| 訓読 |
3040
後(のち)つひに妹(いも)に逢はむと朝露の命は生(い)けり恋は繁(しげ)けど
3041
朝(あさ)な朝(さ)な草の上(うえ)白く置く露の消(け)なば共にと言ひし君はも
3042
朝日さす春日(かすが)の小野に置く露の消(け)ぬべき吾(あ)が身惜しけくもなし
3043
露霜(つゆしも)の消(け)やすき我(あ)が身(み)老いぬともまたをちかへり君をし待たむ
3044
君待つと庭のみ居(を)ればうち靡(なび)く我(わ)が黒髪に霜ぞ置きにける
| 意味 |
〈3040〉
将来はきっとあの子に逢えると信じて、朝露のようにはかない命だが今も私は生きている。逢えない苦しさはつのるけれど。
〈3041〉
朝が来るたびに、白々と草の上に置く露がはかなく消えて行くように「死ぬなら一緒に死のう」と言ったあなたでしたのに。
〈3042〉
朝日が差し込む春日の野に降りていた露が消えるように、今にも消え入りそうな我が身は、もう惜しいことはありません。
〈3043〉
露や霜のように消えやすいわが身ですが、たとえ年老いてもまた若返り、あなたのおいでをお待ちしようと思います。
〈3044〉
あなたをおいでを待って庭にばかり出ていると、私の黒髪に霜が降りてしまいました。
| 鑑賞 |
作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、3040~3042は「露」に寄せての歌。3040の「後つひに」は、将来はきっと、最後にはきっと。「朝露の」はその儚さから「命」にかかる比喩的枕詞。「生けり」は、生きている。「恋は繁けど」は「恋は繁けれど」の古格。恋心は次から次へと湧き上がり、苦しいけれど。前歌まで、露はすぐに消えてしまう(=死)の象徴でしたが、この歌では、そのいつ消えてもおかしくない儚さが、逆に、だからこそ、逢うまでは死ねないという切実な生の執着へと反転しています。露のような命だからこそ、その一瞬をあなたとの再会のために繋ぎ止めているという、逆説的な強靭さが描かれています。
3041の「朝な朝な」は、毎朝、朝ごとに。「な」は「朝な夕な」「夜な夜な」のような時間を表す語の並列形に付いて副詞的用法を作る接尾語。「草の上白く置く露の」は、朝露が美しく、しかし儚く草にたまっている様子。上3句は「消なば」を導く譬喩式序詞。「言ひし君はも」は、と言ってくれたあの人は・・・(今はいない)。「はも」は、今はもう無いもの、もう逢えない人に愛惜の思いを込めた痛切な詠嘆を表す語。女の歌とされ、作者は毎朝、草の上に置く露を見るたびに、「あの時、彼はああ言ったのに」と思い出しています。露は毎朝新しく降りますが、二人の仲はかつてのようには戻らない・・・。そんな自然の循環と断絶された人間関係の対比が残酷に描かれています。
3042の「春日の小野」の「小」は、接頭語。春日野のことで、平城京の東の春日山西麓一帯、現在の奈良公園がある地。朝日は春日山から上ってきます。上3句は「消ぬ」を導く譬喩式序詞。「消ぬべき」は、消えてしまうはずの、死んでしまいそうな。「べき」には運命的な確信が含まれています。「惜しけく」は「惜し」のク語法で名詞形。女の歌とされ、この歌の特徴は、「死の予感」を驚くほど明るい風景の中に置いたことにあります。「朝日さす」というフレーズからは、光り輝く生命力が感じられますが、その光こそが露(=私の命)を蒸発させ、消し去る原因でもあります。最も美しい光の中で、最も静かに消えていく。この「美しき消滅」というイメージが、執着を超越した清々しさを生んでいます。
3043は「露霜」に寄せての歌。「露霜」は、露と霜、または露が凍って霜のようになったもので、冷え冷えとした露を表現する歌語。「露霜の」は「消やすき」の比喩的枕詞。朝日が昇ればすぐに消えてしまう露や霜は、『万葉集』において、儚い命や不安定な存在の定番の比喩です。「老いぬとも」は、もし年老いようとも。「をちかへり」の「をつ」は、若返る、元に戻る意味ですが、文脈的には再びこの世に生を受けて、という転生(生まれ変わり)のニュアンスが含まれています。「君をし待たむ」の「し」は、強意の副助詞。この歌は、巻第11-2689の初句が「朝露の」となっている以外は全く同じで、その別伝と見られます。
3044は「霜」に寄せての歌。3044の「君待つと」は、あなたを待っていて。理由や原因を表します。「庭のみ居れば」は、庭にばかりずっと居るので。原文「庭耳居者」で、ニハニシヲレバと訓むものもあります。「うち靡く」は「黒髪」の枕詞。「我が黒髪に霜ぞ置きにける」は、私の黒い髪に霜が降りてしまったのだなあ。 「ぞ〜ける」の係り結びによって、はっと気づいた驚きと、それほど長い時間が経過したという感慨が強調されています。左注に「或る 本の尾句に云ふ」として「白たへの吾が衣手に露ぞ置きにける」とあります。男の訪れを待ち得なかった女の嘆きの歌です。

『万葉集』の写本について
『万葉集』の原本は現存しておらず、現代に伝わるのは平安時代以降に書写された写本によってです。これらの写本は、時代や地域によって内容や語句に違いが見られます。『万葉集』の写本は、大きく分けて以下の三系統に分類されます。
写本の異同を比較研究することで、『万葉集』の成立過程や、古代日本語の変遷、平安時代の文学観・書写文化などが明らかにされています。現在の学界では、これらの写本をもとに「校訂本」が作られ、研究者や一般読者が参照できる形になっています。
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