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巻第12(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第12-3015~3019

訓読

3015
雷(かみ)のごと聞こゆる滝(たき)の白波の面(おも)知る君が見えぬこのころ
3016
山川(やまがは)の滝(たき)にまされる恋すとぞ人知りにける間(ま)無くし思へば
3017
あしひきの山川水(やまがはみづ)の音(おと)に出(い)でず人の子ゆゑに恋ひ渡るかも
3018
高瀬(たかせ)なる能登瀬(のとせ)の川の後も逢はむ妹(いも)には我(わ)れは今にあらずとも
3019
洗ひ衣(ぎぬ)取替川(とりかひがは)の川淀(かはよど)の淀(よど)まむ心思ひかねつも

意味

〈3015〉
 まるで雷に聞こえる激流の白波のように、お顔をはっきりと知るあなたは、いっこうに姿を見せない、このごろは。
〈3016〉
 山川を下る激流にもまさる激しい恋をしていたら、人が知ってしまった。絶え間なく思っているので。
〈3017〉
 山を下る川の水が音も立てずに流れるように、声には出さずに、人の大事にするあの子のせいで、私は恋い続けていることだ。
〈3018〉
 高瀬にある能登瀬の川、その名ではないが、のち(後)でもよいからきっと逢おう、あの子には私はきっと。たとえ今でなくても。
〈3019〉
 洗った衣に取り替えて着るという名の取替川の淀みのように、淀んだ心を持つことなど到底できないことだ。

鑑賞

 作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、いずれも「川」に寄せての歌。3015の「雷のごと聞こゆる」は、雷のように聞こえる。「滝」は、漢語として急流、激流を表し、タギルと同根の語。現在の滝に相当する語は「垂水」。上3句は「面知る」を導く序詞。かかり方については、白波の様子が面白いところからとする説、白波が顕著に目立つものの譬喩としてかかるとする説、「白波」と「面知る」の類音でかかるとする説に分かれています。「面知る」は、顔を見知っている。女の歌で、顔だけはよく見知っている人にひそかに懸想している嘆きをほのめかしているものと見えます。

 
3016の「山川」は、山の中を流れる谷川。「滝」は激流で、恋心の烈しさの譬喩。「まされる」は、動詞「まさる」の已然形 + 存続の助動詞「り」の連体形で、(今まさに)勝っている状態。「恋すとぞ」の「ぞ」は強めの係助詞、「人知りにける」の「ける」はその結びで、気づきの助動詞「けり」の連体形。人が知ってしまったのだ、という強い断定と強調を生んでおり、困惑しながらも「それほどまでに私はあなたに夢中なのだ」という、開き直りにも似た強い愛の自負が感じられます。「間無くし思へば」の「し」は強意の副助詞で、絶え間なく思っているので。

 
3017の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山川水」は、山の谷川を流れる水。上2句は「音」を導く譬喩式序詞。「音に出でず」は、声に出さずに。「人の子」は、他人のように自分の思いどおりにならない、人妻とか親の監視下にある若い女性のこと。だからこそ、軽々しく名前を出したり、噂になったりしてはいけないという、自制心の根拠になっています。「恋ひ渡るかも」の「渡る」は、~し続ける。「かも」は、詠嘆。誰にも言えず、誰にも相談できず、ただ一人で静かに、しかし激しく思い続けている時間の長さを物語っています。片恋をしている男の嘆きの歌です。

 
3018の「高瀬なる」は、高瀬にある。高瀬は、所在未詳。原文「高湍尓有」で、タカセニアル、コセニアルなどと訓むものもあります。「能登瀬の川」は、所在未詳。上2句は、能登の類音で「後」を導く序詞。「逢はむ」の「む」は、推量・意志の助動詞。「今にあらずとも」は、今でなくても。何らかの障害(身分の違い、親の反対、あるいは既に別れが迫っているなど)があって、現在はどうしようもないという厳しい現実が横たわっています。しかし、川の水がどこかでまた一つに合流するように、自分たちの縁もまた後に結ばれるはずだという、自然の理に基づいた信念が窺える歌です。

 
3019の「洗ひ衣」は、洗った衣。汚れた衣を洗った衣に取り替える意で「取替」にかかる枕詞。「取替川」は、所在未詳。上3句は「淀まむ」を導く同音反復式序詞。「淀まむ心」は、動詞「淀む」の未然形+推量の助動詞「む」+名詞の「心」。(いつか)淀んでしまうような、そんな心、という仮定的なニュアンスです。「思ひかねつも」は、(あの方を)思わずにいることなんてできない。「かね」は、~することができない、~するに耐えられない意の補助動詞「かぬ」の連用形。「取り替える」「淀む」という動詞を地名に絡め、自分の心が決して心変わりせず、停滞もしないことを表現している歌です。
 


枕詞の「あしひきの」について

 「あしひきの」は、「山」や「山」を含む語、「山」の類義語などにかかる枕詞ですが、語義・かかり方とも未詳です。表記も一字一音のものを除くと「足引」が多く、「足病」「足疾」などもあります。山はあえぎながら足を引いて登る意とか、山が裾を長く引く、あるいは山の裾野ではいろいろなもの(燃料としての木々や落ち葉、食用の植物など)が採れる意などとする考え方があります。

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