| 訓読 |
3000
魂(たま)合へば相寝(あひぬ)るものを小山田(をやまだ)の鹿猪田(ししだ)守(も)るごと母し守(も)らすも [一云 母が守らしし]
3001
春日野(かすがの)に照れる夕日の外(よそ)のみに君を相(あひ)見て今ぞ悔(くや)しき
3002
あしひきの山より出(い)づる月待つと人には言ひて妹(いも)待つ吾(われ)を
3003
夕月夜(ゆふづくよ)暁闇(あかときやみ)のおほほしく見し人ゆゑに恋ひ渡るかも
3004
ひさかたの天(あま)つみ空に照る月の失(う)せむ日にこそ吾(あ)が恋止まめ
| 意味 |
〈3000〉
心が通じ合ったのだから共に寝られるというのに、まるで鹿や猪から大切な田を守るように、あの子の母親が見張りをしておいでだ。[一云 母親が見張りをしておいでだった]
〈3001〉
春日野に照っている夕日を見るように、自分に関係ないとばかり思って見ていたのが、今になって悔やまれる。
〈3002〉
山から出てくる月を待っていると人には告げながら、実はあの子を待っている私であるよ。
〈3003〉
夕月の夜の、明け方の闇のように、ほのかに見かけたお人であるのに、恋い続けていることだ。
〈3004〉
空高く照る月がこの世から無くなってしまう日が来るならば、私の恋も止むだろうけど。
| 鑑賞 |
作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、3000は「田」に寄せて歌。「魂合へば」は、心が通じたのだから、心が通じ合っているので。「相寝るものを」の原文「相宿物乎」で、アヒネムモノヲと訓み、共に寝ようものを、のように解するものもあります。この初句の「魂が通じ合えば共寝できる」というのは、当時の諺のようなものだったかもしれません。「小山田」の「小」は、接頭語。「鹿猪田」は、鹿や猪が荒らす田。「守らす」は「守る」の敬語。娘の母親の反対で逢うことができないことを嘆く男の歌とされますが、自分の母親の妨害をからかう女の歌との見方もあります。男が女のもとに通う「通い婚」にあっては、実際に逢う(=性交渉を持つ)許可を下す決定権の多くは、女の母親が握っていたのです。なお、恋路の障害として母親が登場するのが作者未詳歌の特徴とされています。
3001は「日」に寄せての歌。「春日野」は、奈良市東方の春日山地西麓一帯の野。上2句は、照っている夕日を遠く見る意で「外のみに」を導く序詞。「外のみに」は、自分には関係ないとばかり思って。「今ぞ悔しき」は、今になって悔やまれる。強調の「ぞ」+形容詞「悔し」の連体形「悔しき」による係り結び。窪田空穂は、「女の歌で、男から求婚された時、冷淡に扱って、関係を結ぶまでに至らなかったのを、後悔している心である」と説明しています。
3002~3004は「月」に寄せての歌。3002の「あしひきの」は「山」の枕詞。「人には言ひて」は、わざわざ人には(そう)言っておいて。末尾の「を」は、詠嘆。戸外で恋人と逢う約束をして待っているのに、相手の女性がなかなか現れず、通る人に見咎められるたびに、「月を見ようと思って」と言い訳しています。「月を待つ」というのは、当時としては非常に優雅で風流な振る舞いでしたから、非常に体裁の良い、洗練された口実になります。しかし、どこまで本気にしてもらえたか自分でも疑わしいのでしょう。巻第13-3276の長歌の末尾5句がこの短歌にそっくりで、「妹」が「君」になっているだけの違いです。広く愛誦された歌なのでしょう。
3003の「夕月夜」は、月の前半の夕方に出る月のことで、夜明け前が闇になるところから「暁闇」にかかる枕詞。「夕月夜」との言葉と並べることで、一晩じゅう悶々としていた時間の経過を暗示しています。また、最初(夕方)は期待に満ちていたのに、最後(明け方)には深い闇(孤独)に包まれるという、恋の絶望感も表現されています。上2句は「おほほしく」を導く譬喩式序詞。「おほほしく」は、ほのかに、おぼろげに。「見し人ゆゑに」の「人」は、女。「ゆゑに」は、原因・理由を示すというより、~であるのに、の意。「恋ひ渡るかも」の「渡る」は補助動詞で「ずっと〜し続ける」という意味。「かも」は、詠嘆。類歌の多いものです。
3004の「ひさかたの」は「天」の枕詞。集中50例ある枕詞で、天・雨・月などにかかりますが、語義・掛かり方とも未詳。「照る月の」の原文「照月之」は、本によっては「照日之」となっており、テレルヒノ、テラスヒノとするものがあります。「吾が恋止まめ」の「止まめ」は上の強調の係助詞「こそ」の結びで、自動詞「止む」の未然形
+ 推量の助動詞「む」の已然形。「こそ 〜 已然形」の形は、単なる強調よりもさらに強い、断定的な意志や逆説的な強調を生みます。男が女に対して自分の真実の恋を誓った歌とされ、月が消える日などあり得ないことから、何があっても私の思いは決して止むことはない、と言っています。

係り結びの効果
上の3001の歌にある「今ぞ悔しき」」という係り結びは、単なる文法ルール以上の役割を果たしています。まず第一に、「悔しい」という感情が、過去のことではなく、今(まさにこの瞬間)こみ上げてきて抑えきれないものであることを強調しています。「ああ、今になって本当に悔しくてたまらない」という心の叫びが「ぞ」に込められています。第二に、「悔し」という終止形で言い切ると文章がピシャリと終わりますが、連体形(悔しき)で結ぶことで、言葉が外へ開かれたような詠嘆の余韻が生まれます。夕日が沈んだ後の春日野に、いつまでも後悔の念が漂っているような情緒を醸し出しています。
『万葉集』の時代、この「ぞ 〜 連体形」の形は、話し手の強い感動や確信を表すために非常によく使われました。
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