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巻第12(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第12-3176~3179

訓読

3176
草枕(くさまくら)旅にし居(を)れば刈り薦(こも)の乱れて妹(いも)に恋ひぬ日はなし
3177
志賀(しか)の海人(あま)の礒(いそ)に刈り干(ほ)す名告藻(なのりそ)の名は告(の)りてしを何(なに)か逢ひかたき
3178
国(くに)遠(とほ)み思ひなわびそ風の共(むた)雲の行くごと言(こと)は通はむ
3179
留(と)まりにし人を思ふに秋津野(あきづの)に居(ゐ)る白雲(しらくも)のやむ時もなし

意味

〈3176〉
 旅にあって寝床のために刈り取った薦が乱れるように、私の心は乱れて妻を恋しく思わない日はない。
〈3177〉
 志賀の海人が磯で刈って干しているなのりそのように、私は名を告げたのに、どうしてなかなか逢えないのだろう。
〈3178〉
 国が遠いからといって思い悩まないでください。風と共に流れる雲のように、お互いの消息は自然に通い合うでしょうから。
〈3179〉
 家に残った妻のことを思うと、秋津野にかかる白雲のように、苦しさは止むときがない。

鑑賞

 作者未詳の「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」4首。3176の「草枕」は「旅」の枕詞。「旅にし居れば」の「し」は強意の副助詞で、旅先での孤独感が強調されています。「刈り薦の」は「乱れて」の枕詞。「薦」(マコモ)は、全国いたるところで見られるイネ科の多年草で、夏に刈り取って筵(むしろ)の材料にしました。刈り取って広げた時のバラバラな様子を視覚的に表現しています。「乱れて」は、心の落ち着かない状態(千々に乱れる思い)を表します。窪田空穂はこの歌を評し、「説明に終始している歌である。枕詞を二つまで用い、『乱れて』という強い語を用いているが、抒情気分の現われていない歌である」と述べています。なお、『万葉集』を愛した鎌倉幕府3代将軍の源実朝は、この歌を本歌取りし、「草枕旅にしあればかりごもの思ひ乱れて寐(い)こそ寝(ね)られね」という歌を詠んでいます。

 
3177の「志賀」は、現在の福岡県福岡市の志賀島。古くから海人が住み、『万葉集』では海人に関連する歌の舞台として頻繁に登場します。「名告藻」は、ホンダワラという海藻の古名。上3句は「名は告り」を導く同音反復式序詞。「名は告りてしを」は、(二人の関係を)名前を出して公表してしまったのに。当時の恋愛において、名前を明かす(公にする)ことは、結婚や深い誓いを意味する重大なステップでした。「何か逢ひかたき」は、どうして(こんなに)逢うのが難しいのか。類型的な歌であり、この歌は九州地方の遊行女婦らの間に歌い伝えられたものかといいます。

 
3178の「国遠み」は「国遠し」のミ語法で、国が遠いので。「思ひなわびそ」は「思ひわぶ(思い悩む、やりきれなくなる)」の命令形を「な~そ」で挟んだ禁止の表現。「どうか嘆かないでくれ」という強いいたわりが込められています。「風の共」は、風と共に、風に従って。「言は通はむ」は、言葉(消息・便り)は通い合うだろう。物理的な距離を越えて、精神的な繋がりを維持しようとする決意です。京の官人が地方官に任ぜられて旅立つ際、その妻に慰めとしていった歌とされます。

 
3179の「留まりにし人」は、家に残ってとどまった人で、旅にあって妻を指したもの。この表現は「連れて来たかったが女は留まらねばならないという定めに従った、の意を表すか」と伊藤博は言い、窪田空穂は「相応に身分ある官人を思わせる」と言っています。「秋津野」は、吉野または紀伊田辺の秋津野。「秋津野に居る白雲の」は、雲がいつもかかって消えることがないようにの意で「止む時もなし」を導く譬喩式序詞。「やむ時もなし」は、(雲が)消える時がない、と(私の思いが)止む時がない、を掛けています。



たび(旅)

 自らの本来属すべき場所、すなわち、人の魂が最も安定し安らぐ場所である「家・家郷」を離れる状態をいう。『万葉集』には、「旅寝」「旅人」などの複合語を含めると百例を越す用例が見られる他、「羇旅(きりょ)歌」「羇旅作」「羇旅発思」等の題詞や分類標目のもとに、数多くの旅の歌が載せられており、タビは万葉びとにとって、作歌の主要な契機の一つであったことが知られる。それはタビという状況が、非日常の不安定な状況であり、歌によって魂の安定を幻想する必要があったゆえであろう。

 古代におけるタビという語の意味領域は、現代の私たちの「旅・旅行」よりもはるかに広かった。「秋田刈る旅の廬に時雨降り」(巻第10-2235)などでは、農作業のために仮小屋に泊まり込むことをタビと呼んでおり、かなり遠方まで出かけることを意味する現代の旅の概念とはかなり異なっていたことを示している。

 ただし一方で、「旅と言(へ)ど真旅(またび)になりぬ」(巻第20-4388)と、通常のタビに対して本格的なタビを「真旅」と呼ぶ例も見られ、当時においても、軽微な旅と本格的なタビとを区別する概念はあったようである。 

~『万葉語誌』から抜粋引用

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