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巻第12(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第12-2918~2922

訓読

2918
おほかたは何(なに)かも恋ひむ言挙(ことあ)げせず妹(いも)に寄り寝(ね)む年は近きを
2919
ふたりして結びし紐(ひも)をひとりして我(あ)れは解き見じ直(ただ)に逢ふまでは
2920
死なむ命(いのち)此(ここ)は思はずただしくも妹(いも)に逢はざる事をしぞ思ふ
2921
幼婦(をとめご)は同じ情(こころ)にしましくも止(や)む時も無く見むとぞ思ふ
2922
夕(ゆふ)さらば君に逢(あ)はむと思へこそ日の暮るらくも嬉(うれ)しかりけれ

意味

〈2918〉
 普通ならなぜこんなに恋い焦がれることがあろう。あれこれ言わずとも、あの子と寄り添って寝る年は近いのに。
〈2919〉
 二人で結んだ衣の紐を、一人で私は解いたりなんかしない、じかに逢うまでは。
〈2920〉
 いつかは死ぬべき命だが、それは何とも思わない。ただ愛する人に逢えないことを辛く思う。
〈2921〉
 幼婦の私だって、あなたと同じで、しばらくも休むことなく、絶えずあなたとお逢いしたいと思っています。
〈2922〉
 夕方になるとあなたにお逢いできると思えばこそ、日が暮れるのも嬉しく思います。

鑑賞

 作者未詳の「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」5首。2918の「おほかたは」は、普通は、大体は。あるいはここでは、そもそも、いったい全体、といったニュアンスの語であるとも言います。「何かも恋ひむ」は反語で、どうして恋い焦がれることがあろうか。「言挙げ」は、思うことを言葉に出して言うこと。古代日本では「言葉に出したことは現実になる(言霊)」と信じられていたため、「言挙げせず」は、あえて言葉にしないことで運命に身を任せる、あるいは「理屈をこねない」潔さを表します。「妹に寄り寝む年は近きを」の解釈については、父母の許しを得て結婚できる日も近いこと、あるいは、地方官などの任期が満ちて都にいる妻に逢える日が近いことを言っているとも言われます。

 
2919の「ふたりして結びし紐を」とあるのは、夫婦が離れる時には互いに下紐を結び交わし、逢った時に解き交わすという風習を背景にしての表現。一人で解くのは他人と関係することを意味し、相手への裏切り、あるいは二人の絆を断ち切る行為に等しいと考えられていました。「解き見じ」の「見じ」は、~してみる、ためしに~する意の補助動詞ミルの強い打消推量。「絶対に解くものか」という強い決意です。

 
2920の「死なむ命」は、生命の本質としての死ぬべき命。「此は思はず」は、それは何とも思わない。原文「此者不念」で、コレハオモハズ、コレハオモハジなどと訓むものもあります。「ただしくも」は、ただしかし。原文「唯毛」で、タダニシモと訓むものもあります。「逢はざる事をしぞ思ふ」は「し」と「ぞ」のダブル強調。また「ぞ」は係助詞で、連体形の「思ふ」で結んでいます。この表現により、死ぬことなんかよりも、ただただ、あなたに逢えないという、そのことだけが、私を苦しめているのだ、という、作者の切実な思いがより際立っています。

 
2921の「幼婦」は乙女のことで、『万葉集』の文脈ではまだ成人前の幼さの残る少女を指すことが多い語です。斎藤茂吉は、これは「わたくしは」というのと同じだが、客観的に「幼婦は」というのにかえって親しみがあるようであり、「幼婦」というからこの歌がおもしろい、と言っています。原文「幼婦者」で、タワヤメハと訓むものもあります。「同じ情」は、変わらない心と解するものもあります。「しましくも」は、しばらくの間も。「見むとぞ思ふ」は、強意の係助詞「ぞ」+「思ふ」の連体形による係り結びで、作者の強い決意や切実な感情を強調しています。前の歌に対する女の返歌とする見方がある一方、上掲の解釈とは全く違い、男が幼い女の子を持つ女に贈った歌であり、幼い女の子をばあなたと同じ心で見よう(世話をしよう)のように解する説もあります。

