| 訓読 |
3060
忘れ草(ぐさ)我(わ)が紐(ひも)に付く時と無く思ひ渡れば生けりともなし
3061
暁(あかとき)の目覚(めさ)まし草(くさ)とこれをだに見つついまして吾(われ)と偲はせ
3062
忘れ草 垣(かき)もしみみに植ゑたれど醜(しこ)の醜草(しこくさ)なほ恋ひにけり
3063
浅茅原(あさぢはら)小野に標(しめ)結(ゆ)ふ空言(むなこと)も逢はむと聞こせ恋のなぐさに
3064
人(ひと)皆(みな)の笠に縫(ぬ)ふといふ有間菅(ありますげ)ありて後にも逢はむとぞ思ふ
| 意味 |
〈3060〉
忘れ草を私の紐につけた。こんなに絶え間なく恋をしていると生きている気もしないので。
〈3061〉
明け方のお目覚めに役立つ草として、せめてこんな物でも覧になりながら、私を偲んでください。
〈3062〉
憂いをを忘れさせるという忘れ草を垣根いっぱいに植えたけれど、何とも役立たずの草で、やはり恋い続けるばかりではないか。
〈3063〉
浅茅原の野に標を張るというような空しい嘘でもいいから、逢いたいと言って下さい。恋の慰めのために。
〈3064〉
人々がみんな笠に編むという有間菅の名のように、あり長らえて後も、今のように逢いたいと思っている。
| 鑑賞 |
作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、いずれも「草」に寄せての歌。3060の「忘れ草」は、中国原産のユリ科の宿根草ヤブカンゾウのことで、初夏から夏にかけて濃いオレンジ色の花を咲かせます。身に着けていると、恋の悩みを忘れられるものとして中国の詩文を通して伝えられ、「忘れ草」をうたった歌は、奈良朝の時代に多く見られます。「時と無く」は、時を定めず、絶え間なく。「生けりともなし」は、生きているとも思えない、生きた心地がしない。単に「悲しい」というレベルを超え、恋の苦しみによって生命力そのものが削り取られ、自分が抜け殻のようになっているという感覚です。
3061の「目覚まし草」は、植物の草ではなく目を覚まさせる材料の意。何の品であるかは分かりません。「と」は、~として。「これをだに」の「だに」は、せめて~だけでもの意の助詞。「いまして」は「いる」の敬語。「吾と偲はせ」の「偲はせ」は「偲へ」の敬語。ただ「忘れないで」と言うよりも、贈った品物を私だと思って扱ってほしいという、魂の結びつきを求める強い願いが込められています。原文「吾止偲為」で、ヤマズシノハセ、あるいは「止」を「少」の誤写だとして、ワレヲシノハセと訓むものもあります。女が形見の品を贈り、それに添えた歌とされます。
3062の「忘れ草」は、ユリ科の宿根草ヤブカンゾウのこと。初夏に八重咲きのユリのような花が咲きます。「忘れ草」と呼ばれるのは、この花を眺めていると世の中の嫌なことを忘れていられるという中国の故事によります。「しみみに」は、ぎっしりと、いっぱいに、おびただしく。一輪や二輪ではなく、庭を埋め尽くすほど植えれば流石に忘れるだろうという作者の必死さが伝わります。「醜の醜草」の「醜」は、醜いことで、罵る意。「醜」を重ねてヤブカンゾウを思いきり罵倒しており、役立たずの能無し草、何というろくでなし草、馬鹿の馬鹿草などと訳されています。期待した「まじない」が効かなかったことへの、逆ギレにも似た情熱が伝わる歌です。
3063の「浅茅原」は、丈の低い茅がやの生えた野原。「標結ふ」は、自分の物であることを示すしるしの標縄を張ること。「小野」の「小」は接頭語。上2句は、浅茅原に標縄を張ったところで何の益もなく空しいところから「空言」を導く序詞。「空言」は、嘘。「恋のなぐさに」の「なぐさ」は、心を慰め、鎮めること。男から疎遠にされていることを悲しみ、嘘でもいいから逢おうと言って下さいと訴えている女の歌です。なお、「或る歌に曰く」として「来むと知らせし君をし待たむ」とあり、第4・5句の別伝とされますが、内容は全く異なっています。また「柿本朝臣人暦の歌集に見ゆ」として「浅茅原小野に標結ふ空言をいかなりと言ひて君をし待たむ」(巻第11-2466)の下2句のみが異なっていることが指摘されています。
3064の「有馬菅」の「有馬」は、摂津国の有馬(神戸市北区・三田市)あたりで、当時は菅の産地として有名でした。上3句は「あり」を導く同音反復式序詞。「ありて」は、過ごして、あり続けて。「後にも」の「も」は、せめて~だけでも、の意を表しています。「逢はむとぞ思ふ」の「ぞ」は強めの係助詞で、連体形の「思ふ」で結んでいます。「何が何でも逢うのだ」という不退転の決意が示されており、男が女にその真実を誓った歌とされます。「序詞は、男女が有間の者であることと、また女が人々から愛でられている者であることとを暗示している」と窪田空穂は言っています。

標(しめ)
シメは、境界を区切る印(しるし)や占有の標識を示す語。「標縄(しめなは)」もこれに含まれる。動詞形がシムで、占有の標識を付し、我が物として確保する意を表す。具体的には、草や縄を結んだり杭状の物を刺したりして自分の占有であることを標示し、他人の立ち入りを禁じることをいう。『万葉集』では「標」「印」「縄」などの字があてられる。
シメには様々な形状や使用法があったようだ。それは、「標結ふ」「標延ふ」「標刺す」「標立つ」などと表現することから分かる。「標結ふ」は草を結んだり標縄のような縄状の物を張り巡らすことを表し、「標延ふ」は縄状の物を長々と巡らすことを表すと推測できる。また、「標刺す」「標立つ」は杭状の物を地面に挿し立てることをいうのだろう。このうち、最も多いのが「標結ふ」の例である。「標結ふ」のユフは、呪力の発動する場を結構するのが原義の語とされる。
~『万葉語誌』から引用
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