほど甚だしく。「逢はじ」は「逢ふ」の未然形 + 打消推量の助動詞「じ」。逢うまい、逢うつもりはない、の意。「あらなくに」の「あらなく」は「あらず」のク語法で名詞形。「に」は、~なのに。相手に振られたわけでもないのに、自分のこのごろの恋心の激しさと不安から、これはどうしたことかと、自らを顧みている歌です。

 
2890の「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「夜を長みかも」の「長み」は「長し」のミ語法で、夜が長いからだろうか。「夢に夢にし」は、「夢に」を重ねて幾度も夢に見ることを表現したもので、「し」は、強意の副助詞。「見え還る」は、現れては戻っていく、何度も繰り返し見えること。「還る」には、反復するというニュアンスが含まれます。「還るらむ」の「らむ」は、現在推量。独り寝の女性の嘆きの歌ですが、万葉時代は、相手が自分を強く思っているから、自分の夢の中に現れると信じられていましたから、それほどあの方が私を思ってくれている(あるいは私が思いすぎている)という、魂の交流としての切実さがあります。

 
2891の「あらたまの」は「年」の枕詞。「年の緒」の「緒」は、緒のように年の続く意で添えた語。「かく恋ひば」は、このように(激しく)恋い慕い続けたならば。「まこと」は、本当に。「全からめやも」の「全かり」は、無事である、完全である。「めやも」の「め」は推量、「やも」は反語。無事だろうか、いや、無事ではいられない。男に疎遠にされている女の訴えですが、独泳とも取れます。

 
2892の「思ひ遣る」は、心を外に向ける、心を晴らす。悶々とした思いをどこかへ逃がすこと。「すべのたどきも」の「すべ」は方法、「たどき」は、手段で、どちらも打消しを伴って重複させて多く用いられています。「まねく」は、多く。「月の経ぬれば」は、月日が経過してしまったので。類例の多い歌であり、また2881歌の異伝だろうとも言われます。
 


ミ語法とは

 「ミ語法」とは、形容詞の語幹に語尾「み」を接続した語形を用いる語法。その意味は、「を」を伴うものは「を」が主格を表わし、「み」が原因や理由を表わすと考えられています。現存する文献の用例の大部分は『万葉集』であり、 上代以前に広く用いられたと考えられています。 中古以降は、擬古的表現として和歌にわずかに用いられました。

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ク語法とは

 用言(動詞や形容詞)の語尾に「く(らく)」を付けて、全体を名詞のように扱う表現のこと。主に古典日本語に見られ、「~すること」「~ところ」「~もの」といった意味を表します。「言はく」「語らく」「老ゆらく」「悲しけく」「散らまく」などがその例で、現代語においても「思わく(思惑は当て字)」「体たらく」「老いらく」などの語が残っています。

 ク語法は、中国の漢文を日本語として読む際、名詞節を構成するために重宝されました。荘重で改まった響きを持つため、格調高い歌や祝詞(のりと)などにも多く見られます。名詞化することで、自分の感情を客観的に提示し、それを強調する効果があります。言わば、言葉を「動詞(動くもの)」のままにせず、一瞬止めて「名詞(形あるもの)」として差し出すようなイメージです。 

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。