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巻第12(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第12-2966~2970

訓読

2966
紅(くれなゐ)の薄染め衣(ころも)浅らかに相(あひ)見し人に恋(こ)ふるころかも
2967
年の経(へ)ば見つつ偲(しの)へと妹(いも)が言ひし衣(ころも)の縫目(ぬひめ)見れば悲しも
2968
橡(つるはみ)の一重(ひとへ)の衣(ころも)裏もなくあるらむ子ゆゑ恋ひわたるかも
2969
解(と)き衣(きぬ)の思ひ乱れて恋(こ)ふれども何のゆゑぞと問ふ人もなし
2970
桃花(もも)染めの浅(あさ)らの衣(ころも)浅らかに思ひて妹に逢はむものかも

意味

〈2966〉
 紅に薄く染めた衣の色が薄いように、ほんの行きずりに見た人が、別れても恋しく思われる。
〈2967〉
 何年か経ったらこれ見て私を思い出してください、と妻が言った衣。その縫目を見ると、悲しくてたまらない。
〈2968〉
 橡の一重の衣に裏地がないように、裏表のない純真な心を持っているだろうあの子のために、私はずっと恋い焦がれ続けていることだよ。
〈2969〉
 脱ぎ捨てた着物のように、思い乱れて恋い焦がれているけれども、何のせいなのかと問いかけてくれる人もいない。
〈2970〉
 桃の色に染めた薄い色の衣のような、そんな薄っぺらい気持ちであなたに逢っているのではありません。

鑑賞

 作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、いずれも「衣」に寄せての歌。2966の「紅の薄染め衣」は、紅花(べにばな)で薄く染めた衣。何度も浸けて濃く染め上げる「深染め」に対し、一度や二度さっと浸しただけの淡い染め色を指します。上2句は「浅らかに」を導く譬喩式序詞。「浅らかに」は、ほんのわずかに。深い仲になる前の、顔を合わせた程度の段階を指します。「恋ふるころかも」の「かも」は詠嘆で、恋しているこの頃だなあ。男女どちらの歌とも取れ、両説に分かれていますが、「紅の薄染め衣浅らかに」の表現の細やかさからは、女の歌のように思われます。

 
2967の「年の経ば」は、年が経ったならば。「見つつ偲へと」は、(衣を)見ながら私を思い出してください、という相手の言葉。妻を亡くした、あるいは妻を置いて遠隔地に赴任した男の歌でしょうか、妻が縫ってくれた衣の縫い目を見て、妻の仕草を思い出し、恋しがっています。「旅に出たのなら、年ノ経バとは言わない」とする意見や、大伴家持の亡妾挽歌にある「秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも」(巻第3-464)との類似性から、挽歌的な発想で詠んでいるとの見方があります。一方、佐佐木信綱は「綻びかかった旅衣の縫目に涙する遊子望郷の情、あまりに感傷に過ぎると見るのは、時代を解しないものである。行路の不安、宿舎の不便は、今日から到底想像も及ばなかったのである」と述べています。

 
2968の「橡」は、クヌギの木で、どんぐりを煮た汁で衣を染めた橡染めは、庶民の着物に使われました。ここでは日常的で飾り気のない、素朴なイメージを強調しています。上2句は「一重の衣」が裏地のない意から、「うらもなく」を導く序詞。「うら」は着物の裏地と「心」の意味を掛けています。「あるらむ子ゆゑ」は、(裏がなく純真で)あるに違いないあの子のために、の意。男の歌で、無心で物思いも知らないような乙女に恋をし、自身の一人相撲のじれったさを歌っています。

 
2969の「解き衣の」は、縫い糸を解きほどいた着物が布切れになってばらばらになることから「思ひ乱る」にかかる枕詞。「何のゆゑぞと問ふ人もなし」は、「どうしたの?」と声をかけてくれる人さえいない。「ゆゑ」は、理由。「問ふ人」は、気にして尋ねる人で、ここは世間一般の人というよりは、自分の異変に気づいてほしい肝心の相手を指しています。女の歌で、君のせいで思い乱れているのに、「なぜそんな様子なのですか?」と問いかけてくれることすらない、相手の無関心を恨んでいる歌です。

 
2970の「桃花染め」は、桃色染めで、衛士、兵士など下級役人の服色。実際には桃の花で染めるのではなく、紅花(べにばな)などで薄く染めた色を指します。「浅らの衣」は、色薄く染めた衣。すぐに褪せてしまいそうな頼りなさを象徴しています。「浅ら」は、形容詞「浅し」の語幹アサに、その状態を表すラのついたもの。上2句は「浅らかに」を導く同音反復式序詞。「浅らかに思ひて」は、いい加減な、中途半端な気持ちで、という意味。「逢はむものかも」の「かも」は、ここは反語。逢うのだろうか、いや逢いはしない。男の女に初めて逢った時に、自分の決意を強く宣言した歌とされます。
 


かなし(悲し・愛し)

 自分の力では如何ともしがたい情動が心に湧き起こってくる状態をいう語であり、その具体的な意味の領域は非常に広い。不可能を意味する補助動詞「かぬ」と同根であると言われる。「愛しい」「悲しい」という二つの意味で説明されることが多いが、その両者が混在する例も見られ、さらに具体的な心情を捉えようとすると、用例ごとに多彩な意味合いを見せる語である。

 抑えがたい情動として、カナシはやはり挽歌に用いられることが多い。

~『万葉語誌』から抜粋引用

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寄物陳思

 『万葉集』の作歌方法に関する分類用語の一つに、寄物陳思(きぶつちんし)がある。「物に寄せて思ひを陳(の)ぶ」という意であり、具体的には自然の物象に託して恋の心情を表現しようとする歌のことである。表現のしくみからいえば、物象を表すことばと心情を表すことばとを有機的に対応させながら一首を構成する方法である。物象を表す序詞を取り込んで、それを心情を表す本旨につないでいく作歌方法も、その一つの典型とみられる。

 夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものそ(坂上郎女 8・1500)

「姫百合の」までの序詞の物象が、「知らえぬ恋は」以下の心情を表す本旨部分と対応しあっている。むせかえるような夏草の繁みの中にこっそりと可憐な彩りをみせている姫百合が、そのまま秘めた恋に苦衷をかみしめる心のはなやぎにつらなっている。物と心が対等の位置を占めながら、鮮明な詩情をかもし出すことになる。

 寄物陳思の方法は、ひとり序詞に限ったことではなく、物と心の対応する表現機構一般に広げて考えてよい。

 君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く(額田王 4・488)

「君待つと我が恋ひ居れば」の心情のことばぐらいだけならば、ありきたりの言い方でしかない。しかし「我が宿のすだれ動かし秋の風吹く」という自然物象の風趣を取り込んでいるところに、歌の抒情性を純化させる個性的な斬新さがある。

 このように物象を表すことばと心情を表すことばが互いに対応しあうように、一首を物と心で構成する方法が、『万葉集』の始まりから終わりまでを貫くもっとも伝統的な作歌方法であった。しかも、古く記紀歌謡の多くともつながっている。「寄物陳思」は、『万葉集』のもっとも伝統的で重要な作歌方法である。

~『万葉集ハンドブック』/三省堂から引用

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