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巻第12(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第12-3146~3150

訓読

3146
草枕(くさまくら)旅の衣(ころも)の紐(ひも)解けて思ほゆるかもこの年ころは
3147
草枕(くさまくら)旅の紐(ひも)解く家の妹(いも)し我(あ)を待ちかねて嘆かふらしも
3148
玉釧(たまくしろ)巻き寝(ね)し妹(いも)を月も経(へ)ず置きてや越えむこの山の崎(さき)
3149
梓弓(あづさゆみ)末(すゑ)は知らねど愛(うるは)しみ君にたぐひて山道(やまぢ)越え来(き)ぬ
3150
霞(かすみ)立つ春の長日(ながひ)を奥処(おくか)なく知らぬ山道(やまぢ)を恋ひつつか来(こ)む

意味

〈3146〉
 旅で着ている衣の紐が解けると、家で待っている妻のことを思い出す。この何年もの間。
〈3147〉
 旅で着ている衣の紐がひとりでに解ける。家にいる妻が、私を待ちかねて嘆いているらしい。
〈3148〉
 玉釧を腕に巻くように抱いて寝た妻なのに、ひと月も経たないうちにあとに残して越えて行かねばならないのか、この山の崎を。
〈3149〉
 行く末がどうなるのか分かりませんが、いとしいあまり、あなたに寄り添って山道を越えてやって来ました。
〈3150〉
 霞が立つ春の長い一日を、あてどもなく勝手も分からない山道を、あの人を恋いつつ歩き続けるのでしょうか。

鑑賞

 作者未詳の「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」5首。3146の「草枕」は「旅」の枕詞。「旅の衣」は、旅中に着ている着物。「紐解けて」は、前歌と同様、当時の俗信に基づいた表現。「思ほゆるかも」の「思ほゆる」は、自然に思われてくる意。「かも」は、詠嘆。「この年ころは」は、ここ数年、年を跨って、の意。地方官などで、長らく妻と離れている男が、衣の紐の自然に解けるのは妻が自分を思うからであるという俗信から、それを見るにつけ妻が思われると言っている歌です。

 
3147の「草枕」は「旅」の枕詞。「旅の紐解く」の「解く」は、ここは自動詞で、自然と解ける意。これまでの歌同様、誰かが自分を思っている予兆です。「家の妹し」の「し」は、強意の副助詞。他の誰でもない、我が家に残してきた愛しい妻こそが、という意味です。「嘆かふらしも」の「嘆かふ」は、「嘆く」の反復・継続の形。「らし」は、強い推量。「も」は、詠嘆。原文「嘆良霜」で、ナゲキスラシモ、ナゲカスラシモなどと訓むものもあります。

 
3148の「玉釧」は玉製の腕輪で、「巻き寝」の枕詞。「巻き寝し」は、お互いの腕を枕にして寝ることで、二人の親密さと深い愛情を象徴する表現です。「月も経ず」は、ひと月も経たないうちに。「置きてや越えむ」は、置いて越えるのだろうか。疑問・反語の助詞「や」と推量の「む」が含まれ、「行きたくない、離れたくない」という強い葛藤を表しています。「山の崎」は、山が海や平野に突き出した場所。そこを越えると故郷が見えなくなる、あるいは旅路が本格化するという「境界線」を意味します。

 
3149の「梓弓」は、弓の下を本、上を末と呼ぶことから「末」にかかる枕詞。「末は知らねど」の「末」は将来の意で、将来どうなるか分からないが。「愛しみ」はウツクシミとも訓みますが、ウツクシミが愛おしい、可愛い意であるのに対し、ウルハシミは端正で立派に整っているさまに心惹かれる意であり、ここは「君」に対して言っているのでウルハシミが適当とされます。「君にたぐひて」は、あなたに寄り添って、連れ添って。任地へ赴く夫に連れられて旅に出た、結婚後間もない女の歌とみられ、一抹の不安にかられながらも、一切を夫に任せている気持ちが窺えます。

 
3150の「霞立つ」は「春」の枕詞。視界を遮る霞は、先行きの見えない不安感も暗示しています。「奥処なく」は、あてどもなく、果てもなく。「恋ひつつか来む」は、ずっと恋しく思いながらやって来るのだろうか」。「〜つつ」は動作の継続、「か〜む」は疑問と推量。終わりのない歩行と、終わりのない思慕が重なり合っています。遠い任地にいる夫のもとへ行こうとしている妻の歌でしょうか。窪田空穂は「純気分の歌であるが、それをとおして情景の浮かび出る歌である。『霞立つ』という枕詞が叙景となり、『奥処なく』の抒情と溶け合う趣が、一首全体にある。奈良朝の教養ある人の歌である」と評し、折口信夫は「時間と空間と情調と、三者相叶うた佳作」と評しています。
 


ひも(紐)

 ヒモは、通常、男女が別れに際して互いに結び合い、それぞれの魂を相手の結び目に封じ込めて、再会を呪(まじな)い取るものとされる。それゆえ、再会までは解かないことが原則とされた。ところが、『万葉集』のヒモにはわからないことが多い。その形状、またどこに付けていたのかがはっきりとしないのである。「下紐」「裏紐」とする表記例もあるから、下着に付けた紐とも見られるが、「裏紐」は上着の裏側に付けた紐、着物の前合わせをとめる紐とも解せるから、その実態はなかなか捉えにくい。さらに前合わせをとめるのなら実用的な紐になるが、そうとは思えない例も見える。「高麗錦(の)紐」のように舶来の高価な素材を用いたもの、赤や紫の紐の場合がそれである。

 「高麗錦(の)紐」は、七夕歌に用いられた例が典型だが、高貴さを意図した特別な意味合いがあるのだろう。一方、赤や紫の紐には呪術的な意味合いがつよく感じられる。古代においては、紫は色彩としては赤の範疇に属するとされた。赤は神的・霊的なものが依り憑いたしるしの色である。それゆえ、赤や紫の紐は、そこに封じ込められた魂の呪力のはたらきを示しているのだろう。ならば、これらは呪術的な目的を優先させたヒモになる。 

~『万葉語誌』から抜粋引用

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