| 訓読 |
3136
旅にありて恋ふれば苦しいつしかも都に行きて君が目を見む
3137
遠くあれば姿は見えず常(つね)のごと妹(いも)が笑(ゑ)まひは面影(おもかげ)にして
3138
年も経(へ)ず帰り来(こ)なむと朝影(あさかげ)に待つらむ妹(いも)し面影に見ゆ
3139
玉桙(たまほこ)の道に出(い)で立ち別れ来(こ)し日より思ふに忘る時なし
3140
はしきやし然(しか)ある恋にもありしかも君に後(おく)れて恋しき思へば
| 意味 |
〈3136〉
旅の途上で恋しく思っているのはつらい。いったいいつになったら都へ帰って、君と顔を合わせることができるのだろう。
〈3137〉
遠く離れているので実際の姿は見えないのだけれど、いつも見馴れた妻の笑顔だけは目に浮かぶ。
〈3138〉
年の変わらないうちに帰って来るはずと、朝影みたいにやせ細り私を待っているにちがいない妻の姿が目に浮かぶ。
〈3139〉
旅の道に出発して別れてきた日からこのかた、妻を思い続けていて、片時も忘れる時がない。
〈3140〉
ああ、こんなにも辛い恋だったのか。あの方に取り残されて、恋しく思われるのは。
| 鑑賞 |
作者未詳の「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」5首。3136の「いつしかも」の「し」は強意、「か」は疑問、「も」は詠嘆の助詞で、いつであろうかなあ、の意。「いつしか」で始まる疑問文は、早く~したいという願望を込めた表現。「都に行きて」は、都に帰って、の意。「君が目を見む」は、
単に「逢いたい」と言うのではなく、「目を見る(=対面する)」と具体的に表現することで、相手の存在をすぐ近くに感じたいという切実さが際立ちます。男女いずれの歌とも取れますが、行幸への供奉などの臨時の用で都を離れた女官の歌で、「君」は都に残してきた夫を指しているものと見られています。
3137の「遠くあれば」は、遠くにいるので、遠く離れているので。「姿は見えず」の原文「光儀者不所見」で、スガタハミエネと訓むものもあります。「常のごと」は、いつも見慣れていたように。「笑まひ」は微笑みのことで、妻の最も魅力的な瞬間を切り取っています。「面影にして」は、面影として(現れている)。現実にはいないはずの人が、記憶の力によって目の前に再現されている状態です。旅にあって妻を思う歌です。
3138はの「年も経ず」は、年の変わらないうちに。「帰り来なむ」の「なむ」は、強い意志や確信を伴う推量。きっと帰ってこよう、帰ってきてくれるに違いない、という、夫婦間の約束を暗示します。「朝影」は、朝日に照らされて映る細長い影のことで、恋にやつれた姿の形容。あるいは、朝の光の中で、と解し、当時の風習として、朝に門に出て愛する人の帰りを占ったり待ったりする姿を指すとする説もあります。「待つらむ妹し」の「し」は、強意の副助詞。やや長い任期で旅にある官人が妻を思う歌とされます。
3139の「玉桙の」は「道」の枕詞。枕詞を用いることで、単なる移動ではなく、公的な任務や避けられない運命としての「旅」の重厚感が出ています。「道に出で立ち」は、旅路に出発しての意。「思ふに」の「に」は、~につけての意。思っているので。「日より(あの日から)」という言葉には、一日一日と積み重なった旅の疲れと、それと正比例して募る恋心が込められています。旅が長引けば長引くほど、「忘る時なし」という言葉の重みが増していくのです。
3140の「はしきやし」の「はしき」が、いとおしい、愛らしいの意の形容詞「はし」の連体形、「やし」は詠嘆の助詞。「はしきよし」とも言います。「然ある恋」は、このような(辛い)恋。「ありしかも」は、(これまで)あっただろうか、いや、なかった。過去の経験を振り返っても、これほどの苦しみは初めてだという強調です。「君に後れて」は、旅に出たあなたの後に残されて、の意。夫を旅に送り出して家に残る妻の歌らしくありますが、それでは「羈旅発思」の歌に相応しくないというので、遊行女婦の歌だろうとの見方があります。

はし(愛し)
情愛をそそぐ気持ちや愛着の情を表す語。愛しい、慕わしい、可愛い、などの意。相手を讃美する気持を含み持つ。ハシ単独で詠み込まれるよりも、間投助詞の「やし」「よし」を下に伴って、「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」などの形で用いられることの方が多い。
ハシは、妻への情愛を表す例が最も多い。その他、深い親交のある友人や主人を慕わしく思う感情を表す例もある。原則として、離れた場所にいる相手を対象とするようだ。
『万葉集』では、ハシに「愛」の字があてられるが、同様に「愛」の字があてられる語にウツクシ・ウルハシ・メグシがある。ウツクシは、親子・夫婦・恋人どうしなど肉親に近い間柄で相手を慈しみたいという感情を表し、それ以外の者への視点を持たない点でハシとは区別される。ウルハシは、完璧な美しさや立派に整った理想の状態を賞美する讃詞で、情愛を表すハシとは異なる。メグシは、たえず気がかりを感じさせることを表し、相手を実際に目で捉えて生ずる感情であるのに対し、ハシは離れた場所にいる相手を思って抱く感情である点が異なる。また、類義語のカナシ(愛し)は、妻や恋人・子供などを慈しみ憐れむ気持ちを表し、どちらかというと切なさや悲哀の情に通じる点が異なる。
~『万葉語誌』から引用
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