| 訓読 |
3035
暁(あかとき)の朝霧隠(あさぎりごも)りかへらばに何しか恋の色に出(い)でにける
3036
思ひ出(い)づる時はすべなみ佐保山(さほやま)に立つ雨霧(あまぎり)の消(け)ぬべく思ほゆ
3037
殺目山(きりめやま)行きかふ道の朝霞(あさがすみ)ほのかにだにや妹(いも)に逢はざらむ
3038
かく恋ひむものと知りせば夕(ゆふへ)置きて朝(あした)は消(け)ぬる露(つゆ)ならましを
3039
夕(ゆふへ)置きて朝は消(け)ぬる白露(しらつゆ)の消(け)ぬべき恋も吾(あれ)はするかも
| 意味 |
〈3035〉
明け方の朝霧に隠れるように、ひそかに恋をしていたのに、どうして私の顔色に、こうもはっきりと恋心が表れてしまったのだろうか。
〈3036〉
思い出すとどうしようもなく、佐保山に立つ雨霧が消えてゆくように、この身も消えて死にそうな思いになる。
〈3037〉
殺目山を往き来する道にかかる朝霞のように、ちょっとだけでもあの子に逢えないだろうか。
〈3038〉
こんなに恋い焦がれるものと知っていたら、いっそのこと、夕方には降りて朝方には消えてしまう露であればよかったのに。
〈3039〉
夕べに置いて翌朝は消えてしまう白露のように、はかなく消えてしまいそうな恋を、私はしていることです。
| 鑑賞 |
作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、3035・3036は「霧」に寄せての歌。3035の「暁の朝霧隠り」は、暁の朝霧に隠れて。「暁」は、夜明け前。また、『万葉集』では、秘密を隠すメタファーとして「霧」がよく使われます。「かへらばに」は、逆に、かえって。原文「反羽二」で、カヘリシニと訓んで、帰る時に、の意とする説もあります。「何しか」は、どうして~か。「恋の色に出でにける」は、恋心が顔色や態度に表れてしまった。人に知られるはずのない恋が、訝かしくも知られたという嘆きの歌。
3036の「思ひ出づる時は」は、恋しい人のことを思い出すときには、の意。「すべなみ」の「なみ」は「無し」のミ語法で、どうしようもないので。「佐保山」は、奈良市北部の丘陵。春の女神「佐保姫」でも知られる、風光明媚かつ幻想的な山です。「雨霧」は他に例のない語で、雨が降る時に立ち込める霧の意か。「佐保山に立つ雨霧の」は、その霧がやがて消えることから「消ぬ」を導く序詞。「消ぬべく思ほゆ」は、今にも消えそうに思われる、今にも死にそうに思われる。雨霧によって山の風景が消えていく様子に、恋の重圧に耐えかねて崩れ去りそうな自分の命を重ねており、類想の多い、女の歌です。
3037は「霞」に寄せての歌。「殺目山」は、和歌山県印南町の山とされます。「霧(きり)」という音を含んでおり、次の「朝霞」を導き出すための地名として機能しています。「行きかふ道」の原文「徃反道之」で、ユキカヘリヂと訓むものもあります。「朝霞」は、朝方に立ちこめる、うっすらとした霧。上3句は、その朝霞のようにぼんやりと見える意で「ほのかに」を導く序詞。「ほのかにだにや」は、ちょっとだけでも~ないものか。「や」は、疑問・反語。「逢はざらむ」は、逢うことができないのだろうか(いや、逢いたい)。霞は霧よりも薄く、向こう側がわずかに透けて見えるものです。この「透けて見える」という視覚的予感が、「せめて一目だけでも」という希望につながっています。
3038・3039は「露」に寄せての歌。3038の「かく恋ひむものと」は、これほど(激しく)恋することになると。「知りせば」は、知っていたならば。過去の事実に反する仮定の形(未然形+せば)。「夕置きて朝は消ぬる」は、露の性質を説明する表現。夜の間に現れ、太陽が昇るとすぐに消えてしまう、この世で最も短命なものの象徴。「露ならましを」は、露であったならよかったのに。「せば~まし」は、反実仮想。もし~ならば~だっただろうに。「を」は逆接の接続助詞で、文末に置いて詠嘆の意を表します。類歌の多い歌です。
3039の上3句は「消ぬる」を導く譬喩式序詞。「夕置きて朝は消ぬる」は、前歌(3038)にあるフレーズと全く同じで、白露の命の短さ、儚さを象徴する定型的な描写です。「消ぬべき恋」は、死んでしまいそうなほどの恋。「べき」には、そうなるのが当然である、あるいはそうなってしまいそうだ、という強い予感と運命的な響きがあります。「吾はするかも」の「かも」は詠嘆の助詞で、私は(そんな恋を)していることだよ。類歌に「朝咲き夕は消ぬる月草の消ぬべき恋も我れはするかも」(巻第10-2291)があります。

『万葉集』クイズ
次の歌の作者は誰?
【解答】
1.大伴旅人 2.大伴坂上郎女 3.高橋虫麻呂 4.大津皇子 5.磐姫皇后 6.舎人皇子 7.天武天皇 8.藤原鎌足 9.柿本人麻呂 10.山上憶良
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