| 訓読 |
3103
逢はなくは然(しか)もありなむ玉梓(たまづさ)の使(つかひ)をだにも待ちやかねてむ
3104
逢はむとは千度(ちたび)思へどあり通(がよ)ふ人目(ひとめ)を多み恋つつぞ居(を)る
3105
人目(ひとめ)多み直(ただ)に逢はずてけだしくも我(あ)が恋ひ死なば誰(た)が名ならむも
3106
相(あひ)見まく欲しきがためは君よりも我(わ)れぞまさりていふかしみする
| 意味 |
〈3103〉
逢えないことがあるのは仕方ないでしょう。だけど、お便りを運ぶ使いさえも待ちわびなければならないのでしょうか。
〈3104〉
逢いたいとは何度も思っていますが、ひっきりなしに往き来する人の目が多いので、ただ恋い続けていることです。
〈3105〉
人目が多いからといってじかに逢ってくれないで、もしも私が恋死にでもしたら、いったい誰の評判になるだろうか、だれでもない、あなたの評判になるだろうよ。
〈3106〉
お逢いしたいと願う気持ちは、あなたより私の方がまさっているのに、どうしておいでにならないのか、変に思っています。
| 鑑賞 |
作者未詳の「問答歌(問いかけの歌とそれに答える歌によって構成される唱和形式の歌)」2組。3103は、男の疎遠を恨んだ女の歌、3104はそれに返した男の歌。3103の「然もありなむ」は、それも仕方がない、そういうこともあろう。「玉梓の」は「使」の枕詞。古代、便りを運ぶ使者は「梓」の枝に手紙を結びつけて持っていたことに由来します。「使をだにも」は、使いさえも。「待ちやかねてむ」の「や」は、疑問、「かぬ」は、できない、「てむ」は、推量の強調。待ちきれないだろう、耐えがたい、の意。自分の感情が制御不能になりつつあることを吐露しています。
3104の「千度思へど」は、千回思うという誇張表現で、抑えきれないほど強い執着や渇望を表します。「あり通ふ」は、続いて往き来している、絶え間なく行き交う。「人目を多み」の「多み」は「多し」のミ語法で、人目が多いので。「恋ひつつぞ居る」は、恋い続けている。「居る」は動かずにその場に留まっている状態。強調の「ぞ」+連体形の係り結びになっており、「ただ恋しく思っている」と述べるだけでなく、「ぞ」を入れることで、「(逢いたいけれど逢えない、そのもどかしい極限状態の結果として)じっと恋い焦がれることしかできないのだ」という強い断定と、心の叫びが強調されています。
3105は、逢いに行きたいのに逢えないのは、あなたのせいだと威嚇するふりをして言い訳する男の歌、3106は、それはおかしいと女がやり返した歌。3105の「人目多み」の「多み」は「多し」のミ語法で、人目が多いので。「直に逢はずて」は、直接に逢わないでいて。ここは今直ぐにの意とする説もあります。「けだしくも」は、もしかして、万一。「誰が名ならむも」は、誰の評判になろうか、誰でもないあなたの評判になろう。「名」は、ここでは浮名や悪評のこと。最後の「も」は、詠嘆や強い念押しを含んでいます。
3106の「見まく」は「見む」のク語法で名詞形、逢いたいと思っていること。「欲しきがためは」は、〜したいと切望する点については。原文「欲為者」で、ホシケクスレバ、ホシミシスレバなどと訓むものもあります。「君よりも我れぞまさりて」は、あなたよりも私の方が(思いが)勝っている。ここでも「ぞ」による係り結びが使われており、自分の思いの深さを強く断定しています。「いふかしみする」は、形容詞「いふかし」のミ語法「いふかしみ」に動詞「す」の付いたもので、心が晴れない、不審に思う、気がかりである意。窪田空穂は、「男の威嚇をさりげなく聞き流し、静かになだめている歌である。女のほうが地歩を占め得ている」と言っています。

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