| 訓読 |
3096
馬柵(うませ)越しに麦(むぎ)食(は)む駒(こま)の罵(の)らゆれど猶(なほ)し恋しく思ひかねつも
3097
さ桧隈(ひのくま)桧隈川(ひのくまかは)に馬(うま)留(とど)め馬に水(みづ)飼(か)へ我(わ)れ外(よそ)に見む
3098
おのれ故(ゆゑ)罵(の)らえて居(を)れば青馬(あおうま)の面高(おもたか)夫駄(ぶだ)に乗りて来(く)べしや
3099
紫草(むらさき)を草と別(わ)く別(わ)く伏(ふ)す鹿(しか)の野は異(こと)にして心は同じ
3100
思はぬを思ふと言はば真鳥(まとり)住む雲梯(うなて)の社(もり)の神(かみ)し知らさむ
| 意味 |
〈3096〉
柵越しに麦を食べる馬が怒鳴り散らされるように、どんなに罵られても、なおいっそう恋しくてならない。
〈3097〉
桧隈を流れる桧隈川のほとりに馬をとめて、馬に水をお与え下さい。私はよそながらあなたのお姿を眺めましょう。
〈3098〉
あんたのせいで叱られている折も折、人目につく白い面長の馬に乗って、よくも堂々と訪ねて来れたものですね。
〈3099〉
紫草を他の草と区別してそこに寝る鹿のように、私たちは住む所こそは違うけれども、その心持ちは同じだ。
〈3100〉
思ってもいないのに思っているなどと言うのなら、恐ろしい鷲の棲む雲梯の杜の神さまが成敗なさることだろう。
| 鑑賞 |
作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首で、3096~3099は「獣」に寄せての歌。3096の「馬柵」は、馬が外に出ないように、あるいは作物を荒らさないように設けた柵のこと。上2句は、馬が飼料の麦を盗み食いして叱られる意で「罵らゆ」を導く序詞。柵を越えてまで麦を食べようとする駒の姿は、社会的な規範(道徳や人目)という柵を乗り越えてまで、愛する人への愛を貫こうとする作者を象徴しています。「罵らゆれど」は、ののしられても、叱られても。「思ひかねつ」は。思うまいとしてもそのようにはできない。「なほし」は、それでもなお。「し」は、強意の副助詞。関係を結んだ男が親から気にいられずに、逢うのを妨げられる歌は多くありますが、これは関係を絶てと激しく罵られているものです。それでもやはり恋しくて、思わずにいようとしても思わずにはいられないと言っています。
3097の「さ桧隈」の「さ」は接頭語で、「さ桧隈」は「桧隈川」の位置を示すとともに、重ねて語調を整える修辞。「桧隈」は、奈良県明日香村檜前。万葉集の時代、ここは渡来人(東漢氏)の居住地として知られ、異国情緒や活力のある地域というイメージがありました。「桧隈川」は、奈良県高市郡を通って曾我川に合流する川。「飼へ」は、食餌を与える意の語。「外に見む」は、よそながら君を見よう、無関係のふりをして君を見よう。村に住む女性が、思いを寄せる男または通りすがりの旅人に声をかけた歌、または、朝の別れに名残りを惜しんで、しばらくでも長く夫を見ようとしていっている歌とされます。なお、『古今集』にある「ささのくま檜の隈川に駒とめてしばし水かへ影をだに見む」は、この歌が流伝されたものとされます。
3098は、女が、男との交際を保護者から叱責されている最中に、タイミング悪く男がやって来た。それも人目につく葦毛の馬で堂々と。ふつう恋人のもとへそっと訪れる男は、目立たないように黒や栗毛の馬に乗るのに、なんという無神経さ。女の男に対する怒りはすさまじく、相手を「君」とか「わが背子」と言わずに「おのれ」と言っています。「面高」は、面長の意味とするほか、顔がごつごつしている、あるいは顔を高く上げたさまとする説があります。「夫駄」は夫役に使う荷馬のことで、この言葉も、相手をののしっていうときに使われるようです。「乗りて来べしや」の「や」は反語で、「こんな大騒ぎになっているのに、そんなに派手に堂々と逢いに来れるわけがないでしょう(もっとこっそり来なさいよ)」という、あきれ顔の抗議。なお左注には「この一首は、平群文屋朝臣益人が伝えて云わく、昔、紀皇女(天武天皇の皇女)がひそかに高安王と通じて叱られているときに、この歌を作ったと聞いている。ただし、高安王は左遷されて伊予の国守に任ぜられた」旨の記載があります。しかし、高安王は紀皇女より時代が新しい人であり、二人を結びつけるのは年代的に無理があるため、多紀皇女(たきのひめみこ)ではないかとする見方があります。紀皇女は天武帝の皇女で、弓削皇子から恋歌を贈られる巻第2-119~122)など、艶聞の多い女性であったことから、そうした記憶がいつしかこの歌と結びつき、紀皇女に比定されてしまったのかもしれません。
3099の「紫草」はムラサキ科の多年草草木で、根を乾かして染料をとるために重用され、全国で栽培されていました。「別く別く伏す」は、紫草を他の草とよけて伏す。「野」は、鹿の住まい。なお、この歌が何を比喩しているのか、また結句である「心は同じ」の、何の心と何の心が同じなのかの意味が分からないため、さまざまな解釈がなされています。中には、この歌の前後の歌がいずれも相手を非難する「憤り」の気持ちを詠んでいることから、この歌も同じような気持ちが込められているとして、「大切な紫草ばかりをかき分けて寝そべっている鹿に憤るのと同じで、私も紫草の栽培主の気持ちと同じように、あなたに憤っている」のように解するものもあります。なお、窪田空穂は次のように解説しています。「女がその夫に贈った歌である。鹿に寄せて思いを陳べている歌で、一首全部鹿のことをいっているだけで、直接には自分たちのことに触れていないが、同時に、それが全部自分たちのことになっているのである。鹿は自分たちを譬えたもので、広く鹿とのみいっているが、牝鹿牡鹿である。その鹿が自分の身を伏させる所は、野の紫草の上で、ほかの草とは選り分けて、そこにのみ限らせているというのは、自分たちがほかの多くの人には心を寄せず、ただ一人の、最上の人を選んで関係を結んでいる譬で、またほかには心を移さずにいる譬である。伏す野は異なっているというのは、絶えず逢うことはできない譬、心は同じだというのは、自分たちの関係に満足している心は同じだという譬である。要するに、我は君を最上の人として、君を思うほかには思う人もない。君もまた、我と同じ心であると信じているというので、婉曲に、美しく、自分と同様の心を男に求めているのである。表面は鹿のことを安らかに叙した形であるが、心としては妻としての女のもつ心で、かなり複雑した感情を、十分に織り込み得ている歌である」。
3100は「神」に寄せての歌。「思はぬを」の「を」は逆接の接続助詞で、思っていないのに。「真鳥」の「真」は美称で、鳥の代表である鷲、鷹などとされます。「真鳥住む」は「社」を讃える意でかかる枕詞。「雲梯の杜」は、橿原市雲梯町、大和三山の一つ雲梯山の西北約900mに鎮座する河俣神社。壬申の乱のときに大海人皇子を守護する託宣をした神として知られています。「神し知らさむ」の「し」は強意の副助詞、「知らす」は統治なさる、お治めになる意で、ここは、神が処理なさろう、罰をお与えになるだろう。作者は、反語的な表現で、神かけて自分の思いが本物であると訴えています。大伴旅人が太宰帥であった時、太宰大監だった大伴百代の歌に「思はぬを思ふと言はば大野なる三笠の杜の神し知らさむ」(巻第4-561)とあるのは、本歌を取ったものと見られています。

相聞歌
「相聞」とは『万葉集』の三大部立(ぶだて)である雑歌・相聞・挽歌の一つであり、基本的には巻第2・4・8・9・10・11・12・13・14の相聞の部に収められている歌約1,750首を指します。その中には肉親や朋友間の歌もありますが、男女の恋の歌が約1,670首(95%)を占めており、圧倒的多数となっています。
相聞の分類にも変化があり、巻第8・10では、季節によって「春相聞・夏相聞」のように分類しています。さらに巻第11・12では、目録に「古今相聞往来歌類之上・下」とあり、本文には相聞の記載はありません。さらに「相聞」部の歌を中心にそれに類するものを含めたいわば広義の「恋歌」というべきものが2,100首余りあり、全体の45%に相当し、『万葉集』の基層を成しています。
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