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巻第12(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第12-3020~3024

訓読

3020
斑鳩(いかるが)の因可(よるか)の池の宣(よろ)しくも君を言はねば思ひぞ我がする
3021
隠(こも)り沼(ぬ)の下(した)ゆは恋ひむいちしろく人の知るべく嘆きせめやも
3022
行く方(へ)無み隠(こも)れる小沼(をぬ)の下思(したも)ひに我(わ)れぞ物思(ものも)ふこのころの間(あひだ)
3023
隠(こも)り沼(ぬ)の下(した)ゆ恋ひあまり白波のいちしろく出(い)でぬ人の知るべく
3024
妹(いも)が目を見まく堀江(ほりえ)のさざれ波しきて恋ひつつありと告げこそ

意味

〈3020〉
 斑鳩(いかるが)の因可(よるか)の池の名前のように「よろしい人、好ましい人だ」と誰もあなたのことを言わないので、物思いを私はすることです。
〈3021〉
 隠り沼のように心の奥底で密かに恋い焦がれていよう。はっきりと人に知られてしまうように嘆いたりなどするものか。
〈3022〉
 水の行く先がなくてひっそりと隠っている小沼のように、心密かに私は恋に沈んでいる。このごろずっと。
〈3023〉
 隠り沼のように心密かに恋い焦がれていた思いが溢れ出て、白い波のようにはっきりと顔に出てしまった。世間の人が知ってしまうほどに。
〈3024〉
 妻に逢いたいと欲り願う、その堀江に立つさざ波のように、しきりに恋い続けていると伝えてくれよ。

鑑賞

 作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、3020は「池」に寄せての歌。「斑鳩」は、奈良県生駒郡の南部。法隆寺ほか聖徳太子ゆかりの古刹の多い地ですが、『万葉集』にその地名が歌われるのはこの1首のみです。地名の由来ははっきりしませんが、昔この地方に多くいた斑鳩(まだらばと:一般にはイカルと呼ばれ、雀と鳩の中間くらいの大きさ)に因むといわれます。「因可の池」は所在未詳ながら、法隆寺の一般公開されていない境内の一角に、昔から「因可の池」と語り継がれてきた場所があるといいます。上2句が「因可」の類音で「宜し」を導く序詞。この音の連なりによって、歌に軽快なリズムを与えています。ただし、「宜しくも君を言はねば」は、我にとって良いように君のことをいわないので。これは男が、自分以外に女をもっているという噂を聞いた意です。「思ひぞ我がする」は「ぞ~する(連体形)」の係り結びで、物思いを我はすることである。

 男のよくない噂を聞いた女の心境であり、あなたが他の女と仲良くしているなんて、と、嫉妬、不安、怒り、そして悲しみに物思いをして苦しんでいるという感情の吐露の歌です。そうすると、「よるか」という音は、「(他の女に)寄るのか?」という疑念の響きさえ帯びてきます。 また、池の「淀んだ水」は、流れる川とは違い、出口のない嫉妬心や、心の奥底に沈殿する暗い疑いを象徴する装置として、これ以上ないほど機能することになります。
窪田空穂は、「女が夫である男に贈った形の歌である。男が他に女をもっていると聞いて、気を揉んでいる訴えであるが、それを『宜しくも君を言はねば』と婉曲にいっているのは、そのためと取れる」と言っています。

 3021~3023は「沼」に寄せての歌。
3021の「隠り沼」は、水の流れて行く出口のない淀んだ沼。人目に触れないことの比喩。その底では水が脈々と動いており、作者は自分の恋心をこの「底流」に重ねています。静かな外見とは裏腹に、内側では激しい感情が渦巻いている様子が伝わります。「隠り沼の」は、下を通って流れ出す意で「下」にかかる枕詞。「下ゆ」の「下」は心の中、「ゆ」は起点・経由点を示す格助詞で、心の奥底から。「いちしろく」は「いと白く」で、はっきりと、明白に。「嘆きせめやも」の「や」は反語、「も」は詠嘆。嘆いたりするだろうか、いやしない。表面に現れそうな自分の恋心を抑制しているもので、類想の多い歌です。

