| 訓読 |
2932
心には燃えて思へどうつせみの人目を繁(しげ)み妹(いも)に逢はぬかも
2933
相(あひ)思はず君はいませど片恋(かたこひ)に我(あ)れはぞ恋ふる君が姿に
2934
あぢさはふ目は飽(あ)かざらね携(たづさは)り言問(ことと)はなくも苦しかりけり
2935
あらたまの年の緒(を)長くいつまでか我(あ)が恋ひ居(を)らむ命(いのち)知らずて
2936
今は吾(あ)は死なむよ我が背(せ)恋すれば一夜(ひとよ)一日(ひとひ)も安けくもなし
| 意味 |
〈2932〉
心が燃えるほど、あの娘のことを思っているのに、人の目がうるさくて逢えないでいる。
〈2933〉
私のことなど思って下さらないでしょうが、片恋に苦しみながら私は恋い焦がれています、あなたのお姿に。
〈2934〉
近くでいつもお見かけしていながら、手を取り合ってお話できないのは苦しいことです。
〈2935〉
長い年月、いつまで私は恋い焦がれていなければならないのか、命のほども知らないで。
〈2936〉
もう私は死んでしまうほうがましです。あなたを恋すれば、夜は夜じゅう、昼は昼じゅう、心の休まることがありません。
| 鑑賞 |
作者未詳の「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」5首。2932の「心には 燃えて思へど」は、心の中では(火が燃えるように)激しく思っているのだけれど。「うつせみの」は「人」の枕詞。もともとは「現身(うつしみ)」から転じ、「この世に生きている」という意味を添えます。「人目を繁み」の「繁み」は「繁し」のミ語法で、人目が多いので。「逢はぬかも」の「かも」は詠嘆で、逢わないでいることだなあ。情熱と現実の板挟みを詠んだ切ない一首であり、再び、万葉の恋人たちを苦しめる最大の壁「人目」が登場しています。
2933の「相思はず」は、お互いに愛し合っていないこと、片思い。「君はいませど」は、あなたは(平然として)いらっしゃいますが。原文「公者雖座」で、キミハマサメドと訓むものもあります。「片恋」は、片思い。「我れはぞ恋ふる」の「我れはぞ」は、係助詞のハとゾを重ね、主格を提示し更に強く指示する言い方。「君が姿に」とあるのは、実物の「あなた」ではなく、心の中に焼き付いている「あなたの面影」に向かって恋をしている、というニュアンスです。「姿」の原文「光儀」で、『文選』や『遊仙窟』などに見える、容光儀態の意の語。
2934の「あぢさはふ」は、語義未詳ながら「目」にかかる枕詞。「目は飽かあらね」は、見る目には飽いているが、の意で、常に顔は見ていることをいったもの。「携り」は、手を取り合って。「言問はなくも」は、言葉を交わさないのも。「苦しかりけり」の「けり」は、詠嘆・気づきの助動詞。女の歌で、いつも近くで見慣れていて憎からず思っている男が、自分に対してまったく懸想の気配を見せない、つまり互いの体温や声を共有する「実存的な恋」へと踏み出せないもどかしさを、心寂しく思っています。
2935の「あらたまの」は「年」の枕詞。「あらたま」は、宝石・貴石の原石を指すものと見られますが、掛かり方は未詳。一説に年月が改まる意からとも。「年の緒長く」の「緒」は紐のことで、紐が長く続くように、年月が長く重なっている様子。「恋ひ居らむ」は、恋い続けているのだろうか。「居り」は状態の継続を表します。「命知らずて」は、自分の寿命(いつ死ぬか)も分からないまま。日々の苦悩を「時間」という大きな物差しで捉え直し、自分の命が尽きるのが先か、恋が成就するのが先かという極限の問いを投げかける一首です。
2936の「今は吾は死なむよ」の「今は」は、ついにここまで来てしまったという極限状態。「死なむ」は、死ぬだろう、死んでしまおう。「よ」は、詠嘆・呼びかけの終助詞。「恋ふれば」は、恋い慕っているので。「一夜一日も」は、一晩、一日たりとも。24時間、絶え間なく。「安けくもなし」は、安らかではない。「安けく」は「安し」ク語法で名詞形。この歌を秀歌の一つにあげた斎藤茂吉は、「女が男にうったえる言葉としては、甘くて女の声そのままを聞くようなところがある。そういう直接性が私の心を牽いたためであるが、後世の恋歌になると、文学的に間接に堕ち却って悪くなった」と言っています。

斎藤茂吉について
斎藤茂吉(1882年~1953年)は大正から昭和前期にかけて活躍した歌人(精神科医でもある)で、近代短歌を確立した人です。高校時代に正岡子規の歌集に接していたく感動、作歌を志し、大学生時代に伊藤佐千夫に弟子入りしました。一方、精神科医としても活躍し、ドイツ、オーストリア留学をはじめ、青山脳病院院長の職に励む傍らで、旺盛な創作活動を行いました。
子規の没後に創刊された短歌雑誌『アララギ』の中心的な推進者となり、編集に尽くしました。また、茂吉の歌集『赤光』は、一躍彼の名を高らかしめました。その後、アララギ派は歌壇の中心的存在となり、『万葉集』の歌を手本として、写実的な歌風を進めました。1938年に刊行された彼の著作『万葉秀歌』上・下は、今もなお版を重ねる名著となっています。

【PR】
|
古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |