| 訓読 |
2937
白栲(しろたへ)の袖(そで)折り返し恋ふればか妹(いも)が姿の夢(いめ)にし見ゆる
2938
人言(ひとごと)を繁(しげ)み言痛(こちた)み我(わ)が背子(せこ)を目には見れども逢ふよしもなし
2939
恋ふと言へば薄(うす)きことなり然(しか)れども我(わ)れは忘れじ恋ひは死ぬとも
2940
なかなかに死なば安(やす)けむ出づる日の入(い)る別(わき)知らぬ我(わ)れし苦しも
2941
思ひ遣(や)るたどきも我(わ)れは今は無し妹(いも)に逢はずて年の経(へ)ぬれば
| 意味 |
〈2937〉
白栲の袖を折り返して恋い焦がれて寝たせいか、あの子の姿が夢に出てきた。
〈2938〉
人の噂がうるさくて煩わしいので、あの方を目には見ているけれど、直接逢う手立てがない。
〈2939〉
「恋う」と言うと、薄っぺらで通りいっぺんな言葉に聞こえます。けれども、私は恋に焦がれて死ぬことがあっても、あなたのことを忘れません。
〈2940〉
いっそのこと死んでしまえば気楽だろう。太陽がいつ出てきていつ沈んだのか分からずに暮らす私は、苦しくてたまらない。
〈2941〉
憂いの気持ちを晴らす手だては今の私にはない。あの子に逢えないまま年月がどんどん経っていくので。
| 鑑賞 |
作者未詳の「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」5首。2937の「白栲の」は「袖」の枕詞。「白栲」は、真っ白な布のことで、「栲」は、こうぞ類の樹皮からとった繊維、またそれで織った布をいいます。「袖折返し」は、袖口を折り返して寝ると、思う人を夢に見ることができるという俗信をいっています。「恋ふればか」の「か」は疑問で、恋ふるからかの意。「夢にし見ゆる」の「し」は、強意の副助詞。本当にまじないが効いた!という驚きと、これほどまでに私は彼女を思っているのだという再認識が混ざり合っている歌です。
2938の「人言を繁み」は、人の噂が激しいので。「言痛み」は、噂があまりに激しく、苦痛であること。原文は「毛人髪三」となっており、毛人は蝦夷を指し、その髭が濃くて、見た目にうるさいゆえの当て字(戯訓)だといいます。この上2句は慣用句になっているものです。「目には見れども」は、(遠くから姿を)見ることはあっても。「逢ふよしもなし」は、逢う方法もない意で、二人だけで逢う、共寝をすることができないと言っています。「目には見れども」という句が切実で、同じコミュニティや近くに住んでいて姿を見かけることはできる。しかし、それはかえって「触れられない」という事実を強調する拷問のような状況になっているのです。
2939の「恋ふと言へば」の原文「恋云者」で、コヒトイヘバと詠むものもあります。コヒではなくコフとする立場からは、「恋」を名詞にすると抽象的な表現になり、ここはあなたを思うという意味で「恋ふ」という動詞にした方が適切だと説かれます。「然れども」は、けれども。強い逆接の接続詞。「我れは忘れじ」は、私は決して忘れない。「じ」は打消の意志(決して〜しない)の助動詞。「恋ひは死ぬ」は、恋い死ぬ(恋のために死ぬ)意。「恋ひ死ぬ」に係助詞の「は」が挿入された形で、「恋ひ」を強く提示しているものです。武田祐吉は、「表現に屈折があって、一ふしある歌になっている」と、その文芸性を評しています。
2940の「なかなかに」は、かえって、むしろ。「死なば安けむ」は、死んだならば心安らかになれるだろうに。「出づる日の入る別」は、日が昇り、日が沈むという時間の区別。「知らぬ」は、分からなくなってしまった。「我れし」の「し」は、強意の副助詞。「苦しも」の「も」は詠嘆で、苦しいことよ。窪田空穂はこの歌を評し、「片恋の苦しさに、昼夜の差別もわからないというのである。『出づる日の入る別知らぬ』には新しさがあるが、同時に知性的な匂いがあって、悩みの表現にはふさわしくない」と述べています。
2941の「思ひ遣る」は、憂いを晴らす、気を紛らわせること。「たどき」は、方法、手段。「今は無し」は、「今は」という言葉に、かつてはいろいろと抗う方法もあったが、それも尽き果てたというニュアンスが込められています。「逢はずて」は、逢わないままで。「年の経ぬれば」は、年月が経ってしまったので。時間の経過がもたらす絶望を歌った歌ですが、類想の多いものです。

巻第11と第12
巻第11と第12は「古今相聞往来歌類」という名が付いていて、巻第11が上巻、第12が下巻という構成になっています。各巻のそれぞれの部立ては以下の通りになっています。
(巻第11:古今相聞往来歌類上巻)
(1)旋頭歌 15首(柿本人麻呂歌集の歌・古歌集)
(2)正述心緒 47首(柿本人麻呂歌集の歌)
(3)寄物陳思 94首(柿本人麻呂歌集の歌)
(4)問答 9首(柿本人麻呂歌集の歌)
(5)正述心緒 104首
(6)寄物陳思 193首
(7)問答 20首
(8)比喩 13首
(巻第12:古今相聞往来歌類下巻)
(1)正述心緒 10首(柿本人麻呂歌集の歌)
(2)寄物陳思 14首(柿本人麻呂歌集の歌)
(3)正述心緒 100首
(4)寄物陳思 193首
(5)問答 26首
(6)羇旅發思 53首
(7)悲別歌 31首
(8)問答 10首
巻第11・12の歌は、巻第13と同じく全て「作者未詳歌」で、詞書もなく配列されている巻です。このためもあって、作成年代は、研究者の間でも確定していません。
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