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巻第12(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第12-3131~3135

訓読

3131
月(つき)変へて君をば見むと思へかも日(ひ)も変へずして恋の繁(しげ)けく
3132
な行きそと帰りも来(く)やと顧(かへり)みに行けど帰らず道の長手(ながて)を
3133
旅にして妹(いも)を思ひ出(い)でいちしろく人の知るべく嘆きせむかも
3134
里(さと)離(さか)り遠からなくに草枕(くさまくら)旅とし思(おも)へばなほ恋ひにけり
3135
近くあれば名のみも聞きて慰(なぐさ)めつ今夜(こよひ)ゆ恋のいや増さりなむ

意味

〈3131〉
 来月にならないとあの方に逢えないと思うせいでしょうか。まだ別れた日も改まらないうちから、しきりに恋しくてなりません。
〈3132〉
 「行ってはいや」と、見送りの妻が言うために引き返して来るかと、振り返り振り返り行くけれど、とうとう妻は引き返して来ない。これから長い道のりなのに。
〈3133〉
 旅に出たら、わが妻を思い出しては、周りの人がはっきり気づいてしまうほど嘆き悲しむことであろうか。
〈3134〉
 家里からまだそんなに遠くに来たわけではないのに、これから旅が続くと思うと、ますます家が恋しくてならない。
〈3135〉
 近くにいた時は、逢えなくても噂を聞くだけで心が慰められたけど、旅に出た今夜からは恋しさがますますつのるだろう。

鑑賞

 作者未詳の「羈旅発思」(旅にあって思いを発した歌)の歌5首。3131は、月を跨ぐ予定で旅立った夫に対して妻が詠んだ歌。「月変へて」は、月が改まって、来月になったら。「思へかも」は「思へばかも」の略で、「かも」は自問自答の助詞。「日も変へずして」は、(月が変わるどころか)日が改まる間もなく、毎日毎日、絶え間なく。「恋の繁けく」は、形容詞「繁し」のク語法で名詞形。それにより、その状態を客観的に、かつ強調して表現しています。原文「恋之重」で、コヒノシゲケムと訓むものもあります。

 
3132の「な行きそと」の「な~そ」は、懇願的な禁止。行かないでくださいと。「帰りも来やと」は、いったんは帰ったが、また追いかけて来るかと。淡い期待を込めた推測です。「顧みに行けど」は、後ろを振り返りながら行くけれど。「長手」は、長い道のり。旅立ちに際して妻に見送られ、いったん別れたものの、また追いかけてくるのを期待しながら追いかけてこないのに落胆している、ちょっと残念な男の歌です。しかし、そう期待する相手の女は、ひょっとして妻ではなく、旅先で出逢った遊行女婦なのかもしれません。

 
3133の「旅にして」は、旅にあって、旅に出たら。「いちしろく」は「いと白く」で、はっきりとの意。「人の知るべく」は、(周りの)人が気づいてしまうほどに。「嘆きせむかも」は、嘆き(深い溜息をつくこと)をしてしまうのだろうか。「かも」には、ああ、きっとそうなるだろう、という自嘲気味な予感と、抑えられない感情への怯えが混じっています。作者には同行者があり、面目を重んじなければならなかったようで、下僚の官人あたりの歌とみられます。

 
3134の「里離り遠からなくに」は、里を離れてまだ遠くはないのに。「なくに」は、〜ではないのに、という逆接の余韻を残す表現。「里離り」の原文「里離」で、サトハナレと訓むものもあります。「草枕」は「旅」の枕詞。「旅とし思へば」は、旅(という非日常の状態)だと思うと。「し」は、強意の副助詞。「なほ恋ひにけり」の「なほ」は、いっそう、ますます。「けり」は気づきの助動詞で、改めて自分の深い恋心に気づいた時の詠嘆。

 
3135の「近くあれば」は、(これまでは)近くにいたので。「名のみも聞きて」は、噂を聞くだけでも。「慰めつ」の「つ」は、完了の助動詞。「今夜ゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「いや増さりなむ」の「いや」は、いっそう。「なむ」は、強い確信を伴う推量。ますます増していくに違いない。単なる予想ではなく、すでに心が悲鳴を上げ始めている現状の吐露です。3131からここまでの5首は、いずれも旅立ち直後の恋の歌が集められています。
 


