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巻第12(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第12-2903~2907

訓読

2903
いとのきて薄(うす)き眉根(まよね)をいたづらに掻(か)かしめつつも逢はぬ人かも
2904
恋ひ恋ひて後も逢はむと慰(なぐさ)もる心し無くは生きてあらめやも
2905
いくばくも生けらじ命(いのち)を恋ひつつぞ我(あ)れは息づく人に知らえず
2906
他国(ひとくに)に結婚(よばひ)に行きて大刀(たち)が緒(を)もいまだ解かねばさ夜ぞ明けにける
2907
大夫(ますらを)の聡(さと)き心も今は無し恋の奴(やつこ)に我(あ)れは死ぬべし

意味

〈2903〉
 とりわけ薄いこの眉をいたずらに掻かせるばかりで、いっこうに逢おうとしない人ですこと。
〈2904〉
 恋焦がれ続けていて、いつかまた逢えるだろうと、自分を慰める強い心を持っていないと、とても生きていけそうにありません。
〈2905〉
 いくらも生きられる命ではないのに、恋に苦しみながら溜息ばかりついている。思うあの人に知ってもらえずに。
〈2906〉
 遠い他国まで妻どいに出かけて行ったが、腰に差した大刀の紐も解かぬうちに夜が明けてしまった。
〈2907〉
 立派な男子としての分別も今はなくしてしまった。恋の奴(やつこ)の手にかかって、私は死にそうだ。

鑑賞

 作者未詳の「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」5首。2903の「いとのきて」は「甚(いと)除(の)きて」の意で、取り分けて、特別に。「いたづらに」は、むなしく、無駄に。「掻かしめつつも」は、掻かせ続けて。ここでの「しめ」は使役の助動詞ですが、自分の意志ではなく、眉が痒くなるという生理現象によって、結果的に掻かされているというニュアンス「逢はぬ人かも」の「かも」は詠嘆。逢いに来てくれない人であることよ。眉が痒くなるのは恋人に逢える前兆とする信仰を踏まえている歌で、「薄き眉根」と言っているのは、単に美しく描いた眉のことか、あるいは掻けば擦り切れてますます薄くなると自嘲的に言っているのでしょうか。窪田空穂は、これは老いということを具象的に言ったもので、もう年配の女性が疎遠にしている夫に訴える心かとも言っています。

 
2904の「恋ひ恋ひて」は、長い間恋い焦がれ続けて。「恋ふ」を繰り返すことで、募りに募った感情の激しさを表します。「後も逢はむ」は、いつか将来、再び(あるいは初めて成就して)逢えるだろう。「心し無くは」の「し」は、強意の副助詞。そんな心さえなかったならば。「生きてあらめやも」の「やも」は、反語。生きてはいられないという極限の否定を意味します。男女どちらの歌とも取れますが、国文学者の小野寛は「『恋ひ恋ひて』後に逢うことに命をかけるのは女の歌かと思われる」と言っています。

 
2905の「いくばくも」は、下に否定の表現を伴い、いくらも~ない、の意。「生けらじ命を」は、いくらも生きてはいられないだろう命なのに。「生けらじ」の「らじ」は打消推量の助動詞。「を」は逆接の接続助詞で、~なのにの意。「息づく」は、単なる心の悩みを超えて、呼吸が浅くなり、胸が締め付けられるような身体的な苦痛を伴っていることを示しています。「人に知らえず」は、相手に知られないままに。片恋に苦しむ男の歌とされます。

 
2906の「他国」は、自分の郷里よりやや離れた土地、異郷。「結婚(よばひ)」は、妻どい、求婚。妻問い婚の社会では男が女の家へ行って相手の名を呼ぶことから、一般に求婚することをヨバヒというようになったと言われています。「大刀が緒もいまだ解かねば」というのは、腰に吊っている太刀の緒を、家に入るとまずその緒を解くのを、それすらせずに、の意。「さ夜」の「さ」は、接頭語。『古事記』にある八千矛神(大国主神)の求婚の歌に、出雲から越の国に「よばひ」に行って「太刀が緒も未だ解かずて」その乙女の寝ている部屋の板戸を押したり引いたりしているうちに、雉や鶏が鳴いて夜が明けてしまったことが歌われており、この歌はそれを要約したものと見られています。

 
2907の「大夫」は、勇ましく立派な男子。「聡き心」は、賢明な心、冷静な判断力。「今は無し」は、もはや消失してしまった。「恋の奴」は、恋を貶めて擬人化したもの。「奴」は「家(や)つ子」で、ツは連体修飾の格助詞。家に仕える最下層身分の召使い、奴婢のこと。「死ぬべし」は、死ぬに違いない、死ぬだろう。強い確信(当然・推量)を含んだ表現です。大夫たる者が恋の虜になったことを自嘲している歌で、「恋の奴」という言い方は当時の人々に好まれたらしく、他の歌にもいくつか見られます(巻第11-2574、巻第16-3816)。
 


「妹」と「児」の違い

 「妹」は、男性が自分の妻や恋人を親しみの情を込めて呼ぶ時の語であり、古典体系には「イモと呼ぶのは、多く相手の女と結婚している場合であり、あるいはまた、結婚の意志がある場合である。それほど深い関係になっていない場合はコと呼ぶのが普通である」とあります。しかし、「妹」と「児」とを、このように画然と区別できるかどうかは、歌によっては疑問を感じるものもあります。ただ、大半で「妹」が「児」よりも深い関係にある女性を言っているのは確かでしょう。

 また、例外的に自分の姉妹としての妹を指す場合もあり(巻第8-1662)、女同士が互いに相手を言うのに用いている場合もあります(巻第4-782)。

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