| 訓読 |
3045
朝霜(あさしも)の消(け)ぬべくのみや時なしに思ひわたらむ息(いき)の緒(を)にして
3046
ささ波の波越す安蹔(あざ)に降る小雨(こさめ)間(あひだ)も置きて我(わ)が思はなくに
3047
神(かむ)さびて巌(いはほ)に生(お)ふる松が根の君が心は忘れかねつも
3048
み狩(か)りする雁羽(かりは)の小野の櫟柴(ならしば)の馴(な)れはまさらず恋こそまされ
3049
桜麻(さくらを)の麻生(をふ)の下草(したくさ)早く生(お)ひば妹(いも)が下紐(したびも)解かざらましを
| 意味 |
〈3045〉
朝霜が消え入るように、今にも死にそうなほどにずっと思い続けるのだろうか、命の限りを。
〈3046〉
さざ波が越えてくる安蹔に間をおいて降る小雨のように、間をおいて私はあなたを思っているわけではないのだ。
〈3047〉
神々しく巌の上に生える松の根のような、しっかりしたあなたの心は忘れようにも忘れられません。
〈3048〉
狩りをなさる雁羽のならの雑木ではありませんが、あなたと馴れ親しむことは増さずに、恋しさの方が増すばかりです。
〈3049〉
桜麻の麻原の下草が早く生えるように、私がもっと早く生まれていたら、あなたの下紐を解かずにすんだであろうに。
| 鑑賞 |
作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首。3045は「霜」に寄せての歌。「朝霜の」は「消ぬべく」の比喩的枕詞。「消ぬべくのみや」は、消えて(死んで)しまいそうなほどに。「時なしに」は時の区別なしに、絶え間ない。「思ひわたらむ」は、思い続けていくのだろうか。「息の緒にして」の「息の緒」は、命。(あなたへの思いを)命の綱として、命の限りを。あるいは、息も絶え絶えになりながら、というニュアンスも含まれます。男女どちらの歌とも取れます。
3046は「雨」に寄せての歌。「ささ波」は、さざ波、あるいは琵琶湖西南岸の地名、また枕詞と解する説があります。「安蹔」は、語義未詳で、田の畔(あぜ)、洞穴、断崖、背の低い葦、葦の刈り根の意とするなど、さまざまな説があります。上3句は「間も置きて」を導く譬喩式序詞。「思はなくに」は「思はず」のク語法オモハナクに「に」が付いたもの。なお、上掲の歌の解釈とは別に、小雨は絶え間なく降っていると見て、「さざ波が越えてくる安蹔に絶え間なく降る小雨のように、私は間をおいてあなたを思っているわけではないのだ」のように訳するものもあります。
3047・3048は「樹」に寄せての歌。3047の「神さびて」は、古びて神々しくなったこと。単なる恋愛感情を超えて、相手の存在やその精神性を、崇高な自然(岩や松)と同等に見ている畏敬の念が伝わります。「松が根」は、松の根または松樹そのもの。ここは松樹そのものの意とされます。厳しい岩場にしっかりと根を張る松は、簡単には動じない、あるいは非常に執拗で力強いものの象徴です。自分に向けられた相手の愛情が、それほどまでに深く、重厚であることを示しています。上3句は、松のように永遠に変わることがない意で「君が心」を導く序詞。「忘れかねつ」の「かねつ」は、~できないという不可能を表し、「も」は、詠嘆の終助詞。堅実な夫に感謝している妻の歌です。
3048の「み狩りする」は、天皇が狩りをなさる。カリの同音で「雁羽」の枕詞とする説もありますが、集中ほかに例がありません。「雁羽の小野」は、所在未詳ながら、現在の奈良県天理市付近とする説があります。「櫟柴」は、ナラの木の小樹。上3句は、ナラの類音で「馴れ」を導く序詞。「馴れ」は、馴れ親しむこと。「まさらず」は、これ以上増えない。「まされ」は、ますます増していく。強調の「ぞ」+已然形の「まされ」による係り結びです。窪田空穂は、「結婚後ほどもなく、足を遠くしている夫に対して、妻の嘆いて訴えた歌」と言っています。
3049は「草」に寄せての歌。「桜麻」は、麻の一種ながら詳細不明。サクラアサと訓むものもあります。「麻生」は、麻の生えているところ。上2句は「早く生ひ」を導く譬喩式序詞。「早く生ひば」は、早く生まれたならば。「妹が下紐 解かざらましを」は、「〜ば~ましを」の構文による反実仮想。「下紐を解く」という表現は、男女の共寝(性愛)を意味します。伊藤博は、「生まれ合わせを持ち出すことで幸福の思いを述べるのは、ほかに例がない。記憶に値する歌といってよい」と述べています。ただし他の解釈もあり、他人より早く妹に言い寄ったので彼女が我が物になったと喜んでいる、あるいは、妹がもっと以前に一人前に成長していたら他人の物になっていただろう、などと訳するものもあります。

『万葉集』の写本について
『万葉集』の原本は現存しておらず、現代に伝わるのは平安時代以降に書写された写本によってです。これらの写本は、時代や地域によって内容や語句に違いが見られます。『万葉集』の写本は、大きく分けて以下の三系統に分類されます。
写本の異同を比較研究することで、『万葉集』の成立過程や、古代日本語の変遷、平安時代の文学観・書写文化などが明らかにされています。現在の学界では、これらの写本をもとに「校訂本」が作られ、研究者や一般読者が参照できる形になっています。
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