| 訓読 |
2898
ひとり居(ゐ)て恋ふるは苦し玉たすき懸(か)けず忘れむ事(こと)計(はか)りもが
2899
なかなかに黙(もだ)もあらましをあづきなく相(あひ)見そめても我(あ)れは恋ふるか
2900
我妹子(わぎもこ)が笑(ゑ)まひ眉引(まよび)き面影(おもかげ)にかかりてもとな思ほゆるかも
2901
あかねさす日の暮れぬればすべをなみ千(ち)たび嘆きて恋ひつつぞ居(を)る
2902
吾(あ)が恋は夜昼(よるひる)別(わ)かず百重(ももへ)なす心し思へばいたもすべなし
| 意味 |
〈2898〉
ひとりで離れ恋い焦がれているのは苦しくてたまらない。心にもかけず忘れる何かよい方法があればよいのに。
〈2899〉
かえって黙っていればよかったものを、不甲斐なくも、見初めて言葉をかけたばっかりに、恋に落ち苦しんでいる。
〈2900〉
あの子の笑顔や眉が目の前にちらついて、無性に恋しくて仕方がない。
〈2901〉
日暮れの頃になると、どうしようもなく、何度もため息をついて、あなたのことを恋しく思っています。
〈2902〉
私があなたを思う恋心は、夜昼のけじめもなく幾重にも押し寄せてきてどうしようもありません。
| 鑑賞 |
作者未詳の「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」5首。2898の「恋ふるは苦し」の原文「恋者辛苦」で、コフレバクルシと訓むものもあります。「玉たすき」は、美しいたすきの意で「懸け」にかかる枕詞。「懸けず」は、相手のことを心にも懸けず。「事計り」は、計画。「もが」は、実現困難な願望を表す終助詞。この表現からは、作者は、忘れる方法などないことを百も承知しています。
出口のない苦しみの中で、あえて「忘却」という不可能な選択肢を夢想することで、自分の恋心の深さを再確認しているとも取れます。
2899の「なかなかに」は、かえって、いっそのこと。中途半端なことをするよりも、というニュアンス。「黙もあらましを」は、黙って何もしないでいればよかったものを。「ましを」は、実現しなかった事柄を悔やむ反実仮想の表現です。「あづきなく」は、不甲斐なく、分別なく。「恋ふるか」の「か」は感動の助詞で、恋い慕っていることよ。「あづきなく」という強い口調で自分を責めているのは、相手との関係が単なる知り合いを超え、深い感情のやり取りが始まってしまったことへの戸惑いです。理屈では苦しいからやめるべきだと分かっているのに、心が言うことを聞かない。その理知と感情の乖離がこの一語に集約されています。
2900の「笑まひ」は、微笑み、笑顔。「眉引き」は、黛(まゆずみ)で三日月形に描いた眉。万葉時代、眉を美しく描くことは女性の身だしなみであり、色香の象徴でもありました。「面影」は、目の前にいない人の姿が、幻のように見えること。「もとな」は、わけもなく、むやみに、しきりに。自分の意志ではどうしようもない状態。「思ほゆるかも」の「ゆ」は自発、「かも」は詠嘆で、自然と思われてしまう。思う女性の笑顔だけでなく、眉引き(眉の形)という、非常に具体的で細やかなパーツに焦点を当てており、ただ「好きだ」と言うのではなく、彼女が化粧をし、眉を整えたその端正な顔立ちを思い出す。その細部へのこだわりこそが、作者がどれほど彼女を凝視し、心に刻み込んでいるかを物語っています。
2901の「あかねさす」は、茜(あかね)色に輝く昼の意で「日」にかかる枕詞。茜は「赤根」と表記される根の赤い植物で、これを緋色の染料と死、また薬にも用いられますが、なぜか植物として歌われた例はありません。「日の暮れぬれば」の原文「日之暮去者」で、ヒノクレユケバと訓むものもあります。「すべをなみ」は、どうしようもないので。「千たび嘆きて」は、千回も嘆いて。もちろん実数ではなく、数え切れないほど何度も深い溜息をつく様子を強調しています。「恋ひつつぞ居る」は、恋い慕い続けている。「居る」は、その状態のまま動かずにいるニュアンスを含みます。強調の助詞「ぞ」+居る(連体形)による係り結び。男の訪れを待つやるせない気持を歌った女の歌で、佐佐木信綱は、「内容は類型的であるが、淡々たる歌い方に類を見ないよい味がある」と評しています。
2902の「夜昼別かず」は、夜昼の区別もなく、休みなく。「心し」の「し」は、強意の副助詞。「百重なす」の「なす」は、~のように、~のような、で、百重(ひゃくじゅう)のように重なっている。感情が幾層にも積み重なり、巨大な質量を持っている様子。「心し思へば」の「し」は強意の副助詞。心から切実に思っているので。「いたも」は、非常に。「すべなし」は、どうしようもない。窪田空穂は「説明の歌なので感味は少ない」としつつ、「この形を踏襲して、初句を『吾が恋は』とした歌は後世にも多い。基本的な形だからであろう」と言っています。

係り結びの効果
2901の歌における「恋ひつつぞ居る」の係り結びには、単なる強調以上の情緒的な役割があります。まず、「千たび嘆いて、ただただ恋い慕い続けているのだ」という、作者の沈痛な思いを一点に集中させる、感情の凝縮という効果。そして、連体形で結ぶことで、文がパシッと終わるのではなく、そのあとも恋い続けている状態が静かに続いていくような、終わりのない溜息のような余韻を生み出しています。「すべをなみ(どうしようもないので)」という絶望的な状況下で、ただじっと座って相手を思い続けている・・・。その一途で動かしがたい姿が、この係り結びによって一段と強調されています。
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