| 訓読 |
3081
玉の緒(を)を片緒(かたを)に縒(よ)りて緒(を)を弱み乱るる時に恋ひざらめやも
3082
君に逢はず久しくなりぬ玉の緒(を)の長き命の惜(を)しけくもなし
3083
恋ふること増(ま)される今は玉の緒の絶えて乱れて死ぬべく思ほゆ
3084
海人娘子(あまをとめ)潜(かづ)き採(と)るといふ忘れ貝 世にも忘れじ妹(いも)が姿は
3085
朝影(あさかげ)に我(あ)が身はなりぬ玉かぎるほのかに見えて去(い)にし子ゆゑに
| 意味 |
〈3081〉
玉の緒を片糸で縒ると弱いので切れて乱れるように、二人の仲が乱れている時だからといって、恋い焦がれずにいられない。
〈3082〉
あなたに逢えず、ずいぶん久しくなりました。このように切ない思いをするのなら、先の長い命であろうとも少しも惜しいと思いません。
〈3083〉
恋い焦がれて苦しさがつのる今はもう、玉の緒が切れて玉が乱れ飛ぶように、死んでしまいそうです。
〈3084〉
海女が海に潜って採るという忘れ貝。その忘れ貝のようには、決してあの子の姿を忘れたりしない。
〈3085〉
朝日に映る影のように、私はやせ細ってしまった。玉がほのかにきらめくように、ほんの少し姿を見せて立ち去ってしまったあの子のために。
| 鑑賞 |
作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、3081~3083は「玉の緒」に寄せての歌。3081の「玉の緒」は、玉を貫き通す紐。「片緒に縒りて」は、本来、強い糸にするには複数の糸を縒り合わせますが、片緒(一本の糸)のまま縒ったということ。「緒を弱み」は、緒が弱いので。上3句は、一筋の緒が切れて玉が乱れる意で「乱るる」を導く序詞。「乱るる」の解釈は、上掲とは別に、自分の心が乱れる、あるいは自分の恋を忍ぶ心が弱って人に知られてしまうことなどと解するものもあります。「恋ひざらめやも」の「や」は反語、「も」は詠嘆で、恋しく思わないだろうか、いや、そんなことはない。夫に疎遠にされている妻の訴えの歌とされます。
3082の「玉の緒の」は、玉を貫き通す紐のことで、その長いことから「長き」にかかる枕詞。「惜しけくもなし」の「惜しけく」は「惜し」のク語法で名詞形。長く続くはずの「玉の緒(命)」が、愛する人に逢えない状況下では、ただの重荷や苦痛の持続でしかなくなっており、あなたに逢えない人生が続くくらいなら、いつ果てても構わないという、自暴自棄に近いほどの情熱が綴られています。夫に疎遠にされている女の訴えの歌とされます。
3083の「増される今は」の原文「益今者」で、マサレバイマハ、イマユマサラバなどと訓むものもあります。「玉の緒の絶えて」は「乱れ」を導く譬喩式序詞。「絶えて」「乱れて」と動詞を畳み掛けることで、今まさに自分の魂が粉々に砕け散っていくような、凄まじい臨場感を生み出しています。「死ぬべく思ほゆ」は、死にそうに思われる、死ぬに違いないと思われる。単なる修辞(レトリック)としての死ではなく、恋のエネルギーが強すぎて、肉体がそれに耐えきれず破壊されるという、古代人特有のリアリティのある死生観が反映されています。
3084は「貝」に寄せての歌。「潜き」は、水に潜ること。「忘れ貝」は、二枚貝の貝殻の片方、または鮑などの一枚貝。ここは海人が潜って獲るので鮑のこと。「忘れ貝」は集中に6例、「恋忘れ貝」も6例あり、忘れ草(ヤブカンゾウ)を身につけると憂いや恋を忘れられると信じたように、忘れ貝も、これを拾うと恋の苦しさを忘れられるという俗信があったと見られています。上3句は「忘れじ」を導く同音反復式序詞。「世にも忘れじ」の「世にも」は、決しての意の副詞、「じ」は強い打消意志の助動詞であり、何があっても忘れるものかという断固たる拒絶が含まれています。一人の女の美貌を称えた歌です。
3085は「虫」に寄せての歌。「朝影」は、朝日に照らされて映る細長い影。「玉かぎる」は、玉が光を反射してきらめき、自らが光を発するものではないところから「ほのかに」にかかる枕詞。「ほのかに」は、ぼんやりとしてはっきりしないさま。相手の姿が、宝石の煌めきのように一瞬で、かつ陽炎のように掴みどころがなかったことを強調しています。これと全く同じ歌が巻第11の人麻呂歌集歌にもあります(2394)。本歌を虫に寄せての歌としているのは、「玉かぎる」の原文「玉蜻」の「蜻」を「かぎろひ」という虫と見たようです。

主な万葉学者(故人)
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