『歌よみに与ふる書』

 正岡子規が、明治31年に書いた『歌よみに与ふる書』の現代語訳です。

 ―― 仰せの通り、近来和歌は一向に振るわない。正直に申せば『万葉集』以来、源実朝以来一向に振るわない。実朝という人は三十にも足らず、いざこれからというところで敢え無い最期を遂げられ、誠に残念であった。あの人を今十年も生かしておいたなら、どんなに名歌を沢山残したかも知れない。とにかく第一流の歌人であると存ずる。むやみに柿 本人麻呂・山部赤人のよだれを舐(ねぶ)るでもなく、もとより紀貫之・藤原定家の糟粕(そうはく)を嘗(な)めるでもなく、自己の 本領が屹然(きつぜん)として山岳と高さを争い、日月と光を競うところは、実に恐るべき尊ぶべきで、知らず知らずのうちに膝を屈する思いになる。古来、凡庸な人と評価してきたのは間違いなく誤りであるに違いなく、北条氏を憚って韜晦(とうかい)した人か、さもなければ大器晩成の人ではなかったかと思える。人の上に立つ人で文学技芸に達するような者は、人間としては下等の地にいるのが通例であるが、実朝は全く例外の人に相違ない。なぜかと言うと、実朝の歌はただ器用というのではなく、力量があり見識があり威勢があって、時流に染まらず世間に媚びないところが、例の物好き連中や死に歌を詠む公家たちとはとても同日には論じがたく、人間として立派な見識のある人間でなければ、実朝の歌のように力のある歌は詠み出されるはずはない。賀茂真淵は力を極めて実朝を褒めた人だが、真淵の褒め方はまだ足りないように思う。真淵は実朝の歌の妙味の半面を知って、他の半面を知らなかったが故にそうなったのだろう。

 真淵は歌については近世の達見家で、『万葉集』崇拝のところなどは当時にあって実に偉い者だが、私の眼から見れば、なお『万葉集』を褒め足りない心地がする。真淵が「万葉にも善い調があり、悪い調がある」ということをいたく気にして繰り返し言うのは、世の人が『万葉集』の中の詰屈な歌を取って「これだから万葉はだめだ」などと攻撃するのを恐れているかと見える。もとより真淵自身もそれらを善い歌とは思わなかったが故に弱みが出たのだろうか。しかしながら世の人が詰屈と言う『万葉集』の歌や真淵が悪い調と言う『万葉集』の歌の中には、私が最も好む歌もあると存ずる。それはなぜかと言うと、他の人は言うまでもなく真淵の歌にも私が好むところの万葉調というものが、一向に見当たらないのだ(もっともこの辺の論は短歌についての論と御承知されたい)。真淵の家集を見て、真淵は存外に『万葉集』の分からない人であると呆れた。こう言ったからと言って、全く真淵をけなす訳ではない。楫取魚彦(かとりなひこ:江戸中期の歌人)は『 万葉集』を模した歌を多く詠んだが、なおこれと思うものは極めて少ない。それほど古調はなぞらえるのが難しいのかと疑っていたところ、近来私たちが知っている人の中に、歌人ではなくて返って古調を巧みに模倣する人が少なくないことを知った。これによって見ると、昔の歌人の歌は今の歌人ではない人の歌よりも、遥かに劣っているのかと心細くなった。してみると今の歌人の歌が、昔の歌人の歌よりも更に劣っていることはどのように言うべきか。

 長歌のみは、やや短歌とは異なる。『古今集』の長歌などは箸にも棒にもかからないが、かような長歌は『 古今集』の時代にも後世にもあまり流行らなかったことが物怪もっけの幸いと思われる。されば後世でも長歌を詠む者には直接『万葉集』を師とする者が多く、従ってかなりの作を見受ける。今日でも長歌を好んで作る者は、短歌に比べれば多少手際よくできる。(御歌会派が気まぐれに作る長歌などは端唄(はうた)にも劣る)。しかしある人は非難して長歌が『万葉集』の模型を離れることができないことを笑う。それももっともではあるが、歌よみにそんなに難しいことを注文すると、『古今集』以後はほとんど新しい歌がないと言わなくてはならない。――

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。