| 訓読 |
2985
梓弓(あづさゆみ)末(すゑ)はし知らず然(しか)れどもまさかは吾(われ)に寄りにしものを
2986
梓弓(あづさゆみ)引きみ緩(ゆる)へみ思ひみてすでに心は寄りにしものを
2987
梓弓(あづさゆみ)引きて緩(ゆる)へぬ大夫(ますらを)や恋といふものを忍(しの)びかねてむ
2988
梓弓(あづさゆみ)末(すゑ)の中ごろ淀(よど)めりし君には逢ひぬ嘆きは止まむ
2989
今さらに何をか思はむ梓弓(あづさゆみ)引きみ緩(ゆる)へみ寄りにしものを
| 意味 |
〈2985〉
梓弓の末ではないが、行く末のことはわかりません。ですが、今は私に身も心も寄せてくれていることです。
〈2986〉
梓弓を引いたり緩めたりするように、よく考えてみて、私の心はすっかりあなたに寄り添っています。
〈2987〉
梓弓を引き絞ったまま緩めないでいるような、張り詰めた心の男子たるものも、恋にかかってはこんなに耐えきれないものなのか。
〈2988〉
梓弓の先から手元を、引き絞ったまま静止するように、しばらく逢えなかったあなたにやっと逢えたので、私の嘆きはおさまるでしょう。
〈2989〉
今さら何を思い悩みましょうか。弓を引いたり緩めたりして弓の本末が寄るように、私の心はあなたに寄ってしまいましたのに。
| 鑑賞 |
作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、いずれも「弓」に寄せての歌。2985の「梓弓」は梓の木で作った弓で、その下方を本、上方を末というところから、「末」の枕詞。「末はし知らず」の「末」は、行く末、将来。「し」は、強意の副助詞。結末(将来)はどうなるか分からないという意で、将来への不透明さや、身分の差、何らかの障害があることを予感させます。「まさか」は「末」に対して、現在の意。「寄りにしものを」の「寄りにしものを」の「寄る」は、好意や思いを寄せた状態の表現。「ものを」は、逆接の気持を表した詠嘆。不確かな未来よりも、確かな現在を肯定する、潔い愛の形を歌った歌です。左注に、ある本に「梓弓末のたづきは知らねども心は君に寄りにしものを」という、とありますが、本歌が男の歌と見られるのに対しこちらは女の歌であり、別伝というより独立した別の歌だろうとされます。
2986の「梓弓」は、梓の木で作った弓。梓は神聖な木とされ、狩猟用の弓のほか、祭祀などにも用いられました。「引きみ緩へみ」は、引き絞ったり緩めたりで、弓を試してみる意。「~み~み」は、動作の反復を表し、「近づこうか、それとも距離を置こうか」とためらう心理描写となっています。「思ひみて」は、よく考えてみて。「すでに心は寄りにしものを」の「すでに」は重要な語で、迷いの時期は終わり、不可逆的な決断を下したことを示します。「寄りにし」は、好意や思いを寄せた状態の表現。「ものを」は、逆接の気持を表した詠嘆。窪田空穂は、「女が男の求婚を承諾して、その男と初めて逢った夜、改めて心を告げたもの」と解しています。
2987の「引きて緩へぬ」は、引き絞って緩めない、一度弓を引いたら(標的を定めたら)、決して手を緩めない。強固な意志や、武人としての厳格さを表します。「大夫や」の「大夫」は、立派な男、勇者。「や」は、疑問の係助詞。「忍びかねてむ」の「かね」は不可能・困難の意を表す動詞、「て」は完了の助動詞、「む」は推量の助動詞(連体形の係り結び)で、耐えることができない意。自分の誇りをもってしても、この恋心だけは抑え込めないという限界の吐露です。
2988の「梓弓」は「末」の枕詞。「末」は、弓の上方。「梓弓末の」は、梓弓の末に「中」と称する部分があって「中」を導く序詞であり、「中ごろ」は中途を意味するとされますが、ここの掛かり方を含む解釈は諸説あるところです。「淀めりし」は、水が流れずにとどまるように、心がためらったり、物事がうまく進まず停滞したりしていた様子。「嘆きは止まむ」の「む」は、推量。原文「嗟羽將息」で、ナゲキハヤメムと訓み、嘆くことは止めよう、と、自分の意志を述べたものと解する説もあります。
2989の「今さらに何をか思はむ」の「か」は係助詞。結びの「思はむ(連体形)」と呼応する係り結び(反語)となっており、今となってはもう思い悩む必要などないという強い決意を表します。「梓弓引きみ緩へみ」は2986番歌でも使われた表現で、梓弓を引き絞ったり緩めたり。心が揺れ動いた葛藤の時間を振り返っています。この2句は、弓の本と末が寄る意で「寄り」を導く序詞。「寄りにしものを」の「ものを」という詠嘆が、こうなってしまった以上、もう後戻りはできないという、ある種の心地よい諦念を感じさせます。上の2986の歌の異伝かともいわれます。

『万葉集』クイズ
次の歌から、(1)二句切れの歌をあげてください、また(2)倒置法を用いている歌をあげてください。
235 大君は神にしませば天雲の雷の上に廬りせるかも
251 淡路の野島が崎の浜風に妹が結びし紐吹きかへす
255 天離る夷の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ
264 もののふの八十氏河の網代木にいさよふ波の行く方知らずも
265 苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに
266 近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ
270 旅にしてもの恋しきに山下の赤のそほ船沖にこぐ見ゆ
271 桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟潮干にけらし鶴鳴き渡る
274 我が舟は比良の港に漕ぎ泊てむ沖へな離りさ夜更けにけり
275 何処にか我が宿りせむ高島の勝野の原にこの日暮れなば
【解答】 (1)265・271・275 (2)265・275
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