| 訓読 |
3166
我妹子(わぎもこ)を外(よそ)のみや見む越(こし)の海の子難(こがた)の海の島ならなくに
3167
波の間(ま)ゆ雲居(くもゐ)に見ゆる粟島(あはしま)の逢はぬものゆゑ我(わ)に寄(よ)そる子ら
3168
衣手(ころもで)の真若(まわか)の浦の真砂地(まなごつち)間(ま)なく時なし我(あ)が恋ふらくは
3169
能登(のと)の海に釣(つ)りする海人(あま)の漁(いざ)り火の光りにい行く月待ちがてり
3170
志賀(しか)の海人(あま)の釣りし燭(とも)せる漁(いざ)り火のほのかに妹(いも)を見むよしもがも
| 意味 |
〈3166〉
あの愛しい子を、傍目にだけ見て過ごさねばならないというのか。越の海の子難の海に浮かぶ島ではあるまいに。
〈3167〉
波の間からはるかに見える粟島のように、逢ってもいないのに、私と関係あるように噂を立てられている子よ。
〈3168〉
真若の浦の白い砂浜のように、絶え間なく、時の区別もなく、私は恋い焦がれている。
〈3169〉
能登の海で釣りをしている漁師たちが焚く、あの漁り火を頼りに進んでいく。そんなふうに、私は暗闇の中で月が出てくるのを待ちかねるようにして、あなたを今か今かと待ちわびています。
〈3170〉
志賀島の海人が夜釣りに燭している漁り火の、ちらちら照らす光のように、ちらっとでもあの子を見るきっかけがあればなあ。
| 鑑賞 |
作者未詳の「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」5首。3166の「外のみや見む」の「や」は詠嘆的疑問で、傍目に眺めるだけでいいだろうか(いや、よくない)。「越の海」は、越前・越中にかけての海。「子難の海」は、所在未詳。「子が難(かた)し」、すなわち女に逢い難いの意を掛けています。「島ならなくに」は「島ならず」のク語法「島ならなく」に、助詞の「に」を添えたもので、島ではないのだから。遠く離れている妻に贈った歌とされますが、外目にのみは見ているのだから、旅中に見初めた土地の女に呼びかけている歌かもしれません。地名によるダジャレを論理の柱に据えている歌であり、当時の万葉人は、こうした地名の響きから即興的に感情を引き出す遊びを好んだようです。
3167の「波の間ゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「雲居」は、ここでは水平線に接している空で、海上遠く。「粟島」は、諸説あるものの所在未詳。上3句はその「粟島」の同音反復で「逢は」を導く序詞。「逢はぬものゆゑ」の「ゆゑ」は逆説で、逢ってもいないのに。「我に寄そる」は、私に(噂を)結びつける。私とあの子が付き合っていると世間が言い立てる。「子ら」の「ら」は、接尾語。男の歌で、世間から関係があるように言われる女に対し関心と愛着を示している歌ですが、旅中の感じが乏しいものです。
3168の「衣手の」は、真袖(左右の袖)という意で「真」にかかる枕詞。「真若の浦」の「真」は美称で、和歌山市和歌の浦とされます。「真砂地」は、白い砂浜が続く海岸。上3句は「間なく」を導く同音反復式序詞。「間なく時なし」は、絶え間なく時の区別もなく。「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で名詞形。同音の「ま」の頭韻が繰り返されているのは、意識しての技巧のようです。旅先で出逢った可愛い子への思いを歌ったものでしょうか。
3169の「能登の海」は、現在の石川県能登半島の海。「漁り火」は、夜間に魚を誘い寄せるために船の上で焚く火。「光にい行く」の「い」は接頭語で、漁り火の光を頼りに舟が進んで行く様子。「月待ちがてり」は、月の出を待ちながら。月が出る前の真っ暗な時間、漁師たちは心もとない漁り火の光だけを頼りに海にいます。この頼りない光(=現状の孤独や不安)と、待ち望む満月(=愛しい人の訪れ)の対比が、作者の切実な恋心を浮き彫りにしています。そして、漁り火が揺れ、船がゆっくりと進む様子は、停滞しているようでいて、実は月が出る瞬間へと一刻一刻近づいています。その刻々と過ぎる時間の重みが、「待ちがてり」という言葉に凝縮されています。
3170の「志賀」は、福岡県の志賀島。「志賀の海人」は、『万葉集』では熟練した船乗りや漁師の代名詞として登場します。上3句は「ほのかに」を導く譬喩式序詞。「よしもがも」は、手だてがあればなあ、方法があればいいのに。「もがも」は強い願望を表す終助詞。京の官人が志賀の海人の漁火を見て、故郷の妻を思っている歌とされ、夜の海という暗闇の中で、わずかに揺れる「火」のイメージを、恋の成就の難しさと切なさに重ねています。

たび(旅)
自らの本来属すべき場所、すなわち、人の魂が最も安定し安らぐ場所である「家・家郷」を離れる状態をいう。『万葉集』には、「旅寝」「旅人」などの複合語を含めると百例を越す用例が見られる他、「羇旅(きりょ)歌」「羇旅作」「羇旅発思」等の題詞や分類標目のもとに、数多くの旅の歌が載せられており、タビは万葉びとにとって、作歌の主要な契機の一つであったことが知られる。それはタビという状況が、非日常の不安定な状況であり、歌によって魂の安定を幻想する必要があったゆえであろう。
古代におけるタビという語の意味領域は、現代の私たちの「旅・旅行」よりもはるかに広かった。「秋田刈る旅の廬に時雨降り」(巻第10-2235)などでは、農作業のために仮小屋に泊まり込むことをタビと呼んでおり、かなり遠方まで出かけることを意味する現代の旅の概念とはかなり異なっていたことを示している。
ただし一方で、「旅と言(へ)ど真旅(またび)になりぬ」(巻第20-4388)と、通常のタビに対して本格的なタビを「真旅」と呼ぶ例も見られ、当時においても、軽微な旅と本格的なタビとを区別する概念はあったようである。
~『万葉語誌』から抜粋引用
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