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巻第12(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第12-3005~3009

訓読

3005
十五日(もちのひ)に出でにし月の高々(たかだか)に君を坐(いま)せて何をか思はむ
3006
月夜(つくよ)よみ門(かど)に出で立ち足占(あしうら)して行く時さへや妹(いも)に逢はざらむ
3007
ぬばたまの夜(よ)渡(わた)る月の清(さや)けくはよく見てましを君が姿を
3008
あしひきの山を木高(こだか)み夕月(ゆふづき)をいつかと君を待つが苦しさ
3009
橡(つるはみ)の衣(きぬ)解(と)き洗ひ真土山(まつちやま)本(もと)つ人にはなほ及(し)かずけり

意味

〈3005〉
 十五夜の月を待っていたように、高々と爪先立ってお待ちしていたあなたがいらっしゃって、もう何も思い残すことはありません。
〈3006〉
 よい月夜なので門口に出て足占いをして、あなたに逢えると出たから来たのに、やはり逢えないのでしょうか。
〈3007〉
 夜空を渡っていく月が清らかに照っていれば、心ゆくまで見ることができただろうに、あの人のお姿を。
〈3008〉
 山の木々が高いので、いつになったら夕月が見られるだろうかと待つように、あなたを待っている心の苦しさよ。
〈3009〉
 橡の衣を解いて洗ってまた打つという、真土山の名のような本つ人(古馴染みの女)には、やはり及ばないことであった。

鑑賞

 作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、3005~3008は「月」に寄せての歌。3005の「十五日に出でにし月」は、十五夜に出てきた月。上2句は、月が空高く上っている意で「高々に」を導く序詞。「高々に」は集中に8例あり、多くは「待つ」にかかり、爪先だって待ち望むさまを言いますが、ここは、貴いさまに、堂々とそこに存在している様子、の意とする説もあります。「坐せて」は、いさせての敬語。「何をか思はむ」は、何を思おうか、いや、何も思いはしない、という強い反語の形。何の悩みも不安ももう一切ないという強い断言がここにあります。思う人をようやく迎えることのできた女の喜びの歌、あるいは賓客を招いた時の歌とされます。

 
3006の「月夜よみ」の「よみ」は「よし」のミ語法で、月夜が好いので。「足占」は、一歩一歩吉凶の言葉を交互に唱えながら進み、目標に達したときの言葉によって判断した占い。「行く時さへや」の「さへ」は、~までも。「や」は、疑問。「妹に逢はざらむ」の「ざらむ」は、打消の助動詞「ず」の未然形 + 推量の助動詞「む」で、妹に逢わないのであろうか。月夜に占いをして女に逢いに行く歌は、大伴家持の歌に「月夜には門に出で立ち夕占問ひ足占をそせし行かまくを欲り」(巻第4-736)があり、家持はこの歌の影響を受けていると見られています。

 
3007の「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「清けくは」は、清く明るく照っていたならば。形容詞「清けし(シク活用)」の連用形「清けく」+「は」。この「連用形 + は」の形は、『万葉集』において、「〜ならば」という仮定条件を表す用法として定着しています。「よく見てましを」は、反実仮想の助動詞、「を」は逆接の助詞で、~のに、の意。よく見ることができただろうに、の意で、実現しなかったことへの強い未練を表します。女の歌で、月の無い夜に逢った心残りを詠んだ、あるいは男に逢った翌日あたりに男に贈った歌とされます。

 
3008の「あしひきの」は「山」の枕詞。「木高み」は「木高し」のミ語法で、木が高いので、高く茂っているので。前歌では月が「清けく」渡っていましたが、この歌では逆に、木々の密度によって光が遮断されています。この暗く見通しのきかない状況が、相手の訪れを予感できない不安な心理状態を象徴しています。上3句は「いつかと君を待つ」を導く譬喩式序詞。「苦しさ」という体言止めになっており、苦しいなあと叙述するのではなく、感情そのものをポンと置くことで、読者の心にその重苦しさをダイレクトに突き刺す効果があります。夕方に夫の来訪を待つ女の歌です。

 
3009は「山」に寄せての歌。「橡の衣」は、どんぐりの実を染料として染めた庶民の衣服。「解き洗ひ」は、解いて洗う。上2句は、衣の材料である麻は洗うと硬ばるところから、砧でまた打つ意で、その約音の「まつち」に続け「真土」を導く序詞。上3句は「まつち」の類音で「本つ人」を導く序詞。序詞の中に序詞を含む形になっています。「本つ人」は、古くから関係していた女、古女房のこと。「及かずけり」の「けり」は気づきの助動詞で、やはりどの女も及ばなかったと言っています。窪田空穂は、「多妻時代とて、男は新しい妻をもったが、もって見ると、やはり古妻のほうがまさっていたと感じた心である」と述べています。
 


アメリカにおける『万葉集』研究

 アメリカにおける『万葉集』研究は、20世紀前半から徐々に発展し、現在では日本古典文学・比較文学・東アジア研究の分野で重要な位置を占めています。その流れは、おおよそ次のようなものです。

  • 20世紀半ば
    アメリカで『万葉集』が学術的に注目され始めたのは、第二次世界大戦後からです。この時期、ハーバード大学を中心に日本文学研究が体系化し、英訳によって広まっていきました。代表的な研究者は、アーサー・ウェイリーとドナルド・キーンです。アーサー・ウェイリーは、日本の詩歌を英語圏に紹介した先駆者のひとりで、『万葉集』からもいくつか重要な歌を翻訳しました。ドナルド・キーンは、日本文学全体の普及に大きく貢献し、『万葉集』の価値を欧米に広めた中心人物です。
  • 1960~80年代ば
    この時代になると、日本語学、文献学、比較文学の視点を取り入れた専門研究が進展し、英語圏でも、音韻・文体分析、表現技法、社会背景の研究が行われるようになりました。和歌の「恋歌」「挽歌」「相聞」などのジャンルごとの研究も進み、特に「恋歌」の普遍性は英語圏で高い関心を集めました。代表的な研究者であるイアン・ヒデオ・レヴィは、日本語で書く詩人としても知られ、『万葉集』の英訳を手がけ、アメリカにおける万葉集理解を大きく深めました。
  • 21世紀~
    21世紀に入ると、ジャンダー研究、すなわち額田王、持統天皇など女性歌人の位置づけと再評価、古代日本の社会構造や儀礼などの文化史研究、古代語のニュアンスをどう再現するかの翻訳研究など、多角的アプローチによる研究が行われるようになっています。

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古典に親しむ

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