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巻第12(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第12-3171~3175

訓読

3171
難波潟(なにはがた)漕(こ)ぎ出(づ)る舟のはろはろに別れ来(き)ぬれど忘れかねつも
3172
浦廻(うらみ)漕(こ)ぐ熊野舟(くまのぶね)着きめづらしく懸(か)けて思はぬ月も日もなし
3173
松浦舟(まつらぶね)騒(さわ)く堀江(ほりえ)の水脈(みを)早み楫(かぢ)取る間なく思ほゆるかも
3174
漁(いざ)りする海人(あま)の楫(かぢ)の音(おと)ゆくらかに妹(いも)は心に乗りにけるかも
3175
若(わか)の浦に袖(そで)さへ濡れて忘貝(わすれがひ)拾(ひり)へど妹(いも)は忘らえなくに [或る本の歌の末句には「忘れかねつも」といふ]

意味

〈3171〉
 難波潟を漕ぎ出す舟が遠ざかるように、はるばると別れてやって来たが、妻のことが忘れようにも忘れられない。
〈3172〉
 浦のあたりを漕いで来た熊野舟が着いて、その姿かたちが珍しく心惹かれるように、愛しいあの子を心に懸けて思わない月も日もない。
〈3173〉
 松浦舟が往き来する堀江の流れが早いので、楫を取るのに絶え間がないように、絶え間なくあの子を思っている。
〈3174〉
 漁をする海人の舟の楫の音がゆったりとしているように、あの子は私の心にじわじわと乗りかかってきている。
〈3175〉
 若の浦で袖まで濡らして忘れ貝を拾うけれど、拾っても拾ってもあの子を忘れられない。(忘れかねる)

鑑賞

 作者未詳の「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」5首。3171の「難波潟」は、現在の大阪湾一帯。古くからの港であり、別れの舞台として頻繁に登場します。「漕ぎ出る舟の」の原文「水手出船之」で、コギデシフネノと訓むものもあります。上2句は、航路を遠く来た意で「はろはろに」を導く序詞。舟が沖へ遠ざかる様子を、旅路の遠さに重ねています。「はろはろに」は、はるかに遠いさま、はるばると。「忘れかねつも」は、忘れようとしても忘れられないことだ。京の官人の、船で瀬戸内海を航行している人の歌とされます。

 
3172の「浦廻」は、海岸が湾曲して入り組んだところ。「浦を廻る」ことから。「熊野舟」は紀伊の熊野で造られる頑丈な舟。当時、熊野の海岸線は航海の難所として知られていました。「着き」の解釈は、上掲のように「(港へ)着き」とする説のほかに、「顔つき」「体つき」のようにそのものの様子をいう接尾語とする説があります。上2句は、熊野舟の形が珍しく見馴れないところから「めづらしく」を導く序詞。「めづらし」は「愛(め)づ」から派生した形容詞で、愛すべく、心惹かれること。「懸けて思はぬ」は、心に懸けて思わない。「月も日もなし」は、常に、という意味の強調。難波に長く出張している官人の歌でしょうか。

 
3173の「松浦舟」は、肥前国松浦で造った舟。当時、松浦は遣新羅使などの出発地であり、公的な往来も頻繁な場所でした。「騒く」は、舟が波を立てて行き交う様子、または水面が波立っている様子。「堀江」は、難波堀江。当時は物資や人を運ぶ舟で非常に混雑していました。「水脈早み」の「水脈」は、舟の通る深い所、水の流れる筋。「早み」は「早し」のミ語法で、速いので。上3句は「楫取る間なく」の譬喩で、序詞との見方もあります。「思ほゆるかも」の「ゆ」は自発の助動詞で、自然と思われてくる。「かも」は、詠嘆の助詞。難波に出張している京の官人の歌とされます。

 
3174の「漁りする」は、魚を獲るために海に出ること。「海人の楫の音」は、単独母音オを含む8音の字余り句。上2句は、楫の音がゆるやかに聞こえてくるところから「ゆくらかに」を導く序詞。「ゆくらかに」は、ゆったりと、ゆらゆらと。「妹は心に乗りにけるかも」の「けるかも」は、気づきの助動詞「けり」+詠嘆の終助詞「かも」で、妹は我が心を占めてしまったことであるよ。この句は万葉人に好まれたようで、他の歌にもいくつか用例が見られます。海辺の地を旅する男が妹に贈った形の歌です。

 
3175の「若の浦」は、和歌山市和歌の浦。「袖さへ濡れて」は、袖までも濡れて。同時に、古歌では「袖が濡れる」は涙で濡れることの暗喩でもあります。波打ち際で必死に貝を探す様子。「忘れ貝」は、二枚貝の片方、またはそれと似た一枚貝。「忘れ貝」は集中に6例、「恋忘れ貝」も6例あり、忘れ草(ヤブカンゾウ)を身につけると憂いや恋を忘れられると信じたように、忘れ貝も拾うと恋の苦しさを忘れられるという俗信があったと見られています。「忘らえなくに」は「忘らえず」のク語法「忘れえなく」に詠嘆の助詞「に」が添ったもの。
 


たび(旅)

 自らの本来属すべき場所、すなわち、人の魂が最も安定し安らぐ場所である「家・家郷」を離れる状態をいう。『万葉集』には、「旅寝」「旅人」などの複合語を含めると百例を越す用例が見られる他、「羇旅(きりょ)歌」「羇旅作」「羇旅発思」等の題詞や分類標目のもとに、数多くの旅の歌が載せられており、タビは万葉びとにとって、作歌の主要な契機の一つであったことが知られる。それはタビという状況が、非日常の不安定な状況であり、歌によって魂の安定を幻想する必要があったゆえであろう。

 古代におけるタビという語の意味領域は、現代の私たちの「旅・旅行」よりもはるかに広かった。「秋田刈る旅の廬に時雨降り」(巻第10-2235)などでは、農作業のために仮小屋に泊まり込むことをタビと呼んでおり、かなり遠方まで出かけることを意味する現代の旅の概念とはかなり異なっていたことを示している。

 ただし一方で、「旅と言(へ)ど真旅(またび)になりぬ」(巻第20-4388)と、通常のタビに対して本格的なタビを「真旅」と呼ぶ例も見られ、当時においても、軽微な旅と本格的なタビとを区別する概念はあったようである。 

~『万葉語誌』から抜粋引用

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