 
3022の「行く方無み」の「無み」は「無し」のミ語法で、行き先がないので。「小沼」の「小」は、接頭語。前歌の「隠り沼」より、さらに「小沼」とすることで、より限定された、逃げ場のない空間を演出しています。上2句は隠れる小沼が下を通って流れ出す意で「下思」を導く序詞。「下思」は、心の中で思うこと、表面には出さない恋心で、名詞。男が女に片恋の悩みを訴えた歌とされます。前歌と同じく「隠れる沼」をモチーフにしながらも、より閉塞感と停滞した苦しみが強調された一首です。

 
3023の「下ゆ恋ひあまり」の「下」は心の中、「ゆ」は起点・経由点を示す格助詞。「恋ひあまり」は、恋い焦がれていた思いが溢れ出すこと。「あまり」という表現に、抑えようとしても抑えきれなかった切実さがこもっています。「白波の」は、白波が目にはっきり見えることから「いちしろく」にかかる枕詞。「いちしろく」は、はっきりと、明白に。「出でぬ」は、外に現れてしまった。「ぬ」は完了の助動詞で、本人の意図に反して「出てしまった」というニュアンスを含みます。「人の知るべく」は、人が知るような状態で。周囲に露見してしまったことを指します。

 
3024は「堀江」に寄せての歌。「目を見まく」は「見む」のク語法で名詞形。じかに顔を見る、直接逢うこと。「見まく」までの8音は「欲り」を「堀江」の「掘」に転じて、その序詞としたもの。「堀江」は、舟などを通すために人工的に掘って作った運河で、難波の堀江か。「さざれ波」は、絶えず寄せては返す小さな波。上3句は、堀江の波がしきりに立つことから「しきて」を導く序詞。「しきて」は、たび重なって。「こそ」は、希望の助動詞「こす」の命令形。妻への伝言を頼んでいる歌で、誰か(あるいは風や鳥などの自然物)に託して伝えたいという、もどかしい恋心を強調しています。
 


『万葉集』の時代背景

 『万葉集』の時代である上代の歴史は、一面では宮都の発展の歴史でもありました。大和盆地の東南の飛鳥(あすか)では、6世紀末から約100年間、歴代の皇居が営まれました。持統天皇の時に北上して藤原京が営まれ、元明天皇の時に平城京に遷ります。宮都の規模は拡大され、「百官の府」となり、多くの人々が集まり住む都市となりました。

 一方、地方政治の拠点としての国府の整備も行われ、藤原京や平城京から出土した木簡からは、地方に課された租税の内容が知られます。また、「遠(とお)の朝廷(みかど)」と呼ばれた大宰府は、北の多賀城とともに辺境の固めとなりましたが、大陸文化の門戸ともなりました。

 この時期は積極的に大陸文化が吸収され、とくに仏教の伝来は政治的な変動を引き起こしつつも受容され、天平の東大寺・国分寺の造営に至ります。その間、多大の危険を冒して渡航した遣隋使・遣唐使たちは、はるか西域の文化を日本にもたらしました。

 ただし、『万葉集』と仏教との関係では、集中に仏教思想に由来する無常観や経典から学んだ語彙が散見されるものの、仏教そのものを直接的に詠んだ歌は少なく、仏教の影響はむしろ歌の根底に広く浸透していると推測されます。特に奈良時代には仏教文化圏と皇子・皇女文化圏(たとえば、天智天皇の皇女であり仏教経典を多く所蔵していた水主内親王の存在など)が共存しており、『万葉集』の成立にも皇女文化圏の影響や、唐の仏教文化からの知的体系の継承が関連していたと考えられています。ただし、当時の人たちの精神生活の支柱にあったのは、あくまで古神道的な信仰、すなわち森羅万象に存する八百万の神々であったことでしょう。

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