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巻第12(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第12-3025~3029

訓読

3025
石走(いはばし)る垂水(たる)の水のはしきやし君に恋ふらく吾(わ)が心から
3026
君は来(こ)ず吾(われ)は故(ゆゑ)無(な)み立つ波のしくしくわびしかくて来(こ)じとや
3027
近江(あふみ)の海(うみ)辺(へた)は人知る沖つ波(なみ)君をおきては知る人も無し
3028
大海(おほうみ)の底を深めて結びてし妹(いも)が心は疑(うたが)ひもなし
3029
貞(さだ)の浦に寄する白波(しらなみ)間(あひだ)無く思ふを何か妹(いも)に逢ひかたき

意味

〈3025〉
 岩の上を走る滝の水のように、愛しいあなたを恋い焦がれて苦しいのは、他でもない自分の心のせいです。
〈3026〉
 あなたは来てくださらない。私には思い当たる節がなく、立つ波のように、しきりにわびしい思いでいます。もういらっしゃらないというのでしょうか。
〈3027〉
 近江の海の岸辺のことは誰でも知っています。けれども、沖の波の方は、あなた以外に知る人はいません。
〈3028〉
 大海の底が深いように、心の奥底まで深く思って結ばれたあの子の心には、何の疑いも持っていない。
〈3029〉
 貞の浦に寄せてくる白波のように、これほど絶え間なく思い続けているのに、どうしてあの子に逢えないのだろう。

鑑賞

 作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、3024は「堀江」に寄せての歌。「目を見まく」は「見む」のク語法で名詞形。じかに顔を見る、直接逢うこと。「見まく」までの8音は「欲り」を「堀江」の「掘」に転じて、その序詞としたもの。「堀江」は、舟などを通すために人工的に掘って作った運河で、難波の堀江か。「さざれ波」は、絶えず寄せては返す小さな波。上3句は、堀江の波がしきりに立つことから「しきて」を導く序詞。「しきて」は、たび重なって。「こそ」は、希望の助動詞「こす」の命令形。妻への伝言を頼んでいる歌で、誰か(あるいは風や鳥などの自然物)に託して伝えたいという、もどかしい恋心を強調しています。

 
3025は「垂水」に寄せての歌。「石走る」は、川の水が岩の上を激しく流れること。「垂水」は、崖から垂れ落ちる水、つまり滝のこと。上2句は「はしきやし」を導く譬喩式序詞。「はしきやし」は、ああ愛しい。「恋ふらく」は「恋ふる」のク語法で名詞形。窪田空穂は、「女のひそかに男に心を寄せている歌である。『石走る垂水の水の』は、女がその男に対しての感じで、さわやかに、流動的で、粗野ではない感じをあらわし得ている。含蓄のあるものである。『吾が情から』は、相手に関係なく、自身の心だけで働きかけていることをあらわしているものである。教養あり、洗練された心から生まれている歌」と評しています。

 
3026は「波」に寄せての歌。「吾は故無み」の「無み」は「無し」のミ語法で、理由が分からず。原文「吾者故無」で、ワレハユヱナクと訓み、わけもなく立つ波のように、と解するものもあります。「立つ波の」は「しくしく」の枕詞。「しくしく」は、しきりに。「わびし」は、辛い、やりきれない、心細い。「かくて来じとや」は、このようにして結局来ようとしないのだろうか。相手への強い疑念と、それゆえの甘えや寂しさが混じった問いかけです。武田祐吉は、「ひとりで気をもむさまが、口をついて調子よく出ている感じである」と述べています。

 3027~3029は「海」に寄せての歌。
3027の「近江の海」は、琵琶湖。「近江(あふみ)」は「逢ふ」という言葉の響きを密かに含んでいます。「辺」は、岸寄りの方で、自分自身の表面を譬えています。「人知る」は、誰もが知っている。「沖つ波」は「辺」の対で、沖の波。自分の深い心を譬えています。「君をおきては」は、あなた以外には。「知る人も無し」は、私を理解してくれる人はいない。強い確信と、相手への依存にも似た深い愛着を示しています。女が男に対して、その真実を誓った歌であり、佐佐木信綱は、「内容は何の奇もないが、技巧のすぐれた歌である」と評し、武田祐吉は「譬喩が巧妙」と述べています。

