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巻第12(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第12-3091~3095

訓読

3091
鴨(かも)すらもおのが妻どちあさりして後(おく)るる間(あひだ)に恋ふといふものを
3092
白真弓(しらまゆみ)斐太(ひだ)の細江(ほそえ)の菅鳥(すがどり)の妹(いも)に恋ふれか寐(い)を寝(ね)かねつる
3093
小竹(しの)の上(うへ)に来居(きゐ)て鳴く鳥(とり)目を安(やす)み人妻ゆゑに我(あ)れ恋ひにけり
3094
物思(ものも)ふと寐(い)寝ねず起きたる朝明(あさけ)にはわびて鳴くなり庭つ鳥(とり)さへ
3095
朝烏(あさがらす)早くな鳴きそわが背子(せこ)が朝明(あさけ)の姿見れば悲しも

意味

〈3091〉
 鴨でさえも、連れ合い同士で餌をあさっているうちに、片方が少しでも遅れると恋しがるというのに。
〈3092〉
 斐太の細江に棲む菅鳥が妻を求めて鳴くように、あの子に恋い焦がれているからか、なかなか寝つけない。
〈3093〉
 篠の枝葉に飛んで来て鳴く鳥のように、見た目が安らかなので、人妻だと分かっているのに恋してしまったことだ。
〈3094〉
 物思いをするとて、眠れないで起きていた夜明けには、庭の鳥さえ物悲しく鳴いている。
〈3095〉
 朝の烏よ、そんなに早くから鳴かないでおくれ。いとしいあのお方が朝帰りする姿を見るのが悲しいから。

鑑賞

 作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、いずれも「鳥」に寄せての歌。3091の「鴨すらも」は、鴨でさえも。「妻どち」の「どち」は、同士、仲間、親しい間柄の人のこと。「あさり」はアサルの名詞形で、餌を探し求めること。「後るる間に」は、餌を探す最中、片方が少し草陰に隠れたり、泳ぎが遅れたりして、相手の姿が見えなくなる一瞬の空白を指します。原文「所遺間尓」で、オクルルホドニと訓むものもあります。「恋ふといふものを」は、恋しがるというではないか(それなのに、私は・・・)という、結びを省略した表現です。夫から冷たくされている妻が、夫婦で一緒に餌をあさっている鴨を見て、鴨は、連れ合いが少し離れただけでも恋しがるというのに、自分はその雌鳥にも及ばないと嘆いている歌、あるいは、官人である夫が地方官に任ぜられて、単身任地へ行った後の心をうたったものかもしれません。

 
3092の「白真弓」は、漆を塗っていない白木の弓のことで、弓を引く意から「斐太(飛騨)」のヒの一音にかけた枕詞。飛騨は弓の材料となる良質な材木の産地であったため、この言葉が使われます。「斐太の細江」は、飛騨地方あるいはその周辺の水辺とされます。「菅鳥」は未詳ながら、たとえば「渚鳥(すどり)」が洲(渚)にいる鳥の意で特定の鳥の名を示さないように、「菅鳥」も「菅のところにいる鳥」くらいの意味だろうとされます。一方、結句の「寐を寝かねつる(熟睡できない意)」の原文「寐宿金鶴」に「鶴」の用字があることから、文末で鶴であることを示していると考える向きもあります。上3句は「妹に恋ふれか」を導く譬喩式序詞。「か」は疑問の係助詞で、文末の「つる」が結びの連体形。

 
3093の「小竹の上に来居て」は、細い竹や笹の枝葉に来てとまって。上2句は「目を安み」を導く序詞。「目を安み」は、見た目が安らかなので、見るに快く美しく愛らしいので。かかり方は諸説あり、見るに美しいことからとする説、鳥は群れて飛ぶのでムレを約してメ(目)にかけるとする説、小竹の上に来て鳴く鳥が見やすいのでとする説、「目を安み」の「目」を鳥を獲る網の目と解し、網の目の危険がないのでという意味でかかるとする説などがあります。「人妻ゆゑに」は、人妻なのに。「恋ひにけり」の「けり」は気づきの助動詞で、ああ、自分はなんていう恋に落ちてしまったんだ(気づけば取り返しのつかないことになっていた)という、驚きと自嘲が混じった深い感慨が込められています。

 
3094の「物思ふと」の「物思ふ」は、単なる考え事ではなく、万葉集では主に「恋の悩み」を指します。「と」は、~とての意。「寐寝ねず」の「寐」は眠ることの名詞で、寝る、横になる意の「寝」と複合した表現。この重ね言葉が、全く一瞬も眠れなかったという事実を強調しています。「朝明」は、夜が明けて、空が白み始める時間帯。「わびて鳴くなり」の「わびて」は、やりきれない思いで、力なく、といったニュアンス。本来は淡々と鳴くはずの鶏の声が、作者の耳には、まるで自分と一緒に絶望し、嘆いているかのように聞こえています。

 
3095の「朝烏」は、朝の訪れを告げる存在としてのカラス。「な鳴きそ」の「な~そ」は、懇願的な禁止。「朝明の姿」は、夜明け前に帰路につこうとする夫の姿。当時の通い婚の習慣では、男性は夜明け前に女性の家を去らねばなりませんでした。カラスの鳴き声は、非情にも「別れの時間の到来」を告げる合図になるのです。「見れば悲しも」の「も」は、詠嘆。夫の姿が見えなくなることへの不安と、共に過ごした夜が終わってしまうことへの惜別の情が、「悲し」という一言に凝縮されています。
 


相聞歌

 「相聞」とは『万葉集』の三大部立(ぶだて)である雑歌・相聞・挽歌の一つであり、基本的には巻第2・4・8・9・10・11・12・13・14の相聞の部に収められている歌約1,750首を指します。その中には肉親や朋友間の歌もありますが、男女の恋の歌が約1,670首(95%)を占めており、圧倒的多数となっています。

 相聞の分類にも変化があり、巻第8・10では、季節によって「春相聞・夏相聞」のように分類しています。さらに巻第11・12では、目録に「古今相聞往来歌類之上・下」とあり、本文には相聞の記載はありません。さらに「相聞」部の歌を中心にそれに類するものを含めたいわば広義の「恋歌」というべきものが2,100首余りあり、全体の45%に相当し、『万葉集』の基層を成しています。 

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