| 訓読 |
3195
磐城山(いはきやま)直(ただ)越え来ませ礒崎(いそさき)の許奴美(こぬみ)の浜に我(わ)れ立ち待たむ
3196
春日野(かすがの)の浅茅(あさぢ)が原に後(おく)れ居(ゐ)て時ぞともなし我(あ)が恋ふらくは
3197
住吉(すみのえ)の岸に向かへる淡路島(あはじしま)あはれと君を言はぬ日はなし
3198
明日(あす)よりは印南(いなみ)の川の出(い)でて去(い)なば留(と)まれる我(わ)れは恋ひつつやあらむ
3199
海(わた)の底(そこ)沖は畏(かしこ)し礒廻(いそみ)より漕ぎ廻(た)み行かせ月は経(へ)ぬとも
| 意味 |
〈3195〉
磐城山をまっすぐに越えて早く帰ってきてください。磯崎の許奴美の浜に立って、私は待っています。
〈3196〉
春日野の浅茅が原に一人置き去りにされて、私は絶える間もなくあの方を恋い焦がれています。
〈3197〉
住吉の岸に向き合う淡路島の名のように、あわれ(ああ恋しい)と、あなたのことを口にしない日はありません。
〈3198〉
明日からは去なむという名の川のように、旅立ってしまわれるあなたに取り残された私は、どんなに恋い焦がれなければならないのか。
〈3199〉
海原の沖は恐ろしく危険がいっぱいです。磯に沿って漕いでいらっしゃい。たとえ月は変わっても。
| 鑑賞 |
作者未詳の「別れを悲しむ」歌5首。3195の「磐城山」は、静岡市清水区にある薩埵(さった)峠とされます。山部赤人の「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける」(巻第3-318)はこの峠から眺めた富士山だったと言われます。「直越え」は、真っ直ぐに山を越えること。「磯崎」は、薩埵峠が海に接する所を今は岫崎(くきがさき)と呼んでいて、その地であると言います。「許奴美の浜」は、所在未詳。礒崎あたり住む女が磐城山のかなたに住む、関係した男に、密会の場所を示してやった歌とされます。
3196の「春日野」は、奈良市の東方、春日山西麓。「浅茅が原」は、背丈の低い茅がやが生えた野原で、作者(女)の侘び住居を喩えています。「後れ居て」は、後に残されていて。「時ぞともなし」は、今はいつなのか分からない、または、絶えず、の意。相手を深く思うあまり、日常の時間の流れから切り離されてしまった精神状態を表します。「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で名詞形。旅にある夫に、思慕の切情を訴えて贈った歌とされます。
3197の「住吉」は、大阪市住吉区。「住吉」は平安時代になってスミヨシと訓むようになりましたが、奈良時代以前はスミノエと訓んでいます。「向かへる」は「向きあへる」の約で、向き合っている意。上3句は淡路島の「あは」と同音の「あはれ」を導く序詞。「あはれ」は、広い意味で感動をあらわす語で、「ああ」というにあたります。「言はぬ日はなし」は、言わない日は一分たりともない。強い二重否定による愛の訴えです。住吉に多くいた遊行女婦の歌と見られています。
3198の「印南の川」は、兵庫県の印南野を流れる加古川。上2句は「印南」の同音で「去なば」を導く序詞。「出でて去なば」は、(その場所を)出て行ってしまったならば。「留まれる我れ」は、旅立つ人に対して、故郷(あるいは現在の地)に残る自分。「恋ひつつやあらむ」は、(ずっと)恋い慕い続けることになるのだろうか。未来に対する不安と、避けられない孤独への嘆きが込められた自問です。印南の川近くに住む男女間の歌で、男が旅立つ前夜に、女が別後の心をいって訴えたものとされます。
3199の「海の底」は「沖」の枕詞。「畏し」は、恐ろしい。神聖な力が働いていて危険である。「礒廻」は、磯の周り、海岸。「漕ぎ廻み行かせ」の「漕ぎ廻み」は、海岸伝いに進むので曲線的になることを示しています。「行かせ」は「行け」の敬語。「月は経ぬとも」は、たとえ月が変わっても、何ヶ月もかかったとしても。遠い航海に出発する男に対して女が贈った歌とされます。

和歌の修辞技法
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