 
3028の「大海の底を」の8音は、「深めて」を導く譬喩式序詞。「大海の底を深めて」は、大海の深い底のように心を深くして、の意。「結びてし」は、固く約束した、契った。「し」は過去の助動詞。「疑ひもなし」は、少しの疑いもない。強い断定であり、自分自身に言い聞かせるような響きもあります。窪田空穂は、「男女関係の成り立った時、女が真実を誓うことをいったのに対して、男がそれを喜んで答えた形の歌である。当時の夫婦関係は、不安と動揺の伴いやすい状態であったから、『疑もなし』という語は、深い信頼をあらわしたものだったのである」と述べています。

 
3029の「貞の浦」は、所在未詳。上2句は「間無く」を導く譬喩式序詞。「間無く」は、絶え間なく。「思ふを何か」の「を」は逆接の接続助詞で、思っているのにどうして。原文「思乎如何」で、「思ふをいかに」と訓むものもあります。「逢ひかたき」は、逢うのが難しい。当時の「逢う」は男女が契ることを含みます。やり場のない自問自答の歌であり、「白波」の、絶え間なく押し寄せる、落ち着かない、増したり弱ったりしながら続くというような特徴を自らの心情に重ね合わせています。
 


『万葉集』は国民歌集か?

 『万葉集』の時代は130年もの長きにわたり、しかも激動の時代であって、多様な歌が生まれました。収録歌数は4500余首にも及び、歌の作者も、天皇・皇后から貴族・下級官吏・農民や乞食人・遊芸人にもわたり、さらに防人の歌もあるところから、まさに「国民歌集」であり、その幅広さが万葉の歌をより多彩にし、その後の歌集に見られない多様性と混沌とした力を有しているとされてきました。

 しかしながら、こうした捉え方には現代の研究者は否定的であり、むしろ、神のふるまいである「遊び」を体現しようとする宮廷貴族の美意識の、「みやび」を中心に表現しようとした歌集であるとの考えが一般的になっています。この問題の研究者である東京大学の品田悦一教授によると、前掲のような捉え方の源流は明治時代の後半に著された文学史の文献にあり、それ以来まったく変わることなく受け継がれているといいます。ナショナリズムや『万葉集』を重視した歌人の集まりであるアララギ派などの言説が大きく関わっているといい、それ以前は、一般の人々にとって『万葉集』は縁もゆかりもない存在だったのです。したがって、品田教授は、『万葉集』は広く読まれたために国民歌集になったのではなく、逆にあらかじめ国民歌集という価値を与えられたから広く愛好され読まれるようになったのだと延べ、私たちに大いなる反省を促しています。

 『万葉集』の歌には、東歌(あずまうた)と防人歌を除けば、方言や俗語を含む歌がほとんどなく、形も整っているところから、貴族と役人およびその周辺の人々、いわゆる都人を中心に詠まれたことが窺えます。庶民の歌はほぼありません。また、天皇代ごとに歌を区分する編年式配列が用いられていることから、『万葉集』の原形は、歌による宮廷史であったとする見方もあります。東歌や防人歌が、地方の歌、庶民の歌として選ばれ、類を見ない歌群となってはいるものの、東歌については、その作者はおもに豪族層とされ、また、すべての歌が完全な短歌形式であり、音仮名表記で整理されたあとが窺えることや、方言が実態を直接に反映していないとみられるなど、中央側が何らかの手を加えて収録したものと見られています。また、東歌を集めた巻第14があえて独立しているのも、朝廷の威力が東国にまで及んでいることを示すためだったとされます。防人歌については、防人制度の円滑な運用に向けた参考資料とするため、防人たちの心情を伝える記録として収集されたようですが、こちらも東歌と同様の理由で、役人の手が加わった可能性が高いと見られています。

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