 
2922の「夕さらば」は、夕方になると。「思へこそ」は、思えばこそ。「暮るらく」は「暮る」のク語法で名詞化したもの。「嬉しかりけれ」の「けれ」は「けり」の已然形で、上の強意の係助詞「こそ」の結び。「思っているからこそ、嬉しいのだなあ」という、あふれ出すような喜びと詠嘆が表現されています。電灯のない時代、夜は恋人たちが人目を忍んで逢瀬を重ねる大切な時間であり、この歌には、現代よりもずっと濃密だった「夜の訪れ」に対する期待感が凝縮されています。窪田空穂は、期待通りにやって来た夫を妻が喜んで迎えた挨拶の歌で、明るい気分が流れていると評しています。
 


『万葉集』の三大部立て

  • 雑歌(ぞうか)
    公的な歌。宮廷の儀式や行幸、宴会などの公の場で詠まれた歌。相聞歌、挽歌以外の歌の総称でもある。
  • 相聞歌(そうもんか)
    男女の恋愛を中心とした私的な歌で、万葉集の歌の中でもっとも多い。男女間以外に、友人、肉親、兄弟姉妹、親族間の歌もある。
  • 挽歌(ばんか)
    死を悼む歌や死者を追慕する歌など、人の死にかかわる歌。挽歌はもともと中国の葬送時に、棺を挽く者が者が謡った歌のこと。

 『万葉集』に収められている約4500首の歌の内訳は、雑歌が2532首、相聞歌が1750首、挽歌が218首となっています。

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斎藤茂吉と『万葉集』

 近代アララギ派の巨匠であり、精神科医でもあった斎藤茂吉(1882〜1953年)にとって、『万葉集』は単なる古典の研究対象を超え、彼の歌生命の源泉であり、生涯をかけた信仰そのものでした。茂吉の『万葉集』に対する関わりは、熱狂的な「万葉調」の創作実践と、緻密な実証精神に基づく膨大な研究という、実作と学問の幸福な結実として語ることができます。

  1. 創作における結晶~「実相観入」と万葉の生命力
     茂吉は師である正岡子規、伊藤左千夫が提唱した「写生」の説を発展させ、独自の芸術論である「実相観入(じっそうかんにゅう)」へと深化させました。「実相観入」とは、歌い手自身の主観(心)が、対象(自然や現実の事物)のありのままの姿(実相)に深く溶け込み、一体化することによって、対象そのものの内なる生命を写し取る、という歌学理論です。この理論のバックボーンとなったのが『万葉集』でした。茂吉は万葉和歌に、後世の技巧や理屈に曇らされていない「人間と自然とのダイレクトなぶつかり合い」を見出しました。

     彼の第一歌集『赤光(しゃっこう)』(1913年)や、それに続く『あらたま』では、万葉の響きや語彙(「〜かも」「〜ゆゆし」など)を大胆に導入しながら、近代人の強烈な自我や、生と死、エロスへの衝動を、圧倒的なエネルギーで詠み上げました。彼にとって万葉調とは、回顧的な擬古(古典の真似事)ではなく、「現代の生を最も力強く表現するための唯一の武器」だったのです。
  2. 研究における執念:大著『万葉秀歌』と評釈の山
     茂吉は生涯を通じて『万葉集』の研究に没頭し、専門の国文学者も驚嘆するほどの質と量を誇る業績を残しました。そのアプローチは、精神科医(科学者)としての冷徹な実証眼と、歌人としての鋭い直感が融合したものでした。彼の著書『万葉秀歌』(岩波新書)は、上代和歌の入門書・鑑賞書として今なお読み継がれる名著です。万葉集から厳選した秀歌について、一首一首の言葉の響きや情景を、実作者ならではの感性で活写しています。

     また、『評釈万葉集』などの膨大な注釈作業によって、柿本人麻呂や山部赤人、大伴家持ら、万葉の歌人一人ひとりの作品を徹底的に語釈(言葉の意味の解釈)し、評釈を加えました。特に柿本人麻呂への傾倒は凄まじく、全5巻に及ぶ『柿本人麻呂』を著し、帝国学士院賞を受賞しています。

     茂吉の評釈の特徴は、単に訓読や文法を整理するだけでなく、「その歌が詠まれた瞬間の、歌人の心の動き(心理的リアリティ)」にどこまでも迫ろうとした点にあります。
  3. まとめ
     江戸時代の本居宣長らが「古代の正しい言葉と心」を解き明かすために『万葉集』に向き合ったのだとすれば、斎藤茂吉は「千年前の強靭な生命力を、現代の短歌の中に完全に蘇生させる」ために万葉に向き合いました。彼によって『万葉集』は、埃をかぶった古典籍から、今を生きる人間のドクドクと脈打つ感情を表現するための「生きた教科書」へと変貌を遂げたと言えます。
古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。