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巻第12(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第12-3055~3059

訓読

3055
山菅(やますげ)の止まずて君を思へかも我(あ)が心どのこの頃は無き
3056
妹(いも)が門(かど)行き過ぎかねて草結ぶ風吹き解(と)くなまたかへり見む
3057
浅茅原(あさぢはら)茅生(ちふ)に足踏み心ぐみ我(あ)が思ふ児(こ)らが家のあたり見つ [一云 妹が家のあたり見つ]
3058
うちひさす宮にはあれど月草(つきくさ)のうつろふ心(こころ)我(わ)が思はなくに
3059
百(もも)に千(ち)に人は言ふとも月草(つきくさ)のうつろふ心 我(わ)れ持ためやも

意味

〈3055〉
 山菅の根のように、ねんごろにやむこともなくあなたに恋い焦がれているせいか、この頃は正気の心もありません。
〈3056〉
 愛しい妻の家の門を行き過ぎかねて、せめてもと草を結んでおく。風よ、吹いて解かないでくれ、また戻って見ようから。
〈3057〉
 浅茅原のチガヤに足を強く踏み入れて傷ついたように、心が傷つきながらも、いとしく思う子の住んでいる家のあたりをじっと見たことだ。
〈3058〉
 華やかな宮仕えをしていますが、色のさめやすい露草のような移り気な心を、私は持っておりません。
〈3059〉
 あれこれと人は噂をまき散らしますが、露草のように移り気な心など、決して持つものですか。

鑑賞

 作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、いずれも「草」に寄せての歌。3055の「山菅の」は、ヤマの同音で「止まず」にかかる枕詞。「思へかも」は、思うからだからだろうか(ああ、そうに違いない)。「心ど」は、心の働き、しっかりした心の状態。「この頃は無き」については、厳密な係り結びの法則(ぞ・なむ・や・か)とは異なりますが、「かも」という助詞が文中に置かれることで、文末が「なき(連体形)」となり、歌全体に詠嘆の響きを強く持たせています。夫に疎遠にされている女の嘆きの歌とされます。

 
3056の「妹が門」は、妹の家の門。「草結ぶ」は、単なる目印ではなく、自分の魂をそこに留める、再会を約束するという呪術的な意味がありました。作者は、妹の門を通り過ぎる代わりに、自分の分身として草を結び、「私はまたここに来る」という誓いを立てたのです。「風吹き解くな」は、風よ、どうか吹いてこの結び目を解かないでおくれ。結び目が解けるのは、縁が切れることや願いが叶わないことを暗示するため、「風よ、どうか私の愛の印を守ってくれ」と願っています。旅に出ようとする男の歌の歌とされ、しばらく逢えなくなるであろう妻の家を去り難い気持ちからひそかに行ったもののようです。。なお、「一に云ふ」として結句の別伝として「直に逢ふまでに」とあります。伊藤博は、「珍重すべき題材の歌で、興趣が深い」と言っています。

 
3057の「浅茅原」は、丈の低いチガヤが生えている野原。「茅生」は「茅原」で「浅茅原」を繰り返したもの。上2句は「心ぐみ」を導く序詞。「足踏み」の類音の関係で続くものとする説、浅茅原に裸足で踏み入れて足を痛めるように心が痛く苦しくての意で続くものとする説があります。「心ぐみ」は、形容詞「心ぐし」のミ語法で、心が晴れないので、の意。「我が思ふ児ら」の「ら」は、女の愛称の接尾語。「家のあたり見つ」の「見つ」は、見てしまった、ついに見た意で、完了した達成感を示します。結局、中に入ったり声をかけたりはしていないのかもしれませんが、人目を忍んで家のあたりを視界に捉えただけで、作者にとっては一つの大きな事件なのです。

 
3058の「うちひさす」は「宮」の枕詞。語義・かかり方とも未詳ながら、日がいっぱいにさす意か。「月草の」は「うつろふ」の枕詞。「月草」は、露草(ツユクサ)の古名で、露草で染めた布はすぐに色褪せるため、移ろう恋心、心変わりの象徴として用いられました。「我が思はなくに」の「なくに」は、詠嘆の文末用法。思わぬことよ。この歌は、宮中に女官として仕えている女が、夫に対して貞節を誓っているものとされます。多くの男性がいる宮中に女官が立ち混じっていると、色々と男女の問題が生じていたようで、自分の本心を分かってもらえないもどかしさと、「私は決してそんな軽い人間ではない」というプライドが混ざり合った、深みのある結びです。

 
3059の「百に千に」は、あれこれと、なんだかんだと、際限なく。「月草の」は「うつろふ」の枕詞。「我れ持ためやも」の「やも」は反語で、私は持つだろうか、いや、決して持ちはしない。原文「吾將持八方」で、ワガモタメヤモと訓むものもあります。この歌も、「月草」をモチーフにし、妻である女が、その夫に貞節を誓っています。この時代の夫婦は別居していましたから、夫のいる女とは知らずに、言い寄ってくる男は少なくなかったとみえます。
 


作者未詳歌

 『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。

 7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、畿内圏のものであることがわかります。 

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万葉歌碑

 万葉歌碑は『万葉集』の歌を刻む碑(いしぶみ)であり、多くの人々に親しまれる万葉の歌を石に刻んでいます。これには、その歌を作った歌人を讃える意味が込められており、その歌が後世にも残ることを願ったものです。歌碑の数は、国内に約2000基あり、大勢の人々が訪れています。歴史的な場所、たとえば奈良の「山の辺の道」はじめ桜井市の古道には、柿本人麻呂、額田王など、名歌人たちの歌碑が60数基残されています。
 

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。