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巻第12(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第12-2981~2984

訓読

2981
祝部(はふり)らが斎(いは)ふ三諸(みもろ)のまそ鏡(かがみ)懸(か)けて偲ひつ逢ふ人ごとに
2982
針はあれど妹(いも)し無ければ付けめやと我(わ)れを悩まし絶ゆる紐(ひも)の緒(を)
2983
高麗剣(こまつるぎ)我(わ)が心から外(よそ)のみに見つつや君を恋ひわたりなむ
2984
剣大刀(つるぎたち)名の惜しけくも我(わ)れはなしこのころの間(ま)の恋の繁(しげ)きに

意味

〈2981〉
 神主たちが祭壇にかけて大切に祀っているまそ鏡のように、心に懸けてあの人を偲んだことだ。出会う人ごとに。
〈2982〉
 針はあるけれど愛しい妻がいないので付けることができようか、付けられまいと、私を困らせるように紐の緒が切れてしまった。
〈2983〉
 私の心のゆえに、ただ遠目に見ているだけで、ずっとあなたを恋い続けるしかないのでしょうか。
〈2984〉
 私の名など惜しいという気持ちはない。この頃の恋が繁くあるので。

鑑賞

 作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」で、2981は「鏡」に寄せての歌。「祝部」は、神に奉仕する職で、神主・禰宜(ねぎ)に告ぐ神官。歌では多く神職にある人を指して言われています。「斎ふ」は、呪術を行うこと、けがれを清めて忌み慎むこと。「三諸」は、神社や神坐。「まそ鏡」は、そこに供えてある澄んだ鏡。上3句は、鏡を懸けるところから「懸けて」を導く序詞。「懸けて偲ひつ」は、心に懸けて偲んだことだ。原文「懸而偲」で、カケテゾシノフと訓むものもあります。男女いずれの歌か分かりませんが、窪田空穂は、「祭礼の夜、社に参拝した女が、そこに集まっている男を見るごとに、自分の夫を連想して、思慕を募らせている心」と解しています。

 
2982は「針」に寄せての歌。「妹し無ければ」の「し」は、強意の副助詞。「付けめやと」の「や」は、反語の助詞。付けられようか、付けられまいと。「絶ゆる」は、切れる。旅の途中に切れてしまった衣の紐を手にして、針はあっても妻が傍にいないからお前には付けられまいと困らせるこの意地悪な紐よ、と紐を擬人化して文句を言っています。旅先での歌でしょうか、あるいはふだんなかなか逢えない恋人を思っての歌でしょうか。窪田空穂は、「実際に即した小味なものであるが、じつに巧妙な歌である」と評し、また「女性の母性本能をそそるような歌である」との評があります。

 2983・2984は「剣」に寄せての歌。
2983の「高麗剣」は、高麗から伝来した剣で、柄頭に環状の飾りが付いているところから「我(わ)」にかかる枕詞。「我が心から」は、自分の心のせいから。「心」の原文「景迹」で、ココロではなく行状の意のワザと訓み、第2句を「おのが行(わざ)から」とするものもあります。「外のみに見つつや」の「や」は、疑問の係助詞。「恋ひわたりなむ」は結びの連体形で、恋い続けていくのだろうか。「恋ひわたりなむ」の「わたり」は時間の持続(ずっと~し続ける)を、「なむ」は強い推量を表します。私の心のゆえにというのは、自分の弱い性分のせいでと言っているのでしょうか、それとも何か男を腹立たせるようなことがあったのでしょうか。

 
2984の「剣太刀」は「名」の枕詞。「名」に続けるのは、太刀には刀鍛冶が名を刻むことから、あるいは刀の刃を奈(な)と言ったところからとも言われます。「名」は、世間体、浮名、自分の名誉のこと。「惜しけく」は「惜し」のク語法で名詞形。「このころの間」は、最近、ここ数日。今まさに感情がピークに達している時間的な緊迫感を表します。「恋の繁きに」の「繁し」は、草木が生い茂るように、次から次へと湧き上がって止まらない様子。恋の激しさのあまり名を重んじる心を捨てようという、類想の多い歌で、巻第4-616にある山口女王の「剣大刀名の惜しけくも我れはなし君に逢はずて年の経ぬれば」に倣ってのものとみえます。
 


しのふ(偲ふ)

 眼前に見える物を媒介として遠く離れてある人や物に心が引き寄せられることを意味する。「賞美する」の意とされる場合も、眼前に見える具象的な物を通じて、そこに内在する本質に思いを致す意と捉えることで、眼前にいない人や物に思いを馳せる意と統一的に解することができる。

 シノフは類義語オモフと重なる部分も大きいが、また異なる側面を持つ。シノフの『万葉集』中での用例は、「見つつ偲ふ」という類型表現を取るものが多く見られ、「見る」こととの関係において捉えるべきことが知れる。それに比してオモフは自らの内面に対象を思い描く意であることがわかる。

~『万葉語誌』から抜粋引用

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ク語法とは

 用言(動詞や形容詞)の語尾に「く(らく)」を付けて、全体を名詞のように扱う表現のこと。主に古典日本語に見られ、「~すること」「~ところ」「~もの」といった意味を表します。「言はく」「語らく」「老ゆらく」「悲しけく」「散らまく」などがその例で、現代語においても「思わく(思惑は当て字)」「体たらく」「老いらく」などの語が残っています。

 ク語法は、中国の漢文を日本語として読む際、名詞節を構成するために重宝されました。荘重で改まった響きを持つため、格調高い歌や祝詞(のりと)などにも多く見られます。名詞化することで、自分の感情を客観的に提示し、それを強調する効果があります。言わば、言葉を「動詞(動くもの)」のままにせず、一瞬止めて「名詞(形あるもの)」として差し出すようなイメージです。

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。